ドリーム小説 「鏡音くん、だ、めだってっ、ば・・・!」


 細い手首、レモン色のシーツ、白のブラウス、全てが淡くて熱に浮かされたような気分だ。彼女の華奢な腰に手を回して、手首を掴んでベッドに沈み込む。


「明日までって約束し・・・のにっ。」


 抵抗するべく、力を込めて僕の腕と身体を押しのけようとしている彼女。6つ上の女性、それも社会的立場も上である人を組み敷いているという優越感。そして。


「そんな事言って、最後には気持ちいいって泣くくせに。ね、先生?」


 背徳感。


「なんであとたったの一週間なのに、待てなかったのか、分かんない。」


 明日、卒業式を迎える僕は、先生に告白をした、半年前の夏休みに約束をしたのだ。






「鏡音くんの気持ちは分かったけど、今は何も答えられないから、卒業の日まで待って。」


 それまでテストも受験も頑張って、ふざけた真似をしない、と条件を突き付けて、一方的に約束だと彼女は取り付けてしまったのだ。
 キスまでさせておいて、頬を赤らめて、魅力的だと思うなんてのたまっておいてだ。
 本来ならば学生の僕が、教師である彼女の弱みを握った、と強気に出ても良いところなのだが。


「分かった・・・、けど、一つだけお願いしてもいい?」


「ん、何?」


「第一志望の大学合格したら、ちゃんにお祝いしてほしいんだ。」


 それくらいなら、と彼女は笑った。
 それが僕達の約束だった。


 僕は律儀にも約束を守り、もうわざとテストで悪い点数を取ることもせず、勉学には以前の様に取り組んだ。二月の頭に入試を受け、自由登校になってからも、彼女の顔を早く見たくて結果を今か今かと待ち侘びていた。
 そして先週、僕は見事第一志望の大学に合格し、祝ってもらうべく、彼女の家に向かったのだ。
 家が何処にあるかは知っていたが、上がるのは初めてのことだ。それに悪い事をしているのだというスリルで、地に足がついていない感覚だった。
 家に緊張しながら上がると、お祝いといって、何をすればいいのか分からなかったから、と言ってオードブルとケーキを買ってくれていた。


ちゃんありがとう。」


 オードブルやケーキなんて、本当はどうでも良かった。ただ少しでもちゃんにとって、特別な異性になりたかった。


「鏡音くんはジュースね。」


 そう言って、ペットボトルのジュースを数種類を僕の手前に置いた。彼女の手元にはワインとグラス。


ちゃん、僕のお祝いを理由に飲むのおかしくない?」


「そ、そういうわけじゃないけど、美味しそうなワインだったからつい・・・。鏡音くんは二十歳超えたらね。」


 歯をちらりと覗かせる幼い笑い方が好きだ。


「鏡音くん、本当におめでとう。」


 僕のグラスにジュースを注いでくれて、乾杯をした。






 そして事は起きた。


ちゃん、僕、そろそろ帰るよ。」


 ワインを飲んで気持ちが良くなったのか、彼女はケーキを食べ終えてから、小一時間ほどして寝てしまった。
 本当なら起こしても構わないのだろうが、寝顔を見る機会など、なかなかあるものではないので、得した気分で眺めていた。勿論下心はむらむらと沸き起こるが、流石に眠っている女性に手を出すのは躊躇われる。じりじりと、しかし、無防備なその寝顔に、幸せと呼んでもいいような温かい感情を抱きながら、結局僕は終電間近の時間まで過ごしたのだ。


「ん、んー。あれ、いつの間に寝ちゃった・・・?」


 身体を起こして、もそもそと喋りながら、時計の時刻をぼんやりと見ている。そしてテーブルの上の、まだ中身の入ったワイングラスを呷るように飲み干した。そしてまたパタンと横になる。


「駅まで送るー。」


「いいよ、危ないから。あ、鍵かけなきゃ駄目だよ。」


 そう言って僕は立ち上がったが、ちゃんは一向に起き上がる気配がない。見送りはしてもらわなくても良いのだが、鍵だけは掛けて欲しい。仕方なく僕は今一度ちゃんの方へ歩み寄ってしゃがみこむと、彼女の肩をとんとん、と叩いた。


ちゃん、起きれる?」


 僕の声に反応するようにうっすら目を開けて、唇の輪郭だけ何か動いているのだが、全く伝わらない。ワインに濡れた唇が扇情的で腹立たしい。


「僕、終電なくなっちゃうよ。」


「んー、帰っちゃやだー。」


 瞬間、耳を疑って僕は固まった。しかし、僕は聴力はいい方だ。そして目の前の彼女が一気に夢から覚めたように目を瞬いて、息をひゅっと吸う音がやたら響いた。


「ご、ごめん、冗談。終電なくなっちゃうよね、急がないと・・・。」


 肩に当てていた僕の手を退けて、あたふたと立ち上がろうとする彼女を、僕は意識するより先に、そのままラグに縫い付けた。
 ちゃんが焦るように目を泳がせたが、自分の何が僕をこうさせてしまったのか、その原因が自分にあるのを分かっているのだろう、強い抵抗を見せずにいる。


「ごめん、鏡音くん、ちょっと寝ぼけちゃって、私・・・。」


「寝ぼけてたなら、いいよ。そのまま寝ぼけてて。」


「そ、そうじゃなくて、じ、時間・・・。」


「もういいよ。どうせ間に合わないから。」


 そういうわけには、と言い訳ばかり並べるちゃんに苛立ち、僕は張り詰める空気の中、彼女の顔に近付いた。


「あの、鏡音くん、ちょっと・・・。」


「僕、受験頑張ったでしょう?お祝い、もっとちょうだい。」


 待って、と紡ごうとしたちゃんの唇に、噛み付くようにキスをした。僅かに身動ぎをして抵抗を見せたように思えたが、それも束の間、彼女は諦めたように力を抜いて、濡れた瞳でこちらを覗くだけだった。






 そのようにして、思わぬ形で身体を重ね合わせてしまってから、僕はほとぼりが冷めるわけもなく約一週間、彼女の家にこっそり通っているのだ。
 そして冒頭、何故待てなかったのか分からない、なんて言う言葉を聞くと、僕がいかにも一方的に押し倒したという印象だが、なんのなんの、これはどう考えても彼女にも責任の一端はあるはずだ。年頃の少年に思わせぶりな言葉で挑発しておいて、それはなかろう。


ちゃんが誘ったんじゃん。」


「そんなつもりじゃ、なかった・・・。」


「ほら、それ。口だけではそうやって言い逃れようとしてるけど、期待してる目だよ。」


 黒目を潤ませちゃって、懇願しているようにしか見えないのだ。すると目を逸らして瞑るなんて、幼稚な行動。
 どうせ始めてしまえば気持ち良くて抵抗も忘れてよがるのだ。この数日間も同じ様なやりとりをして、そして同じ様なことになったではないか。
 僕が彼女の首元に顔を埋め、顎の先から喉をつつっと舐めると、びくっと身体を硬直させる。微かに香る化粧の匂いと香水。じわりと湿る汗。ブラウスのボタンを外して、前を開き、着ているキャミソールを捲し上げる。僕の手が冷たいせいか、短くびくりと震えるちゃんがとても小さく見えて可愛らしい。しかしその時、ちゃんの指が僕の手首に触れて、滑り込もうとする僕を止める。


「お願い、鏡音くん・・・。今日だけは・・・。」


「今日も昨日もその前も、僕には変わらないと思うんだけど?」


「それでも、あと少しだけ待って。」


 唇も瞳も濡らしておいて、それはないだろう。しかしそう紡ぎながら時計に目を配らせるのを見て、僕もつられて時計に目をやると、あと数分ほどで日付が変わろうとしていた。それがどうだとは思うのだが、何か意味があるように思えて、僕はそれ以上強く出られない。否、出ようと思えば力ずくで捩じ伏せる事もかなうのだが、いくら目の前に横たわる身体の甘美な香りを知ってしまったと言えど、やはり好きな女性が真剣みを孕んだ瞳で訴えてくるのを無碍にすることは出来なかった。


「ごめん、そんなにちゃんが嫌ならやめるよ。」


「嫌、というか、今日は嫌なの・・・。」


 彼女の上に覆いかぶさっていた身体を起こし、僕がちゃんを起こそうと肩に手を掛けて力を軽く入れると、それにつられるように彼女も身体を起こした。今日は嫌、と言われると、なるほど。


「生理?危険日?」


「そ、そういう話ではなくて・・・。」


 あれなるほどと思ったことを否定され、僕は腑に落ちずに顔をしかめる。するとちゃんはブラウスのボタンを一つ一つ留めながら、僕の顔を見ずに口元を少しもぞもぞと動かした。


「あの、鏡音くんって、まだその・・・、私のことが、す、す、好きというか・・・。」


「好きだよ。疑ってるの?」


「疑ってるとかじゃないんだけれど・・・。」


 なんとも煮え切らない物言いに、僕はお預けを喰らった苛立ちも相まって、少し強く溜息を吐いてしまう。


「確かに、ちゃんとの約束を守らずに、セックスしちゃったけど、決して身体目的のつもりじゃあないよ。ちゃんが前に言ってた憧れ、とかも違う。僕は夏休みからこの約半年間も、毎日毎日・・・。」


「ちょっと、鏡音くん、それ以上はちょっと待って。」


 待って待って、なんでも待たせてばかりだな、と僕は少々呆れ返った。しかし腑に落ちない、苛々する、なんて思いながらも、彼女の言うとおり口を閉じて黙り込むあたり、僕はちゃんに対してなんやかんや弱いのだなあと実感させられる。


「あのね、今日は、私の話を聞いてほしいの。」


 ボタンを全て留め終えて、ちゃんが僕の手の甲にその小さな手を重ねてきて、静かにそう切り出した。その手が、少し震えているような、それでいて熱いような、未だかつて改まって手を重ねるなんてことは当然無かったため、違和感を覚えて、それが必要以上に僕を不安にさせてくる。


「うん、わかった。」


 僕は少し崩していた姿勢を直して、ベッドの淵に座りなおす。少し間をあけてから、ちゃんは意を決したようにゆっくりと顔を上げて、僕と視線を絡め、そして口を開いた。


「私ね、鏡音くんの好意にあぐらを掻いてた、と思うの。この前の夜も、鏡音くんの好意を知ってて、あんなこと、言っちゃったし・・・。」


「あんなこと?」


 どの発言のことだ、と僕が尋ねると、また少しもたつく。


「この前の、帰らないで、みたいな・・・やつ。」


 ああ、それのことか、と僕が頷くと、ちゃんは少し顔を赤らめた。その表情は幼くて、とても年上とは思えないのだが、それも彼女の魅力でもある。


「私、鏡音くんの気持ちに、今は応えられないって言ったのに、あんな風に鏡音くんを挑発するようなこと言ったりして、嫌な女だって思ったの。」


「嫌な女、なんて思ってはないし、僕は酔っ払ったちゃんの失言のおかげで、こうして好きな人の家に入り浸る都合のいい言い訳が出来たかなあ、っていう気がするくらいだよ。」


 逆に好都合でした、と言うのは気が引けるのだが、事実そうである。しかしちゃんはそんな僕の言葉に強く首を横に振った。


「私、わざと言ったの。」


 あの時、と加えて俯いたちゃんを見ながら、一瞬よく理解できずにきょとんとした。そして言葉の表面の意味を解しても尚、その理由は分からなかった。


「ごめん、鏡音くん。私、あの時、鏡音くんに帰ってほしくないって、思っちゃって・・・。はっきり返事してないのに、そんなことを言うのは自分勝手だって分かってたけど、言ったら鏡音くんが、どんな態度、取るかなって、私期待してた。」


 そこまでいうと、握りしめていた拳に力を込め、目をぎゅっと瞑り俯いた。僕は続きを促すように頷くだけで、それ以上は何も答えずに黙り込む。


「私、ずるいよね。鏡音くんが私のことを好きだって言ってくれることが心地よかった。でも鏡音くんはまだ私よりも若くて、きっと性欲もあるはずだし、ずっと私の半端な態度だけでは繋ぎ止められないって思った。そう思ったら、私・・・、試すような真似、しちゃった。・・・ううん、違う。私、鏡音くんと、したかったの。絶対に、鏡音くんのこと、手放したくないって・・・。」


 これは、もしやまた誘っているのか、いや、したいと言っているのだから誘っているに決まっている、と確信を持った。僕が今一度、ちゃんの細い手首を掴むと彼女は顔をあげて、ちらりと時計に視線を送った。またつられるように僕もそちらに目をやると、時刻は深夜十二時を少し回った。終電までもう少し、明日は高校生活最後の行事、卒業式なのだから、流石に家に帰らなくてはならないのだが、そんなことは言い出せなかった。するとちゃんが小さな声で、変わった、と呟いた。その囁くような声に僕が疑問の声を漏らすと、彼女は視線をまた僕に向ける。


「日付変わった。鏡音くん、今日で高校卒業、でしょ。」


「あ、うん。そうだね。」


「約束の卒業の日になった、から。」


 そう言って彼女の手首を掴んだ僕の手に、空いた手で彼女のそれを重ねてくる。


「本当は卒業式が終わってからの方がいいのかも、しれないけど。約束は卒業の日、だったから、ちょっと早いかもしれないけど、私言いたいの。」


 言いたいの、と言い出す彼女に、僕は不意を突かれたせいでぽかんとしてしまう。てっきり卒業式の後、という意味だと当然思っていた。それに、先週から変わってしまった関係に、あの約束は流れてしまったのではないか、というような気もしていたのだ。だからこそ僕はこの展開に、瞬時についていけなくて、すぐに言葉を紡げなかった。しかし、ちゃんはそんなことには構っていられない、なりふり構わないというような風で、先程の弱々しい雰囲気を一変、力強い瞳で僕を見据えた。瞬間、どきりとしてしまう。


「私、鏡音くんが、好き。あの時、鏡音くんが私に好きだって言ってくれた日から、私、ずっとどきどきしてた。本当は・・・。」


「うん。」


 ようやく絞り出せたのは、そんな短い相槌だった。


「本当は、もっと・・・、あの時みたいに、キス、してほしかった・・・。」


 そう言って、何故だかぽろぽろとその瞳から、涙が溢れだすものだから、僕は居ても立ってもいられず、彼女の華奢な身体を抱きしめた。震えているのはちゃんの身体、あるいは興奮ゆえに僕が震えているのかもしれない。僕の腕の中で小さくなったちゃんが、僕の胸に顔をうずめている。


ちゃん、顔あげてよ。」


「い、今は無理・・・。泣いてるから・・・。」


「でも僕だってキス、したいよ。ちゃんと気持ちが通じてるキスがしたいよ。僕にこれ以上、まだ待てっていうの?」


 髪をそっと撫でて、彼女に顔をあげるようせがむと、少し間をあけて、ちゃんがゆっくり顔を上げた。涙で目の周りも、頬も濡れていることはさることながら、恥ずかしいのだろうか、顔が真っ赤になっている姿が愛おしい。奪うようにキスをしたい気持ちを抑えて、ゆっくりその唇に触れると、やはりそこは湿っていて、愛おしさが増してくる。


「鏡音くん、待たせて、ごめんなさい。あの、でも、明日の卒業式だけは、ちゃんと先生と生徒で、いてね?」


 不安そうな瞳で僕を覗き込んで、そんな当然のことを改めて言うのだから、僕は思わず噴き出した。


「でも、もう先生とはとてもじゃないけど、思えないなあ。」


 からかうように僕が言うと、ちゃんはもうっ、と肩をいからせる。僕が笑うとつられるように笑ってくれる。


「あ、鏡音くん、終電は・・・。」


「あ、やばい。もう間に合わないや・・・。」


 終電まであと五分ほど、駅までは十分はかかろうという所なので、流石に間に合わない。ちゃんはやってしまった、という気まずそうな表情をして僕を見つめる。


「泊まっていってもいい?」


 僕が片頬を吊り上げてにやりと笑って尋ねると、やはり顔を真っ赤にさせて、首を横に振った。


「卒業式終わるまでは先生と生徒でしょう。だめ、タクシー呼ぶから。」


 そう言って手早く携帯電話でタクシー会社の電話番号を調べて掛けてしまい、家の前まで呼んでしまうのだから。


「つまらない。」


「今日で最後だから、ね?」


 そんなのは大人の都合じゃないか、と思いつつ、そんな我儘を言うほど子供でもない。
 タクシーが家の前まできたため、僕は立ち上がり、ちゃんが玄関先まで送ってくれるので余計に名残惜しい、と思いつつも靴を履く。


「鏡音くん。」


 靴を履き終えて腰を上げた所で呼ばれて、彼女に向き直ると手を取られて、つんつんと弱い力で引っ張られる。僕を見つめて体を寄せてくる。
 これはたまらない。
 せがまれるままに短くキスをする。


「また明日ね。」


 控えめに微笑む彼女が手を振る。


「うん、また明日、ね。」






 今日も明日も明後日も、またね、と毎日約束を繰り返そう












―あとがき―
茜色に狂う、のTALIです。
途中までは裏夢で書いていたのですが、どうも久し振りに書いてみると気持ち悪い仕上がりになってしまう上に、元の話が裏ではないので、苦手な方に申し訳がないのでやめました。
きっちり約束を守れるようなロマンスが理想なのでしょうが、現実は多分、学生の性欲の前ではそうもいかないだろうなあ、という夢も何もない夢小説です。

160812















































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