ドリーム小説  十五と十七
 中学生と高校生
 背伸びをすることに飽きた俺と
 ちょっと背伸びを覚えた年頃の君
 予定外の恋模様






 なんで夏休みだというのに、クラス委員だというだけで登校しなくてはならないのか。そんな不満の声が上がっていた。俺はと言うとそんな周りの同級生に同意の姿勢を見せつつも、そんな唇を尖らせてまで不満を言うほどでは無かった。
 学校は好きだ。授業やクラスメイト達だけではなく、学生である時間というものに意義を見出していた。そんなことを言えばお堅い奴だと笑われるのだが、皆が思うほど難しいことではない。ただ学生の一日というものはかけがえのないものだと、昔から大人が言うことをなるほどと思うだけだった。


「Eグループの皆さん、揃いましたか?次は外を案内します。整列して下さい。」


 体験入学、とは言っても彼らにすれば校内の案内や、予め決められた謳い文句を聞かされるだけの退屈なものに違いない。学校内を練り歩きながら、何かしらの部室や活動現場に行けばそこでその部活動の説明をする。俺はそれでも、決められた役割を果たすべく、本日担当することとなったEグループとやらの割り振りに当てはめられた中学三年生を案内するに至る。
 北校舎、東校舎と分かれる変わった作りの校舎だ。北、東を案内し終えたらグラウンドを案内してから、南校舎と謳っているものの、その殆どが屋外活動する部活の部室となっている一階だての小屋みたいなものを紹介する手順だった。屋内案内で割と時間が掛かるので、ここいらで御手洗休憩として、五分間、俺は休憩を与えたのだ。時計がきりの良い時刻を示したので使い古しのプラカードを頭上で振ると、来年入学するかしないか、まだどちらに転ぶか分からない二つ下の学生が注目する。
 十二人とされていたグループの人数を数えようと一歩踏み出した時、挙手する学生がいた。


「すみません、私の後ろに居た人がまだ戻って来てません。」


 挙手した女子中学生がそう言うので、俺は急いで黒い頭の数を目視で数えた。十一だ、二度数えても十一であった。


「ええと・・・、その方の名前とか分かりますか?」


「名前はわからないですけど、髪がこれくらいの・・・、ここら辺の制服じゃあなかったです。濃い緑色のチェック柄のブレザーでした。」


 挙手してくれた女子中学生の言葉を聞いて、そういえば一番始めに校庭で整列させた時に、見慣れない制服の子が居たことを思い出した。よく見ると確かにそう認識して居た女子が一人欠けていることが分かった。どことなく他の者達とは違い凛とした綺麗な顔立ちの、しかしどことなく澄ました女の子だったことは覚えていた。
 まさか自分の引率した所から迷子が出るとは思わなかった。


「皆さん、ちょっと待ってて下さい。」


 整列したままの未来の後輩にそう言って、俺はたまたま近くを通りかかった部活の顧問の教師に事情を説明した。


「迷子か、校内放送掛けるか。名前は?」


「名前は分からないんですよね。」


「それじゃ校内放送掛けられないな。」


 校内放送を掛けた所で、例えば何処何処に来るようにと指示しても、迷子になるような人間が果たしてその指示通りに動くことなできるのか、甚だ疑問であった。


「見たらなんとなく分かるんですけどねえ。」


「なんだ、じゃあカイト、お前が探しに行け。俺が暫く引率しておこう。」


「やっぱりですか。」


 大方顧問している陸上部の練習の指導を抜け出して、休憩をしていたのだろう。真夏の炎天下の下、堪える気持ちも分からないではない。室内に居る事が出来る正当な理由が出来るとあって、先生は乗り気な調子であった。


 先生にこの後何処を周るのか引き継ぎをすると、彼はきっと歯を噛み締めて、図ったな、と睨まれた。何のことでしょう、と俺は笑う。
 次はグラウンドだ。彼は部員に責められる上に、抜け出した意味もなくなるだろう。
 グラウンドは一番案内が楽しみな所であったので、譲ってしまうのは惜しかった。俺の所属している陸上部への勧誘、勿論それは叶ったとて随分先の話ではあるのだが、やはり予め宣伝しておくに越したことはない。事情が事情なので仕方ないことだが、部に無関係の人間ではなく顧問に引率を頼めたことは不幸中の幸いであったかもしれない。いずれにせよ、早く迷子を探し出して、彼女への部の宣伝も間に合わせたいものだ。


 体験入学に来た集団と離れ、俺は走ってトイレの方へ行き、外から声を掛けてみたが、それと思しき人物は不在であった。そう迷うような場所ではないと思うのだが、人間には得手不得手がある。あの澄ました表情の少女が方向音痴だというのなら仕方あるまい。俺は辺りを小走りに回って、友人がいれば特徴を伝えて聞いてみたが見掛けていないとのことだった。


 迷子捜索を開始してから十分ほどが経ち、もうこれは見つけられないのではないかと諦め掛けたその時、後ろから名前を呼ばれた。振り返るとそこには先程、声を掛けた友人が居た。


「カイトがさっき言ってた子ってさ、これくらいの髪の、可愛い子だよな?」


「見つけたの?」


 友人が彼女を可愛いと評したことに、俺はなんだか気恥ずかしくて答えられずにそう尋ね返すと、彼は少し困った様子で声を漏らした。


「今、部長の所に用事があって行ったんだけど、うちの部長が多分それっぽい子と話してたよ。」


 彼の言葉に俺の眉がピクリとした。友人の所属しているサッカー部の部長といえば、女子生徒との噂が絶えない、兎にも角にも女好きと評判の三年生だった。


「で、声掛けてくれなかったの?」


「嫌だよ、俺は部長苦手だもん。」


 見つけてくれたというのに、それなら一言彼女に声くらい掛けて欲しいというのは贅沢なのだろうか。俺は溜息を吐いた。


「カイト急いだ方がいいと思うよ。うちの部長強引だからさあ。」


 情けない、と苦笑いする友人に、どこの教室に居たのか聞いて俺は走り出した。






 三年生の教室がある階まで走り、目的の教室へいざ、と思った所でちょうど彼女がこちらに歩いてくる姿が見えた。サッカー部の部長の姿は無い。どういうことだ、と思っていると彼女がこちらに気付いたようで顔を明るくさせた。


「すみません!迷子になってました!」


 大きな声で叫ぶ彼女に俺は駆け寄った。彼女もそんな俺につられたようにパタパタと上履きを鳴らして小走りで向かって来た。


「良かった、見つかって・・・。」


 安堵からなのか、それとも単純に疲れたのか、どっと肩が重く感じた。


「すみません、なんか逆方向に歩いて来たのかなあ。全然みんなの所に行けなくて、気づいたら渡り廊下まで通過しちゃいました。」


 からりと笑って、こちらの気も知らずに茶目っ気たっぷりに言うものだから、俺も笑ってしまった。


「あ、変な先輩に絡まれなかった?」


「変な先輩、ですか?ああ、さっき三年生の人に青い髪の人を見ませんでしたかって話をしたら、連絡先渡されましたけど・・・。」


 それかなあ、と続ける彼女はなんてことないという調子だ。


「絡まれてるって聞いたから走ってきたんだけどね。」


 そう聞く前から走っていた気もするけれど、まあ野暮な話だ。俺の言葉に彼女は破顔した。澄まして見えた表情が一気に幼くなって、友人が可愛いと評した意味を理解した。


「走って来て下さって嬉しかったです。一生懸命探してくれたんだなあって・・・私が言うのもおかしいんですけど。」


 ありがとうございます、と続けて頭を下げられた。


「いえいえ、えっと・・・何さん?」


「あ、です。カイト先輩ですよね?さっきの三年生の人達が言ってました。二年で一番のイケメンでライバルだとか。」


「褒められてるみたいだけど、ライバルだった覚えはまるでないんだけどね・・・。」


 反応に困ることを言われて苦笑すると、彼女、さんはふふ、とちらりと白い歯を覗かせて笑った。その笑顔に、俺はうずうずとこそばゆい思いだった。


 とりあえず皆の元へ戻ろうと歩き出す。
 俺は歩くのが速いと言われる。陸上で走っているからなのか、付け加えて背丈があるせいか、よく周囲の友人に歩調を合わせろと叱られる。さんをまた置いて行って迷子になられないよう、俺はゆっくりと歩いた。


「カイト先輩、髪の毛すごく綺麗な色ですね。」


 ふと唐突に言われて、俺は彼女の方を見た。よく言われる言葉だった。そして言われ慣れていても嬉しかった。なかなか手入れの面倒な色なのだ。脱色してカラーリングしているのだから当然痛んでいる。女の子と同じくらい、もしくはそれ以上にケアを怠らないという努力の上にある色だ。


「ありがとう、よく言われます。」


 俺が冗談にそう答えると、でしょうね、と笑いかけられた。


「でも私、髪の色とか、顔とかじゃなくて、なんていうんでしょう・・・、カイト先輩ってこう、あったかい感じがして、良いですね。」


 何を言い出すのだこの子は、と俺はひっくり返りたくなる。苦手だ、こういう類の不意打ちは。顔が熱くなっていくのが分かったので俺はそそくさと視線をそらした。一度ぐっと歯を食いしばる。赤面しないようにする時は決まってそうしている。小さくばれないように深呼吸をしてから、さんを見る。装いとしては逡巡したと言うように見せて。


「それはあんまり言われないかなあ。」


「そうですか?なんだろう、なんかほくほくしますよ。」


 食べ物のことでも言っているのか、と思うような表現で思わず噴き出した。


「あれ、私変なこと言いました?」


「・・・いやあ、ほくほくって面白いなあと思ってね。」


「あ、ちょっと変でしたね、すみません。」


 はは、とあどけなく笑うさんを、俺はずっと見ていたかった。


「なんかさん、話してみると印象が違うね。」


「ええ?どんな印象だったんですか?」


「なんていうか、凄く澄ました感じに見えたからさ。」


 正直に答えるのは失礼かとは思いつつも、適当な言葉が見つからなかった。するとさんは意外だとでも思ったのか、少し考えるような顔をしてから、思い当たることがあったのか、目をくりっと開いた。


「それ、緊張してたからなんですよ。私、二つ隣の県から来たんです。だから知り合いも居ないし、一人だからちょっと寂しくて。でもそう思われたくないから、さも、一人が好きなんですって顔してたんですよ。」


 二つ隣の県、と言われて、俺は驚いたのと同時に落胆した。ならばきっと、うちに入学することは無さそうだ。何を思ってか、うちの学校の体験入学にきてはみたのだろうが、やはり現実的な距離は大きい。しかしそれと同時に、澄ましていた理由をこうもあっけらかんと答える彼女に、俺はとても好意的な気持ちになる。素直に言葉を紡ぐことの出来る人間は男女問わず好きだ。だからこそ、折角出会えたものの、今日これきりなのだろうと思うと勿体無いという気持ちだった。


「凄いね、そんなに遠くからわざわざ見に来たんだ。」


「はい、どうしてもここが良いんです。」


 力強い口調だ。そしてその言葉を聞いた俺は何故だか、否、何故だかだなんてそんな言葉は無意味だ。素直に嬉しいと思ったのだ。


「何でうちの高校が良いの?地元にも高校なんて幾らでもない?」


 嬉しいけれど、そう不思議に思って当然だろう。俺の質問にさんは少しくすぐったいような、口元をむずりと動かしてから、ゆっくりと口を開いた。


「なんていうか、自分を甘やかしたくないんです。地元にも、今の私で行ける高校は沢山あります。でもそれじゃあ嫌なんですよ。もっと高みへ、もっともっと、更に高く・・・ってやってたら、自分が頑張って通える距離ではここが精一杯なんです。」


 なんて格好つけたいだけですけど、と幼く笑う。そんなさんを俺は単純に格好良いと思った。


「凄い向上心だね。俺、今さんのこと格好良いって思ったよ。」


「えー、何言ってるんですか、照れます。」


 口調こそ冗談っぽく、しかし頬はほんの少し赤らんでいた。自分で言ってみて恥ずかしくなったのか。表情がころころと変わって、見ていて飽きない。

「だから、今の私が限界だって所に通ってるカイト先輩のこと、羨ましいですし尊敬しちゃいます。」


「ありがとう。来年から一緒に通えると良いね。」


 俺の言葉にはにかんで笑う。






 ゆっくりと歩き過ぎたせいか、グラウンドに着くと、既に南校舎の案内も終わってしまっていたようで、引率を頼んだ先生に遅い、と叱られた。その横で縮こまっているさんを俺は庇うような気持ちで後ろにやってとりあえず謝ると、さん以外の者は皆早々に体育館に行ったと言う。最後に校長からの挨拶を聞くために、終わったグループから体育館に行き、そこで全学生が揃ってから解散となる手筈だった。


「君も急ぎなさい。もう殆ど皆揃ってるかもしれないからね。」


 そうさんに言うと、頼んだ、と俺の肩を何故か叩いて彼は去って行った。


「そういうことだから、行こうか。」


「すみません、私のせいでなんか色々歩き回らせてしまって。」


「大丈夫、どっちにしても案内で歩き回る予定だったんだしね。」


 体育館まではすぐだ。渡り廊下を歩き、さんを送り届ける。引率はそこまでだった。本当は部活の紹介をちゃんとしたかったが、それよりももっと、彼女とは別の事を話してみたかった。それには時間が足りない。
 すぐに部活へ戻らないとならないのだ。俺は先日の大会で引退した先輩に引き継がれ、部長となったのだから。
 それなのにとても、さんを見送るのが惜しい気がした。


「今日はありがとうございました。」


 体育館の玄関口に到着するなり頭を下げる彼女に俺は笑い掛けた。


「どう致しまして。帰り道迷子にならないようにね。」


「なりませんよ!」


 そんな言葉を交わして手を振り合い、お互いに踵を返した。
 あれ程に意気込んでいたのだ、彼女はきっと来年から、同じ学び舎に来るに違いない。そうは思っても、もしかしたらこれが最後かも知れないという不安。連絡先を、今ならまだ聞けるのに。振り返ると彼女は靴を履き替えて、今正に体育館の戸に手をかけようとしていた。
 俺はその背中に向かって、何か言わなくてはいけないと、強く強く。


さん!」


 ちょっと大きな声で呼ぶと、すぐに彼女は振り返る。きょとんとした表情。


「来年、絶対うちに来てね。」


 応援なんてものではない。ただ、もう一度会いたい。


「はい!」


 大きな声で、とても嬉しそうに笑った彼女の返事に、俺は笑みが零れた。
 今度こそお別れだ、と俺が手を振ると、彼女は手を振りかけてからその手を下ろした。何事かと思うと、上履きのまま玄関口の戸の前までやってくる。俺は自然とそこまでまた歩んだ。


「カイト先輩、分かりましたよ。」


「え、何が?」


 突然の切り出しに今度は俺がきょとんとすると、にんまりと口角を上げ、俺を見上げてくる。


「カイト先輩の声が、心があったかくなる理由みたいです。じゃあ。」


 言い捨てるようにそれだけ言うと、さんは急ぎ足で体育館の中へと消えてしまった。
 俺はと言うと、暫くそこに呆然と立ち尽くした。






「部長、遅いですよ。サボリですか?」


 部活へ戻ると走り高跳びを一緒にやっている後輩がむすっとして待ち構えていた。俺がごめんごめん、と謝ると、彼は何か不思議なものでも見るように俺の顔をじっと見た。


「部長、体調悪いんですか?」


「え、どうして?」


 むしろ絶好調だ。胸が高鳴って、俺は今日だけではない、明日も明後日も、毎日が一気に過ぎ去り、早く桜の季節が来れば良いと思った。
 そうすればまた、彼女に会える。彼女にもう一度、会いたい。この鼓動の脈拍数、俺は知っている。子供ではないのだから。


「熱あるんじゃないですか?顔真っ赤ですよ。」


 月並みの言葉で言えば、そうだ、恋に落ちたのだ。






「カイト先輩!」


 駅の構内で、約束の時間より五分程遅れたが走ってくる。それはもう、必死の形相だ。


「ご、めん、遅くなって・・・。」


「息切れてるね、怠け過ぎじゃない?」


「最近、走る時間、ないんだもん。」


 言葉を途切れ途切れに、それ程に全力で走って来てくれたのか。それ程に会いたいと思ってくれたのか。俺は嬉しくなってしまう。あの時のもそうだったのかもしれない。
 思わず笑みが零れた。


「ちょっと、何で笑うのー。」


 酷い、と睨め付けられたが、俺は上機嫌だった。


「何でもないよ、行こう。」


 迷子にならないようにね、と手を繋ぐと、は不満だと言うように下唇を突き出したが、それでも握り返してくれる。


「走ってきてくれて、ありがとう。」


 気障かも知れない、それでも思った時に言わないと伝わらない。言葉は生き物だ。
 は一瞬理解出来ないというような、ぽかんと阿呆面を見せたが、すぐに分かったのか、単純にお礼を言われて嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべる。


「カイト先輩も、ありがとう。」


 探してくれて、待っててくれて。






 あの時俺は十七で
 迷子の君は十五で
 高校生と中学生
 嵐のようにやってきた
 突然の恋模様
 一年越しの片想い


のためなら、どこへでも走って行くよ。」


 君は知らない
 俺がどれ程
 君に恋い焦がれたのか




















―あとがき―
このタイミングでカイト視点でヒロインとの出会いを書いてみました。
本編の30話で、あまりに報われない感じになったので。
書いていると本編のカイトが可哀想すぎて少し悲しくなりました。
高校生だと中学生がたかだか三つとかしか違わなくても子供に見えて恋になんか落ちない。
と思っていたのに、この野郎!という話です。
ちなみにヒロインはカイトがあの時恋に落ちたことを知らないという体です。

140821
 罪と罰を読んだ
 難しくて半分も理解出来ないのに
 その言葉が
 私に向けられたものなのだと
 錯覚する






「ええ?カイト先輩、来れないの?」


 通りに面したカウンターの椅子に腰掛けて、左の椅子を引いて同様に腰掛けようとしているカイト先輩へ私は唇を尖らせた。その要因となったのが、来週のお盆休みに私が実家へ帰省するのに付き合ってくれるという約束だった彼が急な話で、従兄弟が受験で此方に来る関係で大学やらの案内に付き合う羽目になったと言い出したからだった。


「ごめん、が帰るのは11日から四日間でしょう?従兄弟が来るのが12日でそこから二泊するらしくてさあ。初日だけ日帰りで行っても良いんだけど。」


 注文して彼が受け取っておいてくれたコーヒー二つと、小さなスコーンの乗ったトレーをカウンター置き、眉尻を下げるカイト先輩。流石にそんなに慌ただしい思いはさせられない、と私は仕方ないと納得した素振りを見せつつ、素直に引き下がるのも悔しいので唇をへの字に曲げたまま、冗談にカイト先輩を睨めつけた。


「本当ごめん、必ず埋め合わせするから。」


 両の掌を合わせてきゅっと目を瞑るという幼い態度で謝罪するカイト先輩に、私は本気で怒っているわけではない。ただ帰省中に小規模ではあるが花火大会があるのだ。一緒に見に行こうと約束していたので、その約を違えられたことが少し残念というだけだ。しかしこの祭に執着するような理由もなければ、既に大学の近くの花火祭りを一緒に見に行ったこともあるので、またの機会でも構わなかった。


「じゃあ今日の晩御飯は焼肉、カイト先輩の奢りね。」


 拗ねた顔を作ってそう言うとカイト先輩はくしゃりと笑って、とびきり美味しい上ロースを、と頷いてくれる。






 好きだ
 彼のことがとても好きだ
 それなのに傷付けてしまわないかと不安になるのは
 私に後ろめたい心が隠れているからなのか






 浴衣の着付けはお手の物である。母が昔から私にしてくれていたことを、そっくりそのまますれば良いだけだ。


「なんか少し見ない内に、ったら大人っぽくなったわね。」


 部屋から浴衣姿で出ると、母がしみじみとした口調で言うものだから少々気恥ずかしくなった。


「そりゃあもう大学生だもん。お母さんこそ、そんな言い方するなんて、おばさんくさくなっちゃったね。」


 悪戯にそう言うと母は笑った。


 私立中学時代の友人と祭へ行くことになっていた。久し振りに連絡をすると、向こうも会いたいと答えてくれたので、友人と二人で祭を練り歩くこととなった。
 車の免許を取得して、親の車を借りることの出来た彼女の迎えにより会場の近くの駐車場へ車を停めた。
 小規模とはいえど、近隣の住人でごった返す会場では、会話の声も自然と大きくなる。それが疎ましいと感じることはなく、少しだけ非現実的で、屋台の灯りにぼんやりと浮かされるような心持ちであった。


 本当ならば、隣にカイト先輩が並んで歩いてくれるはずだった今の時間を、私はやはり少しだけ淋しいと思いながらカランカランと下駄を鳴らして歩いた。しかしそのようなことを察されては失礼だ、と私は購入したラムネを感嘆の声を漏らしながら飲み下した。
 すると、微かな電子音が近くで鳴った。友人の携帯電話が鳴ったようである。彼女は携帯を操作して、どうやらメールらしいが、その内容に目を通していた。


「あ、待って。なんかね、彼氏も今日友達と来てるんだけど、合流しないかってメールが来た。」


 友人の言葉に私は戸惑った。わざわざ合流しようと言うことは、安直な考えだが、向こうは男だけでいるのではないだろうか。ありがちではあるが、例えば向こうも二人できていて、折角ならば男女で共にしようということではないだろうか。そうなると、益々私には気が進まなかった。カイト先輩はそのようなことで怒る人ではなかったが、やはり余計な心配は掛けたくない。


「彼氏さんは男友達と来てるの?」


 なんてことはない、という素振りで私が尋ねると、彼女はそうだと思う、とだけ答えて、ごめんと断ってから電話を掛け始めた。
 うん、噴水の近く、焼き鳥の屋台の前、わかった、待ってる。
 そんな言葉がぽつぽつと紡がれて、ものの数十秒で電話は終わった。


「近くにいるみたい。今からこっち来るって。」


 はっきりと嫌だと言えば良かった。だが、彼女を祭に誘った際に、恋人と行く約束を断ってでも、という言葉を聞いていた。本当ならその彼と来るはずだったのだろう、と思うと、彼女とて私が先程心の片隅に思った、ほんの少しの寂しさを感じているに違いない。何年振りかの急な誘いに乗ってくれた彼女に感謝こそすれど、面子を潰して良い理由はないはずだと自分に言い聞かせて、私達は通りの真ん中を避けて隅っこで待つことにした。


 本当に近くに居たのだろう、三分と経たない彼女の恋人が現れた。同じ高校に通っていた彼との付き合いを話には聞いていた。私が軽く挨拶をすると、彼も丁寧な姿勢で挨拶を返してくれるので、きっとこの彼ならば友人もまともに違いない、と私はまた誰ともなしに自分に言い聞かせた。


「友達、あっちで待たせてるんだ。ここ人通り多いからさ。」


 彼はそう言うと、彼女と私を連れて近くにある噴水広場まで案内してくれた。


「ごめん、お待たせ。」


 少し歩いてから噴水近くに佇む青年に彼が声を掛けた。私はその彼が呼び掛けたであろう青年の方をじっと見る。友人の恋人のその友人に対して、言い方は良くないとは思うが、変な男であれば適当な理由を付けて途中で帰ろうと思っていた。しかし祭の明るさで夜闇がぼんやりと照らされたその先に、確かに居るのは見覚えのある姿だった。


「んー、大丈・・・、え?」


 向こうは視線を上げるなり私を見て素っ頓狂な声を漏らした。更に数歩、自然とこちらが歩み寄ると、はっきりと顔が窺えた。


「え、っと・・・何でレンが、居るの?」


 まさか、こんな繋がりがあったとは思いも寄らなかった。


ちゃんこそ・・・って、ちゃんは実家に帰省かあ。」


「あれ、二人とも知り合いなの?」


 私の友人も彼女の恋人も驚いた様子で目をぱちくりさせる。


「うん、高校も一年間一緒で、今は大学も一緒なんだよね。」


 私の代わりにレンが答えてくれる。私もそれに頷くと、彼らは安心した表情である。


「あ、レンは俺の小学校の同級生なんだ。中学は俺が引っ越して学区変わったから別々なんだけどね。」


 友人の恋人がそう紹介してくれるのに、レンは頷いていた。


「まさか、レンがこんな所で会うなんて思わなかった。先週振り、かな?」


「そうだねえ、このまえスーパーで会ったもんね。」


 お互いに視線を合わせて笑う。否、私は笑えてる自信が無かった。


 ― 僕は、ちゃんを奪ってもいいの?


 あの日、レンの言葉に、頷けなかった。そしてそれ以上に、拒絶が出来なかった。タイミング良く掛かってきたカイト先輩からの電話に、話は有耶無耶となり、その後私はレンと一瞬でも二人きりになることを避けてきた。
 避ければ避ける程、安心するどころか、胸がはち切れそうになる。


「じゃあ話は早いね。」


 友人の恋人がそんな切り出し方で持ってして、何を言い出すのかと思うと、折角の祭なのだから、男女ペアで行動したいとのことだった。つまり、彼らは当初の予定通り二人で祭を周りたいのだろう。
 私は先程よりも気が進まなかった。カイト先輩が、もし私とレンが一緒だと知ったらどう思うか、態度には出さないがきっと嫌な気分にさせてしまうだろう。


 しかし、それでいて私は、レンと二人きりになれるということが自発的ではなく、あくまで他人からの発案がきっかけによるものだということに安堵し、そして胸が高鳴ることを禁じ得なかった。


 レンは私を少し伺うように見つめてきたので、私は小さく笑みを浮かべて頷いた。


「仕方ないなあ。いいよ、二人で楽しんできなよ。」


 レンの言葉に素直な喜びの色を見せて、彼らは私達に見送られて祭の雑踏へと消えて行った。






 沈黙が流れているというのに、祭の騒がしさに沈黙さえも掻き消される。


ちゃん、何か見たいのあるの?」


 少ししてからレンが切り出した言葉に、私は頭を振る。


「ん、ううん。もうね、さっき焼きそばも食べたし、ラムネも飲んだし、ほら、りんご飴も買ったから。」


 手に持っていたりんご飴を見せるとレンは小さく笑った。案外、緊張とは裏腹に、普通の会話ができるものであった。


「食べ物ばっかりじゃん。」


「だ、だって、金魚すくいとか射的って、実際この年になってからやりたいと思わなくなったからさあ。」


 必然的に食べ物に走るでしょ、と私が言うとレンは確かにと頷いた。


「じゃあさ、ここで座っていようよ。もう少しで花火始まるし、ここからなら見えやすいよ。」


 レンは噴水の囲いの縁に腰を掛けて、その隣をぽんと叩いて指し示した。おずおずと私は隣に腰掛ける。カランカランと下駄の鳴る音が其処彼処から聞こえてくる。心地の良いリズムだった。


「さっきの友達、小学校の頃、一番仲良かったんだよね。中学卒業するまでは結構遊んでたくらい。」


「そうなんだ。でもまさか、こんな所で繋がるなんてね。あ、私の友達も中学の同級生なんだ。何年振りに会ったんだろう、っていうくらい久しぶりだったの。」


 お互いに隣同士に住んでいたのに、高校の入学式まで会ったことも無かった。否、もしかしたらすれ違ったりしたことがあるかもしれない。しかしそれも無かっただろうと私は思っている。レンの容姿ならば、一度見れば忘れられるわけが無かった。
 なんとなく、会話がまた途切れてお互いに黙り込んだ。予定外に、まさかこうして、こんな所で鉢合わせると思っていなかったこともあり、上手く話せなかった。否が応でも、あの日のレンの言葉に、何か返事をしないといけないというような、焦燥感が胸に押し迫る。






「こっちに来ることになるなんて、思ってもみなかったんだけどさ。」


 暫くの沈黙をまた破ったのはレンの方であった。それはレンらしくない、唐突な切り出しだった。私が疑問符を浮かべてそちらを見ると、遠くを見つめていたレンがこちらを向いた。割と近くに座ってしまったせいで顔が近くてどぎまぎした。


「もう二度と、こっちの方には来ないって思ったんだけど、ね。この前、なんとなく、昔のアルバムを見てたの。そうしたらさ、僕がお爺ちゃんと一緒に浴衣を着て、このお祭に来てた時の写真があったんだ。多分幼稚園くらいの時の。それを見たら、なんていうか・・・。」


 歯切れの悪い、珍しいレンの口調に、ほんの少し戸惑いが窺えた。私はレンの言葉を待つ。


「お爺ちゃんと周ったお祭に、もう一度来たかったんだ。それと、お爺ちゃんの家、まだ残ってるでしょう?僕の親が管理することになむたんだ。誰も住まないんだろうけどね。」


「・・・うん。」


「もう一度だけ、あの家を見たかったの。僕、まだお爺ちゃんが死んだこと、信じられないんだ。なんか何処かで、ひょこっと顔出してきそうな気がしちゃってさ。」


 どうしてそんな話をするの、と私はレンの胸を叩きたかった。
 祭、屋台の灯り、ざわめき、非現実的な夜、レンの横顔。
 そういうものが、ずるいと思った。レンのことを、やはり放っておけない、側に居ないといけない、だなんて、今更なことを思ってしまう。


「お爺さんの家、行ったの?」


 私がようやっとそう尋ねると、レンは瞳を伏せて首を振った。


「まだ。一昨日こっちに来て、さっきの友達の家にお邪魔してたんだ。でもあいつはバイトとかあるし、日中色々回る時間があったから、行こうとは思ったんだけど・・・、なんか怖くて。」


 へへ、と誤魔化すような笑みで語るレンは、今にも泣き出しそうだった。


「お祭が終わったらその足で帰るつもりだから、今日こそ見なきゃって、昼間は思ってたんだけどね。駄目だったんだ。」


 寂しそうな声で、レンがぽつぽつと、いつになく饒舌に語るのを、私は胸が締め付けられる思いで聞いていた。


「ふふ、ちゃんがなんでそんな顔するの?ごめんね、変な話して。」


「だって・・・、なんか思い出すと、胸が痛いんだもん・・・。」


 素直な気持ちを述べると、レンはからっと笑った。それでも私の思い込みからなのか、寂しそうに見えた。


ちゃんはいつ帰るの?」


 さもこの場の空気を変えようとするかの如く、レンが何時ものような柔らかい口調で尋ねてきた。そういえばもう今日で四日目である。


「明日の昼には、出ようかなって。」


「そっかあ。じゃあまたすぐ向こうで会えるね。」


 なんてことはない、ただまたいつも通りである、と言いたいのだろうが、その言い方に何か、私の心がちりちりと音を立てて焼けるような、熱っぽいものを感じた。


「うん、大学もまた始まるしね。」


 それに気付かない振りをして、私は頷いた。その瞬間、上空に向かって放たれた破裂音に、二人同時に顔を上げた。
 夏の乾いた空気に似合う、乾いた音であった。赤色、続いて黄色、青色、緑色、と光が放たれては方々に散って行く。


「小規模だって言っても、やっぱりこうやって近くで花火を見ると、なんていうかさあ。」


 私は空を見上げながら、レンに話しかける。しかし、なんて表現すれば、この感覚が伝わるのであったか、言葉を忘れてしまってつっかえた。


「血湧き肉躍る、って感じ?」


「そうそう!小さい頃はこんなに暗くなるまで外で遊べなかったでしょう?だけど、お祭の夜だけは友達とか家族で外に出て、こうして練り歩くじゃん。それが幼心に凄く特別なことだって思って高揚感があってさあ。」


 私は夜空を視界いっぱいに見つめたまま、レンにこの昂りを伝える。


「分かるよ。なんかこの年になっても、お祭に来るとその時と同じようなドキドキがあるよね。」


「うんうん、そうなの。だからお祭って好きだなあ。」


 分かってくれて嬉しい。そう思って、私はレンの方を見ると、花火を見ているとばかり思っていたレンと視線が絡んだ。ただ目が合っただけだというのに、罪悪感に駆られて、瞬間、目を逸らした。


ちゃん。」


 ばくんばくんと、鼓動を押し上げるような声。レンの方を今、見ることは出来ない。
 しかし、縁に置いた私の手に、レンの、やはり心地よい程冷たい手が重ねられた。


「お願い、こっち向いて。」


 切なくなるような声で懇願される。私は、ぎこちなく言われるがままに従ってレンを見た。
 翡翠色の瞳が灯りに照らされて、ゆらゆらと頼りなく揺らぐ。


「好きなんだ、今でも。ちゃんのことが、大好きなんだよ。今すぐ抱きしめたいくらい。」


 しんとした声だった。急に二人だけ、外の世界と遮断されてしまったかのように、静かに感じる。この異様なまでに早鐘を打つ鼓動を、レンに聞かれはしないかと思うと、余計に高鳴る。


「嫌ならそうだって言って。じゃないと僕、いつまでもちゃんのこと、諦められないよ。」


 重ねられた手が指を絡め取って握られる。私は声を失って拒絶が出来なくなってしまった。


 違う、本当は、心から嫌だと思っていないのだ。
 レンの金糸の香りに包まれるような抱擁を、私は今でも鮮明に思い起こすことが出来る。


 抱きしめて
 そう言いたくなるのを堪えて、嫌だと言わなくちゃ。


ちゃん、ずるいよ。」


 言わなくちゃ、と心で唱えるだけで口を開かない私に、レンは泣きそうな声を出した。
 逸らした視線が、レンの手に引き寄せられて体ごと奪われる。瞬間、視線が絡まると、懐かしい香りが鼻を掠め、抱きすくめられた。
 抵抗も出来ず、否、そもそも私には抵抗なんてする気がなかったのだ。


「ずるい。」


 本当にずるい、私は受け身でいることで良心の呵責から逃げているのだ。それはレンにも伝わっているのだろう。二度目の声は、先よりも震えていた。その震えがレンの胸をも震わせている。抱きとめられたレンの体から、私にも響いてきた。


「私は、ずるいよ。最低なのもわかってる。でも・・・。」


 どうしてもこの腕を離してほしくない。ほとんど力のこもっていない柔らかい抱擁を、私は突き放すことだって出来るのに。


「ずるくても良いよ。」


 花火の上がっている音が聴こえる。それよりも遥かに、レンの鼓動と声が心地良かった。私を胸に抱いていたレンがそっと呟くと、私の体を少し緩めて、至近距離から顔を覗かれる。
 逸らすことの出来ない、抗えない視線。







「ずるくても良いから、もう一度ちゃんの気持ちが欲しいよ。」






 いつの間にか掴んでいた、レンの服の裾。まるでこれが今の私に出来る精一杯の答えだというように。


 触れる唇から逃げる術を、私は知らない。




















―あとがき―
ようやく一気にレンが距離を縮められたような気がします。
本当はヒロインと交際を始めたばかりのカイトにレンが挑発するシーンが書きたかったですが、更新停滞中に忘れてしまっていました。
嫉妬むき出しのカイトにレンが余裕の笑みで、ヒロインの処女を奪ったのは自分だとか言いのける、最低なレンを書きたかった。
ともあれ、私はこの連載のレンが気に入っているので、レンに良い思いをさせてあげたいものです。

140815














































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