レンの全てを手に入れたのだ。 自惚れて頭がおかしくなったわけじゃない。 レンの体は私の熱を吸い取るには充分なほどひやりとしていたのだから 私は冷静すぎるほど、落ち着いてそう考えることが出来た。 「ちゃん、お疲れ様。」 部活を終えて更衣室を出ると、レンがひらひらと手を振ってベンチから微笑みかけてくれた。最近のレンは毎日こうしてくれる。これだけではない。私が部活に励んでいる最中も、ずっと見学をしている。それが公認になるには充分な時間が過ぎていた。私とレンが付き合って三ヶ月が経つ。幾度となく体も重ねて、私達は恐ろしいほどに幸せだった。 「いつもありがとう。」 待っていてくれて、と付け加えるとレンがあったかく笑う。私達は明日から夏休みを迎える。レンは明日から行われる補習授業を、間一髪のところで免れて随分機嫌が良い。それも大袈裟なほどにだ。終業式のあとの部活は夕方には終わる。それはあらかじめ私もレンも知っていて、レンが急に提案してきたことがある。それが機嫌の良さの理由に大きく携わっていることは確かだ。 「今日はお化粧ばっちりだね。」 レンはあどけなく笑って、ベンチから立ち上がると私の顔を覗き込むようにずいっと近付いた。 「そりゃあ、レンの家にお邪魔するんだし・・・。」 そうなのだ、レンが先日提案してきたというのは、そのことだ。レンのお爺さんが私と話をしてみたいと言っているらしく、レンも私とその大好きなお爺さんを会わせたいと思っていたようで、「終業式の日、部活早く終わるんだし、せっかくだから御飯食べにきなよ。」とニコニコと微笑みを浮かべて言ってきたのが発端だ。私は今日の今日まで気が気ではなく、どんな服を着ていけばいいのかとか、化粧はいつもよりナチュラルの方がいいのか、それともレンの美しさに釣り合えるように尽力して化粧を施すのか、そんなことを考えていた。結局はナチュラルメイクに収まり、服といっても正装を持ち合わせているわけでもないので、普段通りのものに決めた。 「おじいちゃん待ってるし、早く帰ろう?」 レンは無邪気な子供のように私の手を取る。私は頷いて、近くにいた先輩達に挨拶する。男子の先輩には「鏡音いいなあ」と、女子の先輩には「仲良しだね」などと声を掛けられながら、改めて公認のカップルであることにこっぱずかしい気分になった。部長のカイト先輩にも会釈して挨拶すると、ニコニコしながら手を振ってくれる。横ではレンが上機嫌。こんな幸せはない。 「ああ、緊張するなあ。」 私は内から溢れ出る不安を隠せずに呟いた。 「なんで?化粧もばっちりだし、服も可愛いよ?」 レンと一緒に私の家に帰って、レンをリビングで待たせた。私はその間に化粧のチェックと決めていた服に着替えたのだが、今更になってこんな服でいいのか、やはり化粧は濃いめにした方が良かったのかなんてことが頭で駆け巡った。レンは私が部屋から出てくるなり楽しそうに笑ってくれるが、私は笑えない。 「だって、レンのおじいさんにあうんだよ?緊張しない方がおかしいよ。」 口にしながら益々募る不安に私は倒れそうだ。 「前に僕のおじいちゃんと会ってみたいって言ってたじゃん。それで僕のことをいろいろ聞くんでしょう?」 確かに以前、レンが一緒に暮らしているおじいさんの話をした時はそんなことを言った気もしたが、その時はまさかこんなことになるとは思ってもみなかったので言えたに違いない。私はそう考えながら、未だ緊張で上手く言葉が紡げずにいた。 「それに僕だって、ちゃんのママとパパに会うのは緊張したけど、今じゃあ仲良しじゃん。ちゃんも大丈夫だよ。」 初めて母に、そして父に会った日のレンを思い出す。あれで緊張していたというのなら、やはりレンには向かう所敵無しのようだ。そんなことを言ってるレンに冷たい紅茶を出しながら母が照れ笑いを浮かべる。 「レンくんはかっこいい上にちゃんとした子だから、お父さんも何も言えないのよ。」 何も言えないどころか、「ラッキーだな、。」と笑っていた父を思い出す。幸運ではあるが、私達の運命をそんな扱い方はしてほしくないのだ。私はもうレンと随分仲良しな母を見ながら、まんざら悪い気もしなかった。 「そういえば、おじいちゃんがこの前ママさんが作ってくれた筑前煮が美味しかったから御礼言っておいてって言ってました。本当に美味しかったです。また食べたいなあ。」 レンは紅茶を受け取って御礼を言うなりまた御礼をする。すっかり我が家に馴染んでいるレンが我が家に何度目かの食事をしにきた日のおかずを、母が余ったからと言ってレンに渡したのだ。レンは厚かましいくらいの笑顔で「また食べたい」と言ったけれど、誰ひとりとして気分を害さない。それは年相応の幼い台詞であったし、何よりレンの言葉にお世辞のカケラも見受けられないからだろう。母はすっかり気分を良くして喜んでいる。 「レン、そろそろ行かないの?」 時計は七時を回ろうとしていた。かれこれ我が家で団欒を始めて一時間は経過する。私の準備に時間が掛かったのもあるのだが、私はそわそわしており、その気持ちに早く決着を付けたかった。 「そうだね。あ、紅茶ご馳走様でした。」 レンは飲み干したカップを持って立ち上がり、キッチンの流し台にそっと置いた。レンのあまりにも自然なその行動は母が気付くよりも早く終わってしまう。一番最初にそんなことをしてのけた日に母は「そのままで良かったのに。」と言ったものの、レンがそれに対して何も言わず微笑んだものだから、その母もそれ以降は甘えっぱなしだ。ただ食器を下げるだけのことをあまりに優雅な身のこなしでするものだから、私も母も言葉を失って見つめてしまう。 「いつもありがとうね、レンくん。」 キッチンから私の手を取りに戻ってきたレンに母がそういうと、レンは控えめな幼い笑みを返した。 「ご迷惑のないようにね。」 「うん、行ってくる。」 「ちゃんお借りします。お邪魔しました。」 母の言葉に私達は各々返事をして玄関から出た。 レンの家に行くのは初めてで、外観は普通の一軒家なのだが、中にはとんでもない空間が待ち受けているのではないかという不安があった。レンを鞄からキーケースを取り出して家の鍵を手にした瞬間、私の心臓がまるで魚のように跳ねた気がした。 「ちゃん、緊張しすぎ。」 いい加減呆れたとでもいうようにレンは言うけれど、私は唸るしかできない。 「何もおじいちゃんがちゃんを取って食おうってわけじゃないんだし。」 そう言ってレンは鍵穴に差し込みかけた鍵を引いた。 「ちゃん。」 レンに呼ばれてようやく私は顔を上げた。するとレンが私の頭を抱えるようにして長いキスを落とす。突然のことに目を少しの間開けてしまっていたが、レンが彫刻のようにあまりにも美しかったのでドキリとして目を閉じた。少ししてレンが解放すると、私の目を覗き込む。 「緊張が解ける魔法。効いた?」 悪戯っ子のように笑うレンが尋ねてくるけれど、答えは決まってノーだ。 「レンの方にドキドキするじゃん・・・。」 あんな綺麗な顔で私に近付いて、罪な人だ。するとレンは声を出して笑って、素早く鍵を開けた。 「効き目抜群じゃん。」 レンはそう言って戸を開いたのだ。 「おじいちゃん、ちゃん来たよ。」 レンは靴を脱ぐなり大きな声でそういうと、私を中に入るよう手で促した。私は緊張で震えそうな声を必死に抑える。 「お邪魔します。」 どこにいるかも分からないレンのおじいさんに届くように少し大きめの声でそういって、私は履いていたパンプスを脱いだ。すると奥から色白なおじいさんがゆっくりとした足取りでこちらへやってきた。 「いらっしゃい。」 目尻に刻まれた皺と少し色の抜けた茶色の髪の毛、そしてすらりと高い鼻筋が印象的だった。 「初めまして。です。今日はお招きいただいてありがとうございます。」 私は頭を深くさげた。わざとらしすぎる敬語だったかとか色々な思考が邪魔をしそうだ。そんな私におじいさんは歩み寄って微笑んでくれた。レンと一緒の空色の瞳だ。 「こちらこそ来てくれてありがとう。レンからちゃんの話は沢山聞いてるよ。いつもありがとう。」 優しさが容量オーバーしてしまったのだろうか、声から目元から握手を求めてくる指先から、温かさが滲み出てきており、私は安堵のあまり笑顔になった。 「いえ、こちらこそ。今日はお会い出来て本当に嬉しいです。」 求められた手に自分の手を重ねて私はそう話した。 「ね、普通のおじいちゃんでしょう?」 安堵しきって口調がいつも通りの流暢さを取り戻した私に、レンは横で幼く緩ませた口元でそう言う。私は少し照れ臭くて頷くだけで返事を返した。 レンの家は私が想像していたよりも普通だった。どうもレンが相手だと部屋に高級感がありそうな気がしたり、無駄なほどに清潔だったりという想像をしてしまう。しかし家の中には普通の家具と普通の電化製品、フローリングは私の家と変わらない茶色の木目調のものだ。私は余計にほっとした。 「まだ作ってる最中でね。まさかこんな早く帰ってくるとは思わなかったものだから。」 リビングに通されるとこんがりとした特有な匂いがした。おじいさんはそう言ってキッチンまで行くとフライパンの中身を確かめる。 「今日の御飯何?」 間延びした声色でレンが対面式キッチンの向こうに挟んだおじいさんに尋ねた。 「無難なハンバーグだよ。」 おじいさんの口からそんな言葉が飛び出して私は面白くなる。若者みたいな言葉の使い方で、それはきっと孫であるレンと普段から会話をしている内に影響されたものなのだと思った。そう考えると心の中がぽかぽかとする。 「やった。おじいちゃんのハンバーグ大好きなんだよね。ソースが本当に美味しいんだよ。」 レンが光りを集めて発光するような笑顔で私に話す。私は少しワクワクしながらおじいさんを見た。 「私ハンバーグ大好きです。楽しみ!」 思わず幼い声でそう言うと、おじいさんはくしゃくしゃと笑った。 「何かお手伝い出来ることとかありませんか?」 私はそうおじいさんに続けて尋ねたが、彼は柔らかい笑みを崩すことなく口を開いた。 「いや、気持ちだけで充分だよ。せっかく来ていただいたから今日は御馳走したいんだよ。そうだ、まだもう少し時間が掛かりそうだから、ちゃんを部屋に案内してあげたらいいじゃないか。」 おじいさんは閃いた、とでも言うようにレンに提案する。レンが一瞬躊躇った表情を浮かべたのを私は見逃さなかった。何か困ることがあるのかと、私はレンの顔を見つめて訴えた。するとそれに気付いたレンは私を見て、子供のように唇を尖らせた。 「女の子を部屋に入れるなんて初めてだから恥ずかしいんだよ。」 俯き気味の顔には浮いてしまいそうなほど綺麗な瞳で、上目使いに訴えかけてくる。私は胸がきゅっと締め付けられるようなときめきを感じて笑顔になる。 「行きたい行きたい!いつも私の部屋は見てるんだから、いいでしょう?」 私はここにきて無駄なほど楽しくなってきた。明日からは夏休みだし、部活も昼の三時には終わるのだから、レンと沢山のことが出来るということが余計に興奮を高まらせて、私はついつい大きな声でレンに頼んだ。もともとレンとて本当に嫌がっていたわけではないので、私のその声にすんなり頷くと、キッチンで料理をしているおじいさんに一言添えてリビングを出た。 「レンの匂いがする!」 レンに案内されて連れて来られた部屋は、肺が満たされるほどレンの香水の香りと特有の香りがした。レンは香水が好きなようで、色々な種類の香水を使っている。気分によって変えていると以前聞いたことはあるけれど、最近はその法則を見つけた。学校にいる時はムスク系の妖艶な香水で、私と会う時は大体柑橘系のさっぱりした香水、そしてほんのたまに女性物のような甘い香水をつけている。最初の頃は私と会う時もその甘い香りを纏っていたレンだが、私がさっぱりとした柑橘系の香りを胸いっぱいに吸い込んで気に入ったと話してからは、それを覚えてくれていてその香りを使ってくれている。そして今もこの部屋にその香りと、レン特有の暖かい香りが充満していた。 「僕の?どんな香りなの?」 照れ臭そうに頬を少し上気で赤らめたままのレンがベッドのへりに腰をかけながらそう尋ねる。私は部屋のインテリアなどを見渡しながら、その空間に詰まった香りをまた大きく吸い込んだ。 「柑橘系のあの香水と、レンの温かくて優しい香りがする。」 夏場にさんさんと輝く太陽を浴びた布団のような心地良さに似ている気がする、と付け加えると、レンは声に出さず微笑んだ。 「ちゃん。」 そう私を呼んで、自分の足の間に座るようにポンポンとベッドを叩く。私はそれに従ってレンの座るベッドに歩み寄り、ちょっと照れ臭いと思いながらもレンの足の間に体を納めた。するとレンは私の体を後ろからぎゅっと腕を回して抱きしめる。 「こうするともっと香りがする?」 私の肩に顎を乗せて、レンが私の耳の下に唇が触れそうな距離でそう言った。興奮してしまいそうなほどの感覚に私は震えそうになるのを堪えて頷いた。 「うん、いい匂い。」 回された腕に手を添えて私は溶け出しそうな体を必死に繋ぎとめた。 「レンの部屋、本がいっぱい。」 先ほど目に入った本棚に目をやってそういうと、レンは頷いた。 「借りたい本あったら持っていっていいよ。僕、飽きるほど読んじゃったから。」 ぎっしり本が並んだ棚の下には、入りきらなかったのであろう本が積まれている。私も随分と本が好きだけれど、レンの持っている量は私のそれをはるかに上回った。 「ありがとう。ねえ、あれってもしかして軍物?」 私は初めて入るレンの部屋に興味津々で、目に入る様々な物のひとつひとつのことを聞きたかった。私が指差した先にあるのは、壁に打ち付けてある彫り細工のされた木目調のフックにかけられたよれっとしたリュックやショルダーバッグだった。 「よくわかったね。僕、軍物大好きなんだ。あの右端が確かチェコのやつで、その横がハンガリーだったかな。」 さらにその横からドイツ、スロヴァキア、フランス、ロシアなどなど、沢山のバッグを示してくれた。私は海外の雑貨やアンティーク、ミリタリー物がすきだったので、それを見てるだけで楽しくなってきて昂る気持ちを抑えられなかった。 「いいな、あのリュック凄い可愛い。どこで買ってきたの?」 「親のお土産とかもあるけど、あのリュックは雑貨屋で買ったんだよ。中学のときから凄い集めてるんだよね。」 「あ、もしかして駅の近くのワーゲンが停まってるところ?」 「そうそう、やっぱりちゃんも知ってたんだ。」 「うん、運命だね!」 私は嬉しくて大きな声で頷いた。私も知っているお店を、私の知らないころのレンも足を運んでいたと考えると、気持ちが昂って思わず笑みが零れてくる。 「また運命見つけちゃったね。」 レンはそういうと、自然と私の頬に小さな音を立ててキスをくれる。なんて愛しい人なのだろう。これ以上彼を愛することは出来ないと毎日のように思うのに、日に日に募る愛しさに私は破裂しそうだった。 「ちゃんの部屋も結構東欧の雑貨多いよね。僕が好きな感じのものが沢山あって、ほしいくらいだもん。」 「いいでしょう?ファブリックとか大好きだもん。」 あまりこの趣味を理解してくれる友人がいないので、それを大好きなレンと分かち合えることは本当に幸せだった。それから暫く私とレンはどちらとも口を開かないで、静かにお互いの体温を蝕み合うようにくっついていた。時たまレンが、私の頬や首筋に唇を添えて私の香りを嗅ぎ、満足げな吐息を漏らしたりする。 「ちゃん、大好きだよ。」 ふとレンがそんなことを呟くように紡いだので、私は顔を少し横に向けて、視界の端のレンを見つめた。レンは、顔を方に埋めたまま、上目遣いに私を見つめる。 「おじいちゃんと会ってくれて嬉しいんだ。僕、おじいちゃんが大好きだから、そんな大好きなおじいちゃんと大好きなちゃんが一緒にいるなんて、僕凄く満たされてる気がする。」 レンは本当に嬉しそうにそう言って瞳を閉じた。 「私もレンのおじいさんに会えて嬉しいよ。」 私が答えると、レンは照れ笑いをひとつして、私を抱きしめる腕に力を込めて、子供のように沢山キスをした。 ―あとがき― いつもより少し短めになりました。 レンとヒロインのファッションや好みは完璧に私になっています。 軍物やアンティーク、あとはコレクションブランドが好きっていうイメージで書いています。 ついでに出てきた雑貨屋さんは本当に私の家の近くにあります。 ワーゲンが停まっている東欧系雑貨屋さんです。 091007 |