ドリーム小説 ― 僕の運命の人になってくれない?


 私の頭の中は一昨日のレンの言葉がずっと巡っていた。とても嬉しくて頭がどうにかなりそうだ。昨日も結局レンが私の家へやってきて、早くも私の母公認の恋人となったが、レンの恋人だということにいまいち実感が沸かずにいた。鏡を見つめ軽い化粧を施しながら、私のこの顔がレンの横に並ぶのかと考えると、一層違和感を感じた。あの陶器のようなきめの細かい白い肌をした顔に、長い睫毛に縁取られた翡翠が私を見詰める様は、どうしても合わない光景だ。
 私は頭をリセットするよう心掛けてドレッサーから離れると、鞄を肩に掛け部屋から出る。


、時間大丈夫なの?レンくん待ってるんじゃない?」


 部屋から出るなりお母さんにそう言われて、私は口を尖らせた。


「大丈夫、もう出るよ。あ、今日から仮入部だから、帰り遅くなると思う。レンが送ってくれるから心配しないでね。なんかあったら連絡するから。いってきます!」


 そそくさと言いたいことだけを告げて、私はまだソールの綺麗なローファーに足を滑り込ませて外へ飛び出した。


 今日の天気は晴れ渡った青空ではあるが、風が少し強い。朝のニュースでは花粉が多く飛散すると言っていたが、私には無縁な話だ。マンションの重々しい自動ドアを出てすぐの所にレンは居た。


「おはよう、ちゃん。」


 ふわりと甘い香りがしそうな柔らかい金髪を風に揺らしながら、形の綺麗な唇が紡いだ。


「おはよう。待たせちゃった?」


「ううん、大丈夫。」


 私の問い掛けにそう答えたレンは、履いていたスニーカーを痛め付けるように、爪先を軸に足首を数回回して解してから歩き出した。きっと待たせてしまったんだろうと、その仕種ひとつで私は悟ったが、わざわざ掘り下げるような雰囲気でもなかったので大人しく隣に付いて歩いた。


「実力テスト嫌だなぁ。」


 レンは深く溜息を付いて、心底嫌そうな顔をしてみせた。


「レンは勉強してないの?」


 私がそう尋ねると、レンの瞳が驚いたように開かれて私を見つめてきた。その中にはうたぐるような色合いが見える。


「え、知ってると思うけど、僕はこの土日はちゃんと一緒に居たでしょう?いつ勉強するのさ。」


「でも私はしたもん。」


 この休日はレンが私に勉強を教えてもらうという名目でやってきたが、実際はひたすらお喋りに華を咲かせていたわけだ。しかし私の本分は学生なわけで、勉強を怠るつもりはなかったので、レンが帰ってからしっかりテスト勉強をしていた。
 私の言葉に、レンは不満そうに声を漏らした。


「何それ!いつ勉強なんてしてたの?僕が居ない時間はずっと勉強してたの?」


 信じられない、と顔全体から伝えてくるレンが面白くて私は笑った。


「うん、だって時間がないわけじゃなかったし。レンは家帰ってから勉強しようと思わなかったの?」


 レンが帰ったのは夜八時過ぎだ。時間があったのは私だけではないはずなのだ。


「まあもともと勉強なんてしたくないからね。家帰ってから本読んでたよ。」


 私はレンが本を読んでる様を想像して、とても似合っているのを確認してから納得した。


「何読んでたの?」


「ワザリングハイツって分かる?」


 ワザリングハイツ、一瞬分からなかったが、私は日本語に頭の中で訳してすぐにピンときた。


「エミリー・ブロンテの嵐が丘?」


「そうそう。昔読んだんだけど、なんかまた急に読みたくなっちゃってさ。」


 私も表紙が無くなって、ページが茶ばんでしまうほど読んだ小説のひとつだ。


「分かる分かる。あれかなり長いし前半はかなり退屈だから、途中で挫折しちゃう人が多いけど読み切った時には虜になってるんだよね!」


 あまり私の周りで本の話が出来る人間が居ない上に、嵐が丘は名作でありながら若者には読み切るのが難関であると言われていることもあり、レンが読んでいることを知って少し気分が高まる。口調が高らかになる。


「そうなんだよね。最初、ヒースクリフにもキャシーにも全く共感出来なかったんだけど、話が進む内に僕もヒースクリフになってたもん。」


 ちょっとふざけた口調で、映画でしか見たことのないはずのヒースクリフの顔真似とでも言うように、レンは少し難しい表情を見せる。私は面白くて声を出して笑った。
 すると、ふと手に冷たい感触がして、私は思わず視線をそちらへ向ける。レンの白くすべらかな手が私に触れていた。


「駄目?」


 私の様子に気付いたレンが私を覗き込んで尋ねてくる。勿論駄目だということはないのだが、急に私達が恋人同士だということを意識してしまう行動だとは思った。付き合う前に繋いだ時もドギマギしたが、意識しないように振り払った緊張がここにきてまた湧き上がる。


「駄目じゃないけど・・・。」


 そこまで言って続きを言いよどんでいると、レンは口角をつりあげていやらしく笑う。


ちゃん、ちょっと緊張してるんでしょう?」


 ちょっと馬鹿にしたようなふざけた口調で言われて、私はむっとした。


「してないよ、レンの馬鹿。」


 つんとして私は少し足を速める。レンの気配が後ろに送られる。そういえばこの前もこのパターンで追いかけてもらえずに膨れっ面をした覚えがある。私は意味のない行動をしているのだと諦めて足を止めようとしたが、瞬間、後ろから勢いよくレンが飛びついてきて抱きしめられた。足が数歩前へよろめいた。


ちゃん。」


 後頭部に唇が触れているのがよくわかる。レンの香水の甘い香りがした。


「僕だってちょっとは緊張してるんだから、いじけないでよ。」


「嘘。」


 私をフォローするためのような言葉に私はすぐにそう言い返した。するとレンはしゅんと肩を落としたのだろうか、少し抱きしめられた腕の力が緩められた。


「本当だよ。凄い不安なんだからさ。ちゃんが誰かに取られちゃうんじゃないかなあって焦っちゃうんだからさ。だから、僕の手の届く距離に居なきゃ駄目だよ。」


 調子が狂った。時々意地悪なことをしてくるくせに、とても甘い声を出したりして、彼には勝てそうにない。


「大丈夫だよ、絶対取られないから。」


「何それー。だから安心しろってこと?僕の隣には居たくないの?」


 今日は妙に甘えたなレンに、私は少し頭を動かして後ろを向いた。レンはふと頭を私から離して少し顔を後ろにそらしていたが、その表情はご満悦だ。きっと私の答えを知っているからだ。


「じゃあ手、繋いで?」


 私は右の手のひらを肩から覗かせてレンに見せ付けるようにせがんだ。するとレンはまた甘い吐息を漏らして笑い、私を抱きしめていた腕を離して手を取ると、横に戻ってきた。それだけで満足だった私を、さらに喜ばせようとしたのか、少しだけ顔を傾けて私の頬に音がしそうな可愛らしいキスをくれた。驚いて私は空いている左手でキスをされた右頬を覆うと、レンが視界の端でにっこりと笑った。


ちゃん、好きだよ。」


 思わず一度視線をそらしてしまった。恥ずかしくなる。しかしそれがどういう意味で取られるか不安だったので、もう一度レンに視線を戻した。


「私も好きだよ。」


 精一杯感情を込めて紡いだつもりの言葉は、レンの声色を前にすると随分と薄っぺらく感じられた。しかしレンはとても嬉しそうに笑ってくれた。そして「ありがとう。」と言って頭をくしゃくしゃと撫でてくる。明日から髪の毛をセットするのはやめようと思った。






 実力テストは意外と簡単で、中学のテストくらいの難易度だったので拍子抜けだ。しかし隣でレンは浮かない表情だ。テストを終えて、部活をするつもりのない生徒達はもう帰れると喜びの声を漏らし始め、教室がざわつきだしたが、レンは肩を落としたままだ。


「レン、どうしたの?」


 気になって私が声を掛けると、レンは眉尻を下げてこちらに子猫が縋る様な瞳を向けた。


「この問題の意味がわかんなかった。何これ、問題文読んでるだけで眠くなっちゃったよ。」


「ん?どれが?」


 私が椅子を引きずってレンの隣に行くと、レンは指先で問題用紙の一部を指した。それは化学の問題用紙だった。


「エタノールを酸化させたら何になるかなんて、僕の人生に今後一切関わらない問題だね。」


 どこか自慢げにそう言い放つレンに私は笑った。


「これは酢酸になるんだよ。」


 私は指先でその問題文をとんとんと叩いて教えると、レンの目が輝く。


「え、なんで?意味わかんないよ?もしかしてちゃん、本当に凄い頭いいとかじゃないよね?」


 焦った様子でレンはだらけていた上半身を起こして私を見つめる。その声に一部のクラスメイトの女子と男子が集まってきた。


「何?どこの話してるの?」


 一人の男子がそう尋ねるのにレンは何故か私のことだというのに自慢げに「エタノールを酸化させたらどうなるかっていう話。」と答えた。すると数名がその解説をせがんできたので、私は少し優越感に浸った。


「これは二重結合の話なの。エタノールを酸化させたらアルデヒド基が出来て、これが二重結合だからアセトアルデヒドなの。そこからさらに酸化させるとカルボキシル基が出来るの。カルボキシル基っていうのがいわゆる酢酸なの。」


 私が説明すると、それを理解したかは別として感嘆の声があがった。


「凄いね、ちゃん。頭いい!」


 褒められることは嫌いではないし、確かにそんなに頭が悪いわけでもないので少し調子に乗りそうだった。


さん今度、俺に個人レッスンしてよ。」


「あ、俺も俺も!」


 私よりも調子に乗った男子が楽しそうに言うのに私は笑って頷いたが、途端にレンが腕を回してきてぐっと肩を掴むと私を自分に引き寄せた。


「駄目。ちゃんは僕の彼女だから、僕の居ない所で男と二人きりになんかさせないよ。」


 一瞬きょとんとしてから、すぐに顔が真赤になる。クラスメイトに隠すとかそういう次元までまだ仲良くはなっていないが、こうも公言されると今後どういう顔をすれば良いのか分からない。みんなの表情を伺うと、驚いた表情や悲壮感を貼り付けた顔などそれぞれだった。


「まじで?俺、さん気に入ってたのに。」


「俺も俺も。鏡音にやられたー。」


 誰かの一言で一気に先ほどより教室中がざわめく。今まで会話に混じっていなかったクラスメイトまで覗き込んでくる。私とレンはその視線の中心にいて、気が動転しそうなほど恥ずかしかった。


「でも、ちゃんとレンくんならお似合いだよ。美男美女って感じだよね。」


 女子もいろめきだって次々言葉を交わしている。こういう時、男子はふざけた口調で冗談であれ本心であれ感情を露にするが、女というのはどうしても本心を曝け出せずに、思ってもいない御世辞でその場を取り繕うものだな、などと私は呆然と見世物のように動きもせずに、頭の中で考えていた。






 私がきょとんと固まっている間にどれくらいの時間が過ぎたのか分からないが、気付いたら教室には私とレンしか居なくなっていた。


ちゃん。」


 いつの間にか引き寄せていた私の肩を解放していたレンに呼ばれてはっとした。


「放送聞こえた?仮入部希望者は部活動場所へ移動してくれだってさ。」


 レンのその言葉を聞いて時計を見た。時刻は三時半を回ったところだ。部活動開始はそ十五分後だと聞いていた。私は驚いてがたっと音を立てて椅子から立ち上がった。


「や、やばい!私ぼうっとしてた!」


 私はすぐさまロッカーの中に入れてあった体操着の入っているバッグを取り出した。


「ごめんね、公表しないほうが良かった?」


 少し不安げに揺れた瞳をこちらに向けて、レンが尋ねてくる。勿論あえて公表したいというわけでもなかったが、公表したくなかった理由というものはない。ただ、ああして好奇の目に晒されるのは不慣れだ。みんながどう思うのか、私は薄々感じ取れる。今朝鏡を前にしても思ったが、やはりこの作り物のように完璧な顔立ちの隣にいる私は、酷くみすぼらしい気がする。


「そんなことないけど、ちょっと恥ずかしかったの。」


 顔を軽く伏せて、レンの視線から逃れようとしたが、どうしてもレンの視線が熱くて逸らせなかった。


「そっか、ごめんね。でもああでも言わないと、みんなちゃんのこと狙っちゃうかもしれないでしょう?」


 レンはいったい何が不安なのか、私にはさっぱり分からなかった。私が誰かから好かれることを、百歩譲ってありえるとしたとしても、レンのような魅力的な人を放って他の男になびくわけがない。それを伝えるのはとても難しい。レンの自覚がないのであれば、どれだけ私が語ったところで、レンは納得いかないだろう。


「レンは私の運命の人、なんでしょう?」


 せいいっぱいでそう返すと、レンは意外な返答を得たというような表情できょとんとした。その反応に恥ずかしくなって私はそっぽを向いた。そろそろ本当にグラウンドに行かなければ初日から遅刻だ。


「だから、大丈夫なの。部活行ってくるね。」


 何も答えてくれないレンに居たたまれなくなって、私はレンの横を通り過ぎて扉の方面へ足を向けたが、腕をがしっと掴まれて後ろへ引き戻される。


ちゃん、可愛い。」


 そういってレンは立ち上がって後ろから抱きしめてくる。私はお腹の前で組まれたレンの腕にそっと手を添えた。それが私にとってのせいいっぱいの返事だった。


「行ってらっしゃい。」


 柔らかい声色でそう言って、レンは私の髪の毛にキスを落とした。なんて気障なことをするのだろう。しかし、それはとても心地良かった。私は頷いて教室を後にする。


 レンにキスされた部分の髪を手のひらで撫でると、幸せな気分になれた。




















―あとがき―
少し遅くなりましたが、続きです。次回からカイトが出てくる予定です。
レンのキャラクターが定まっていませんが、どうなるのか私にも皆目見当がつきません。
それと、この小説は多分性的描写が含まれる話が今後に出てくるかもしれません。
今まで表に出せる物であれば問題なく自己判断でお読み頂ける形にしますが、
どうしてもセックスシーンが書きたくなったら、パスワードをつけるかもしれません。
御了承ください。

090423















































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