ドリーム小説  この片田舎の住宅街にそびえたつにしても、このマンションの入り口は随分と重々しい空気だと思う。僕は自動扉の前に立ち、インターホンでちゃんの家の部屋番号を押そうとした。しかし、ちょうどよくこのマンションの住人が中から出てきたので、僕は一瞬どうしようか迷った結果、こっそりとマンションの中に滑り込んだ。
 ちゃんの部屋番号は、以前さりげなく聞きだした。こういう時に驚かせるのがとても好きな僕は、今日まさしく、ちゃんに連絡なしで訪問しようとしている。昨日の学校からの帰り道、僕はちゃんと出会って最初のこの連休を利用して、一緒に遊びたかったのだが、誘うまでもなく彼女は「勉強に打ち込む」などと、優等生らしい言葉で僕の期待を粉々に砕いてくれた。僕は勉強なんて大嫌いだし、ちゃんが勉強を好きだということも正直理解が示せない。勉強するくらいなら一日一人で居ようとも思ったのだが、どうしてもちゃんに会いたかったのだ。
 ちゃんの家の玄関前に到着し、僕は小さく息を吐いてからチャイムを鳴らした。機械音がジジジと小さなスピーカーから鳴っているが、そこから人の声がすることはなかった。その代わり、玄関の扉は急に開き、中から中年の女性が顔を出した。ちゃんのお母さんだということはすぐに分かる。どこか柔らかい雰囲気に、顔の輪郭がしっかりとしており、睫がとても長かった。目元の皴が生きてきた貫禄だが、それ以外は全く持ってちゃんと変わりないのだ。


「はい、どちら様ですか?」


 彼女はおっとりとした口調でそう尋ねてから、しっかりと僕をその瞳に映した。


「あの、さんのクラスメイトの鏡音です。突然押しかけてすみません。さんいらっしゃいますか?」


僕は彼女と視線が交わったことで一瞬ドキリとしたが、口をしっかり開いて名乗った。すると彼女は表情を明るくさせて微笑んだ。


「あら、レン君?から話聞いたの。お家がここの隣で、入学式の日に仲良くなったんだって、あの子凄く嬉しそうに話してたのよ。いつもお世話になってるみたいだから、一度お家に呼びなさいって言ってたからお会い出来て嬉しい!」


 女性らしい声色でハキハキとそう話す彼女は、まぎれもなくちゃんのお母さんだと、改めて感じた。それにしても随分と元気の良いお母さんだと、僕は少し驚いたのと、予想していた像と大差なく優しそうな女性だったことに喜びを感じた。


「いえ、僕の方こそ、いつもさんにお世話になってて。あの、実は僕、今日さんに連絡せずに来ちゃって。月曜日の実力テストの勉強をしていたんですが、分からないところがあったので教えてもらいたくて来たんです。」


 全くの嘘だ。勉強なんてしていないし、“分からないところが何処なのか”さえ分からないくらいだった。しかし、彼女は快く受け入れてくれ、玄関を通してくれた。
 ちゃんが裕福な家庭に育ったのだろうということは、話していて何となく分かってはいたが、壁に掛けられた絵画や置いてある花に緊張せざるを得なかった。お母さんにスリッパを出してもらい、履きなれないふかふかとした心地の素材に足を滑り込ませ、彼女の後に続いた。
 廊下の右にある扉の前で彼女は足を止めて、部屋をノックした。


、レン君が来てるわよ。出てきなさい。」


 少し大きな声でそう呼び出すものの、中から声は返ってこない。それから数回ノックをしたが応答が無いので、彼女は僕に苦笑を浮かべて「ごめんなさいね。」と謝ると扉を開けた。部屋の中にはこちらに背を向けて勉強机にかじりついているちゃんがいた。人の気配でようやくちゃんは気付いたのか、机から顔を上げるとお母さんの方を振り向く。耳にはヘッドフォンがしっかりと装着されており、音楽を聴いていたので何も反応が無かったのだろう。


、レン君が来てくれてるわよ。」


 お母さんはそう言って、部屋の前で立っている僕の方を手のひらで示してくれた。するとちゃんは言葉は聞こえていないのであろうものの、手で示された僕の方を見ると、一変して荒々しくヘッドフォンを放った。


「な、何でレンがいるの?!」


「だから言っているでしょう、あんたに勉強を教えてもらいたいって、わざわざ来てくれたのよ。」


「だからって、何で?私聞いてない!」


 ちゃんの驚き方は物凄いが、その顔色を見れば分かる。決して嫌がっているわけではなく、驚きと喜びで落ち着かないのだろう。ちゃんはいつだって分かりやすくて可愛いのだ。僕はちゃんのお母さんがちゃんの方を向いている隙に、ちゃんの方を見て意地悪にニヤリと笑ってやった。するとちゃんは顔を赤らめて慌てふためいている。顔を覆い隠して恥ずかしそうにしたり、足をじたばたさせたりと、子供のようだ。


「折角来てくださったんだから、一緒に勉強しなさいよ。」


 お母さんはそう言うと、僕を手招きをして中に招き入れてくれた。彼女の言葉にちゃんは、手をいっぱいにして覆い隠した隙間から瞳を覗かせて僕を見た。


「いいけど、ちょっと待っててよ。私すっぴんだし・・・。」


 小さな声でぼそりと言うちゃん。そんなこと気にすることではないだろう、と僕は少しおかしくて笑ってしまった。肌は充分なほど白いし、密度の高い睫に縁取られた瞳は綺麗だし、唯一いつもと違う印象といえば、眉毛が少し薄いくらいだ。これだけの素材だというのに、無駄に装飾をするなんて贅沢だ、と僕は思ってしまう。それは女性ならではの飾りだとは分かるが、ちゃんはこうして改めて見ても可愛らしいし、僕の胸をときめかせるに充分な効力を持っている。


「もう見ちゃったし大丈夫だよ。ちゃん、そのままでも充分可愛いから。」


 僕が本心のままそう言うと、ちゃんが眉間に皴を寄せて、驚きの声を上げようとしたが、それより先にお母さんが口を開いた。


「凄い、の言う通りなのね!さらっとくさい台詞を言うとは聞いていたけど、嫌だわ、なんか私が恥ずかしい!」


 妙にテンションが高いちゃんのお母さんの言葉に、僕は笑ってしまった。そんな僕達二人をよそに、ちゃんはお母さんの背中を扉方面に押す。


「もう、そういうのは良いから!二人で勉強するからお母さんは出て出て!」


「はいはい、お茶とお菓子用意するから後で取りに来なさいね。」


「分かったってば!」


 最後の最後までちゃんのお母さんはニコニコしながら、部屋から出て行った。






ちゃんが後ろ手に扉をパタンと閉めると、こちらを睨んだ。僕はこの現状が面白くて仕方が無いので、ついつい口元が緩んでしまう。そもそもちゃんはいくら凄んでも恐くないのだ。その様さえも可愛く見えてしまうのだから、ちゃんは損しているとも言える。


「レン、どういうつもり?勉強なんてしないんじゃなかったの?」


 目つきと同様、凄んだ声で静かに言うちゃんに、僕はまた笑ってしまう。今日の僕は自分でも変だと思えるほど、気分が良いようだ。


「しないよ。そんなの口実に決まってるでしょう?」


「私の勉強を邪魔するための・・・?」


拗ねたような表情で僕を見つめるちゃんが、小動物のようで思わず抱きしめたくなってしまう。僕はちゃんに歩み寄り、ちゃんを壁に追い込むような態勢にする。ちゃんは少女らしく“何か”を期待するように、驚いた瞳を僕に向けた。これだからいじめたくなってしまう。僕はちゃんの髪の毛を掻きあげ、耳元に唇を近づけた。


ちゃんに会いたかったの。二日間もちゃんに会えなかったら、禁断症状出ちゃうでしょう?」


 僕の口から漏れる吐息にちゃんが微かに震えたのが、楽しくて口元がまたゆっくりと緩んでしまう。


「ま、またからかって・・・。」


 顔を真赤にさせながらちゃんは僕の肩を後方へ押し戻す。少し残念だ。僕はちゃんの頭を一度くしゃくしゃと撫でてから俯き気味の顔を覗き込んだ。


「迷惑だった?」


「・・・そんなことないし、嬉しいけど、でも連絡ぐらいしてよね。私も一応女の子なんだから、化粧とかお洒落とか忙しいんだから。」


 唇を尖らせてちゃんがそっぽを向く。僕がそれに対して軽く謝ると、優しいちゃんは許してくれたようで、僕を小さなテーブルの前に座らせた。ちょうど二人で囲めるくらいの小さなテーブル。
 テーブルは真白で、その下のラグはキナリ色。よくあたりを見渡すと、一つ一つのインテリアが淡色で統一されていた。ベッドカバーもキナリ色で、飾ってあるポスターはモノクロのお洒落な物ばかりだ。その部屋の主であるちゃんの服装もキナリ色のドレープのきいたカットソーに、ゆったりしたラインのカーキのパンツといった、この部屋を見た後であれば、それらしいといった服装である。


「そんなにじろじろ見ないでよ。何も無いんだから。」


 僕がきょろきょろと辺りを見渡すのが気になるのか、ちゃんは恥ずかしそうにそう呟いた。


「良いじゃん。折角来たんだから、こういう所からもちゃんのことをいろいろ知っておかないとさ。」


 意外といえば意外だった。というよりも、やはり男が抱くような“女の子らしい部屋”というのは男の中の幻想でしかなく、現実は思ったよりもシンプルなもので分かりやすいのだろう。しかし、どことなくちゃんがその一般的に言われる“女の子らしい部屋”でなかったことに安堵している自分が居る。そういったありきたりな子でなくて良かったと、そう思えた。幸いなことに、僕はちゃんのこの部屋のインテリアや、ちゃん自身の服装と同系のものを好んでいるので、居心地が良い。


「女の子らしい部屋じゃないし、男の子に見せたくないの。」


「良いじゃん。僕は結構こういうシンプルなのが好きだから。変に女の子って感じじゃなくて、ちょっと安心しちゃったよ。」


「・・・レンってば変なの。」


 心底そう思っているわけではなさそうで、少し嬉しそうな瞳の色をしていた。とても分かりやすい。ちゃんは一度席を立つと部屋を出て茶菓子などを持って戻ってきた。上品なティーカップに入った紅茶とクッキーが白いテーブルに置かれる。僕はおもてなしがこのセットというのは、本当に上流階級の人間がすることだと思っていたので少し落ち着かなかった。
 二人でそのお菓子を口に運びながら、下らない話をする。ちゃんは勉強に戻ろうともせず、きっと僕が来てくれたことでそもそも諦めたのだろうとは思うが、少し申し訳ない気持ちもした。






「そういえば、体験入部はどうだったの?」


 ちゃんがリラックスした様子で紅茶を一口すすっているのをちらりと見てから、僕は尋ねた。するとちゃんは何かを思い出したようにいそいそとティーカップから、その形の良い唇を離す。


「そう、聞いて聞いて!私、体験入学の時に迷子になったって言ったでしょう?」


「ああ、言ってたね。それがどうかしたの?」


 入学式の日、学校の広さに驚いている僕に対し、確かにちゃんはそう言った。


「その時ね、引率のお兄さんが探してくれて何とかみんなの所に戻れたんだけど、そのお兄さんが陸上部の先輩だったんだ。」


「本当に?凄い偶然だね。」


 偶然、という言葉でわざとちゃんを挑発したつもりだったが、ちゃんは全く気付いていない様子で話し出す。


「しかもその先輩、私のこと覚えていてくれてたの。“迷子だった子だ”って言われて、凄い恥ずかしかった。」


「ふーん。」


 僕はそっけなく返してしまう。そんな話は期待していなかったし、つまらない。挑発にも乗ってくれないし、そんな嬉しそうに話されても気分が良いわけではない。確実に僕は我侭なことを考えているのだと分かっているが、どうしても嫌だったのだ。僕がそっけなく返したのにも関わらず、ちゃんは気分が高揚しているのか、全く気にも留めておらず、上機嫌に笑顔を浮かべている。
 あんなに僕の“運命”という言葉にドキドキした素振りを見せたり、僕の意地悪な行動に嬉しそうに、そして恥ずかしそうに頬を赤らめているちゃん。自惚れというつもりはなく、ちゃんは僕に恋愛的な感情を抱いていると確信していた。それはきっと事実だ。しかし僕は、その確信から余裕ぶっていたものが、今のちゃんの話で鈍る。とても苛立つのだ。狂気めいた気持ちが沸々と込み上げてきそうなのを、ぐっと堪えた。


「そういえば今日は、お家におじいちゃんはいらっしゃらないの?」


 そんな僕の苦悩などは露知らず、ちゃんが尋ねてくる。僕は小さく息を吐き、気持ちを切り替えるように心掛けた。何かに対して怒りを覚えることは、自分の負けを認めることだと、おじいちゃんが言っていた。


「居るよ。おじいちゃんはいつも家でのんびりしてるからね。」


 今頃テレビをつけながら本でも読んでいるだろう。僕はそんなおじいちゃんが好きだ。


「心配されてない?ちゃんと言って出て来た?」


 妙にちゃんが気にするのでどうしたものかと思ったが、昨日のクラスメイトに言った発言を思い出しているのだろう。確かに僕のおじいちゃんが心配するというのは事実だが、僕が年頃の男の子だということも充分に理解を示してくれている。厳格なおじいちゃんというよりも、とてもポップなおじいちゃんだ。


「言ってあるよ。心配しなくて大丈夫、ありがとう。それに僕もおじいちゃんにちゃんの話は沢山してるんだ。だから嬉しそうに“いってらっしゃい”って言ってたよ。」


 僕のその言葉を聞いて少し安心したように、ちゃんは目を細めて微笑を浮かべた。


「ならよかった。一緒に住んでるおじいちゃんが外国の方なの?」


 ちゃんはそう尋ねてきてくれるのだが、僕は先ほどから少し気になっていたことが、ここにきて余計纏わりついてきて、微笑だったものが声を出して笑ってしまった。


「え、何で笑うの?なんか私、変なこと言った・・・?」


 不思議そうにちゃんが目をぱちくりさせるのを可愛いなと思いながら、僕は説明を始める。


「違うんだ。なんかちゃん、凄く丁寧な喋り方するからさ。“いらっしゃらないの?”とか、“外国の方”とかさ。凄く良いなって思って。」


 そうなのだ、ちゃんはとても丁寧な言葉でそう話すので、なんだかとても嬉しかった。僕のおじいちゃん本人が目の前にいるわけでもないのに、気を遣った言葉遣いをしているちゃんを、妙に愛しく感じた。先ほどまでちゃんの部活の話なんかに苛立っていたのにも関わらず、ここにきてちゃんを愛しく思うのだから、僕も負けず劣らず分かりやすいだろう。


「えぇ?あんまり意識してなかったから分からないけど、変かな?」


「ううん、全然良いよ。・・・って、僕が言うのも変だけど。一応他人のおじいちゃんだから目上なんだし、そんな感じで良いんじゃない?まぁ、別にそんなに気にしなくても良いと思うんだけど。」


 僕がそう答えると、ちゃんは小さく丁寧語を呟きながら、納得いかないとでも言うように首をかしげたりしている。意識して話すと急に上手く言葉が出ないというのはよくあることだ。変なことを突っ込んでしまったばかりに、ちゃんが苦悩しているので、僕は先ほどの質問に答えてあげることにした。


「僕が一緒に住んでるおじいちゃんは、母さん側のおじいちゃんでアメリカ人なんだ。デンマーク系のね。日本語ぺらぺらだから、外人って感じがしないけどね。」


 無理に話を引き戻してしまったが、ちゃんはすぐにこちらを向いて興味津々というように見つめてくる。


「そうなんだ。レンは似てるの?」


「全然。おじいちゃんは目の色は一緒だけど、髪の毛は茶色なんだ。母さんが髪の毛は金髪で、結構僕と似てるのかな。それにしても僕までこんな外国系の顔にしなくても良いのにね。小さい頃は周りから浮いてる気がして嫌だったんだ。」


 僕は母さんの顔を思い出す。そういえば最近は絵葉書が届かないが、元気にしているのだろうか。


「そうなの?私はレンが思い切り日本人顔だったりしたら、なんか笑っちゃうかも。」


「それは最初からこれだからだよ。」


 笑って答えると、ちゃんはティーポットに入った紅茶の残りを僕のカップに注ぎながら口を開いた。


「ご両親は海外にいらっしゃるからお会いできないにしても、おじいちゃんとはお会いしてみたいな。」


「じゃあ今度遊びにおいでよ。おじいちゃんも喜ぶと思うし。」


 僕は大して真面目に答えたつもりでもなく、機会があればそれも悪くない、というつもりで軽く答えた。しかし、それにちゃんは目を輝かせてテーブルについていた手に力を込めて半身をこちらに乗り出した。


「え?いいの?私、本当に行っちゃうよ!」


 そう食いつかれると、僕は驚いてしまってキョトンとしてしまう。ちゃんが乗り出してくるのに合わせるように、僕は少し後ろにのけぞった。


「い、いいけど、別に会っても何もないよ?おじいちゃん、普通のおじいちゃんだし。」


 会わせたくないということもないが、人は何故か押されると引き気味になってしまうもので、僕は妙な言い回しをしてしまった。しかしちゃんは首を横に振る。


「そんなことないよ。レンのおじいちゃんだもん。レンのこと色々聞くつもりなの。子供の頃のレンはどんな子だったのかとか、好きな食べ物はなんなのかとか、いつもどんな話をしてるのか、とか。」


 目を輝かせて、子供のようにわくわくとした口調で語るちゃん。そんなことを知ってどうするのだろうか。僕に聞けば答えられることだというのに。


「そんなの知ってどうするのさ?」


 僕は一度しびれた足を組みなおし、再度あぐらを掻いた。頬杖を付いてちゃんを見つめる。気付いたのだが、僕はちゃんを見つめることが好きなようだ。普段、それほど人の目を見て話すことも、話を聞くこともしない僕なのだけれど、ちゃんと一緒に居るときは、ふと彼女の瞳を見つめてしまう。純粋で人間臭い色合いが好きだ。


「どうもしないよ。でも、私には価値があることなの。レンのこと、もっともっと沢山知りたいの。もっともっと私と共通点があるかもしれないもん。」


 “共通点”という言葉だけが、しっかりとクリアに聞こえた。ちゃんが意識して言ったものなのか、以前ならイエスと言えたものが、今の僕には分からなかった。どうしても、先ほどの話が頭の中をぐるぐると巡って、素直に喜べない自分が居る。


 自分がちゃんに特別な感情を抱き始めているということは事実だ。ただ、足りないのだ。僕の運命には足りないのだ。それはきっと僕が今まで信じていた“運命の人”というものを簡単に見つけてしまうことへの抵抗なだけかもしれない。それでも、その意地を僕は今まで守り続けてきたのだ。簡単に覆して良いのだろうか。しかし、もうそんなことどうでも良い気がした。守り通してきたポリシーがくだらないと思えるほど、僕はちゃんが欲しかった。これだけ好きなのだから、“運命の人”なのかもしれない。そうとさえ思えた。


 頭がぐちゃぐちゃだ。
 僕はちゃんを誰にもあげたくない。
 僕の隣で大人しく、僕の名前を呼ぶだけでいい。


 そんなことを考える僕は、とても卑怯で嫌な奴だ。


「・・・レン?」


 ちゃんは少し不安げに僕を上目遣いで見つめてくる。僕はちゃんのその視線に今一度、自分の視線を絡めた。僕はそんなに真直ぐな瞳で見つめたつもりはないが、ちゃんが少したじろいだのは分かった。僕は考えるより先に、テーブルの上に力なく置かれた、ちゃんの白い指先を掴んだ。


「“運命”はさ、もう充分あったからさ。」


 僕がそう言うと、ちゃんは状況を理解できないようで、目を白黒させている。その顔は僕だけに見せればいいと思う。


「言ってることがよく分かんないんだけど・・・、どうしたの?」


 僕は頭の中がいっぱいで、ちゃんが何を言っているのか、殆ど聞こえていなかった。ただ、戸惑っていることだけは、その可愛らしい瞳と唇から伝わってきた。
 もうどうなっても良いと思った。このまま明日を迎えるのが恐かった。ちゃんが誰かに取られてしまうことが恐い。
 僕は、子供が大切なおもちゃを離すまいと胸に抱くような気持ちで、ちゃんを傍に置いておきたかった。それはあまり、綺麗な感情とはいえないかもしれない。






ちゃんのこと好きなんだ。だから、僕のことだけ見ててよ。」






 ちゃんは僕の突然な告白に、言葉の意味は理解したものの、感情が追いつかないようだった。暫く僕をじっと見つめるだけだった。


ちゃん、僕とは付き合えない?」


 何も言葉を返してくれないちゃんに、僕は不安になって急かすように問いかけてしまう。僕は僕で、子供なので余裕は無いのだ。それでも今のうちに、早いうちにちゃんを手に入れておかないと、他の誰かのものになってからでは、僕は奪う自信なんて無い。
 ちゃんは一度目をしっかりと瞑ってから、その大きな瞳をより一層大きく開いて、力強く首を横に振った。


「そ、そんなことないよ!でも、なんか急にそう言われて、吃驚したし・・・。レンは運命の人としか付き合わないって言ってたから・・・。」


ちゃんが運命の人だって思ったの。直感。だって、まだ出会って数日なのに、凄くちゃんが好きになっちゃったから。だから、僕の運命の人になってくれない?」


 くさい台詞だと自分でも分かった。さすがにこればかりは言った直後の恥ずかしさを隠しきれず、顔が熱くなりそうだ。しかしそれはかなり滑稽なので、必死に平静を装う。
 ちゃんはまた僕を真直ぐ見つめて、小さく頷いた。


「ありがと。」


 僕はそう言って、ちゃんの頭をくしゃくしゃと撫でて、少し強引にキスをした。
 もちろん僕は年頃の男の子で、女の子の体に触れたいと思うし、いやらしいこともしたい。
 しかし、ちゃんがあまりにぎこちなく固まっているので、思わず噴出してしまって、その気も失せてしまった。


ちゃん、固まりすぎだよ。」


「だ、だって、恥ずかしいもん。」


「可愛い。」


 僕はもう一度ちゃんに猫のようなキスをした。


 頭の隅では既に、ちゃんを他の男から遠ざけるにはどうすべきか、なんて考えていた。




















―あとがき―
ホームページ自体、三ヶ月ぶりの更新であり、「離れるな。」に関しては四ヶ月ぶりです。
長い間放置して申し訳ありませんでした。
本当は二人が付き合うのはもう少し後の予定だったのですが、なかなか更新できないのに、
じれったい関係のままなのも悪いかと思い、少し早めにくっつけました。
もう少ししたらカイトが出てくると思います。
レンが自分の考えと感情の矛盾に苛立つ様が上手く書けずに後悔しております。
時間があれば修正なんかしてみたいです。

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