ドリーム小説  私が部活動の体験入部を終えたのは四時過ぎで、レンと一度別れた時刻から二時間ほど経っていた。レンを待たせていることもあり、私は教室までの廊下を駆け足で行く。学校はまだ不慣れな場所で、どのあたりが自分のクラスかもしっかりと把握は出来ていない。それでも何とか辿り着いて教室の戸を開けようとしたが、中が騒がしいのだ。何となく入りづらくてそこで立ち止まる。中からは女の子の声がする。何を言ってるかまでは把握できないが、黄色い声という比喩はよく出来たもので、傍聴していると本当に黄色のイメージの甲高い声に聞こえる。思い切って教室の戸を開けると、レンがクラスの女の子に取り囲まれていた。


「あ、ちゃん、お帰りなさい。」


 にこやかなレンの笑顔と共に、視界の端で女子がちらつく。


「お疲れ。ねえ、ちゃん、陸上部入るんだって?」


 一人の女の子が私を見ながら言う。言った覚えが無いので驚いたが、この状況から見て、レンが話したのは確実だろう。


「レン君から聞いちゃった。」


 レン君、という言葉は何か新しい言葉に聞こえるほど耳に新しい。昨日は鏡音くんだったよな、なんて思いながら私はレンを見た。


「言っちゃ駄目だった?」


 レンが恐る恐るとでもいうように尋ねてくる。そんなことはないのだが、彼女等が何故直接私に聞かないのかが理解出来なかった。話の流れでそうなったのだとは思うが、妙に腹が立つ。


「ううん、みんなには言ってなかったからさ。みんなも陸上部入りなよ。」


 自分が今、薄い顔の皮一枚で笑っているのは皮膚から筋肉を通じてよく分かる。しかしまだ知り合って一日しか経っていない他人に華やかな笑みを作ることが、不器用な私には出来なかった。私の言葉には嫌がる声が返ってきて、大した事でもないのに、苛立つ。


「よし、帰ろうか。」


 レンはそう言って鞄を机の横から持ち上げて私に言う。私が頷くと不満げな声が彼女達の口から漏れてきた。


「もう帰るの?」


「あ、今からみんなでご飯食べに行こうよ。」


 女の子とは分かり易い。私もはたから見たらこんな風に声高らかに好意を見せているのだろうか。恥ずかしいものだ。


「えぇと・・・。」


 レンは苦い物を表情に浮かべてそう言うと、私を見る。私は笑顔を取り繕う。それはレンに委ねたというつもりだった。


「ごめん、僕達、帰るのに二時間かかるし、門限が七時なんだ。おじいちゃんを心配させたくないんだよね。」


 レンはそう言って彼女達にもう一度謝ってから私の手を取る。その何とも言えない優越感は、私を嫌な女にしていく。


ちゃんも遊べないの?」


 一人がそう言うのに、私は彼女達がレンと遊べないのならば私を引き離すくらいをしないと気が済まないのだろうと解釈した。


「うん、ごめんね。また今度遊び行こうよ。」


 私は恍惚とした表情を見せないように、必死に眉尻を下げた。彼女達に別れを告げてレンと私は学校を後にした。






 帰り道は長い。駅までの道を歩くだけで足が少し痛くなるくらいだ。体験入部と言いながら本格的に走らされたので、脇の下が汗に濡れている。それらは不慣れな化粧を落として一層醜くさせたので、レンの所へ行く前に部室で直したが、その後の教室でも自分の卑しさに汗が出た。レンを自分の物にしたいという欲が先行して、レンに近付く女の子を嫌な目で見てしまう。先ほどのは失態だったと反省して溜息を吐くと、レンが不思議そうな声を漏らす。


「どうしたの?凄い大きな溜息だったけど。」


 私の顔を覗き込んで、レンは笑う。夕日を浴びたレンの金髪が眩しくて目を細めてしまいそうだ。


「うん、さっきクラスの子達に感じ悪くしちゃったかなって反省してたの。」


 私はさらさら隠すつもりもなく、そう答える。


「そうかもね。」


 レンはさらっと頷いた。私の培ってきた小さな世界での常識では、そこは否定される場所だったので、驚いてしまう。するとレンは私が吃驚したのに気付いたのか笑い出した。


「でも僕からしたら、あの子達の方が嫌な感じ。僕のことを大して知りもしないのに好意寄せてますってさらけ出してさ、恥ずかしくないのかな。」


 私は大きく頷きたかったが、レンの言葉は私にも言えるような気がしたので頷けなかった。


「あ。今、ちゃん、“私もだ”って思ったでしょう?」


 吐息を漏らすように笑うレンに私はぎくりとする。


「な、何で分かったの?」


 心を読む能力があるのかと思える。するとレンは私の頭を撫でる。


「だから、ちゃんは何でも顔に出るんだってば。」


 楽しそうに笑うレン。髪の毛をくしゃくしゃにする手が心地良い。


「それに、ちゃんは僕のこと、そんなには知らなくても、この二日間だけでも沢山一緒に居るんだから充分だよ。」


 そう言われたのに私は安堵する。思わず口が緩む。


「分かり易い。」


 レンはそう笑って私の頭に置いていた手を離して、するりと私の手を取る。私が驚いてレンを見ると、レンは唇を尖らせる。


「さり気なくやったんだから、そんな目で突っ込まないでよ。僕の手、好きなんでしょう?」


 頬をほんのり赤らめてレンが子供のような表情をするので、今度は私が笑ってしまう。


「うん、好きだよ。別に何にも言ってないじゃん。」


 私はレンに掴まれた手を、レンに絡めて優しく力を込めた。レンは小さく「目が物言いたげだったよ」などと呟く。そんなレンを見るのは初めてだ。それは出会ってたった二日しか経っていないのだから当然なのだろうが、新鮮で単純に嬉しかった。思わず口角が上に吊って笑みが零れる。レンは手を繋いだこと事態が恥ずかしいというのに、それを“目で物を言う”私が何か訴えかけたせいで、余計に恥ずかしくなったのだろう。なかなか機嫌を直さずに、ここまでくると何を言ってもやっても駄目なようで、膨れっ面だ。


「何さ。」


 レンはむっとしたまま不満そうな声で言う。私が笑うとレンは呆れたように溜息を吐く。しばらくレンをからかっていると、私達は電車に乗り込んだ。小一時間ほど電車に揺られ、お互いに疲れた体をゆらゆらと揺らし、乗り込んでくる人や降りていく人の波に挟まれながら家の近くの駅で降りる。






「そういえば、さっきの本当だったの?」


 私は改札を通り、レンとしっかり横に並んでからそう尋ねる。しかし切り出し方が突然すぎたと思い、“教室で言ってたこと”と付け足す。


「ああ、門限が七時ってやつ?」


 レンは笑う。薄い唇から覗く白い歯が幼い。私が頷くとその唇は小さく開いた。


「嘘に決まってるじゃん。」


 からかわれたような感覚になる程、気持ち良く笑うレンに、私は少しほっとした。もし門限なんていうものがあるのならば、これから私を学校で待つのは無理だろう。部活は夏場なら夜の七時八時まであるという。


「あ、でもおじいちゃんが心配するっていうのは本当だよ。」


 そんなことを考えていると、レンは補足するようにそう言う。


「おじいちゃんも一緒に住んでるんだね。」


 初耳だった。この二日間で一気にレンのことを知ったつもりでいたが、それはクラスメートの中での話であって、他に対象を当てれば私は何も知らない。


「ん、おじいちゃんもっていうか、おじいちゃんと二人で住んでるんだ。」


 レンがそう言うので、私は驚きの声を漏らしてしまう。珍しい話とまではいかなくとも、私の知る限りでは今まで周りに無かったケースだ。


「御両親は・・・?」


 私は不躾なことを聞いたかもしれないが、やはり気になるので、もやもやしたままは居たくなかった。するとレンは意外にもあっさりとした口調で語り出す。


「父さんが八年前に海外赴任になってさ。僕がこっちに居たいって言って、母さんと父さんだけで海外に行って、僕はおじいちゃんと住むことにしたんだ。」


 そう聞かされると、凡人の私は思わず“凄い”なんて呟いてしまった。


「何が凄いの?別に親がお金は工面してるし、普通の家と変わんないよ。」


「だって海外に赴任なんて凄いじゃん。」


 私の父親はすぐ近くの機械の整備会社だというのに、世の中は何故こんなにも差がくっきりと付くのだろうか。


「海外ってアメリカとかイギリスだって思ってるんでしょう?違うからね、僕のお父さんの赴任先はタイだからね。微妙じゃない?」


 レンが苦笑するのに、私は確かに微妙な気持ちになった。タイが悪い訳ではないが、凡人の私には海外イコール英語圏だったので、期待外れというか、少しつまらなかった。


「普通ではないけど、やっぱり凄いっていうのは半減したかも。」


 下手に思っていないことで煽てるのも可笑しいので、正直に答える。レンはそれに嫌な顔ひとつせずに頷いた。


「なんかレンはその容姿だから、アメリカとかイギリスに縁がありそうだから、余計にかもしれないね。」


 私はレンの髪や瞳が放つ特有な色彩を見つめながら、そう話す。


「でも一応クォーターだし、縁があるんじゃないかな。」


 飄々とレンが呟いたのを私は聞き逃さない。私に向けた言葉なのだから当然だが、私は驚きのあまりに食い付いた。


「え、レン、クォーターなの・・・?」


 私は当然、そう尋ねてしまう。記憶に無い情報だ。私の驚きの声を何ともせずにレンは小さく頷いて、さも以前話したことがあるだろうとでもいうような表情をする。


「聞いてない・・・。」


 それはレンとこれから付き合っていく上で重要なことではないが、私は少し腹が立つ。


「この風貌で純日本人と思ってたなんて、僕からしたらちゃんが凄いよ。」


 レンは小さく笑いながら嫌味に言う。


「だって、言ってくれなかったじゃん。馬鹿。」


 私はそっぽを向いてそう呟いて、少し歩調を早めてレンの前を歩いた。レンが追い掛けてくると信じてすたすたと歩く。しかし、いつになってもレンの気配は遠ざかるばかりだ。私はむっとして立ち止まると、レンの居る後ろを見る。


「追い掛けてくれても良いじゃん。」


 私がそういうと、レンはきょとんとしてから、くすりと憂えた笑みを口元に拵える。馬鹿にされたような気がして、私は先に帰ってやろうと思い、より足早に歩を進めた。






ちゃん。」






 私の気分とは反して、レンの明るい声が背後から飛んでくる。その途端、レンの体が私を捕らえる。後ろから勢い良く抱きつかれて、私は数歩前によろめいた。


「追い掛けて欲しいなら言わなきゃ分かんないよ。」


 耳元を吐息混じりの笑みがくすぐる。これはずるい。


「追い掛けてよ。」


 聞こえるか聞こえないか程度の小さな声で言ったつもりだが、レンはしっかり聞いたらしく、また吐息を漏らすように笑う。


「じゃあ僕から逃げないでよ。」


 艶やかな声だ。ぞくっとする。私はあまりに色気をたっぷりと含ませたその声色に言葉を返せなかった。






「ずっと僕の側に居てよ。」






 何を言っているのだろう。今度は私がきょとんとして、私の肩に顎を乗せたレンを見る。するとレンは不敵な笑みを作っている。顔が、近い。


ちゃん、すぐ迷子になるんでしょう?心配しちゃうじゃん。」


 期待をして損した。相手はレンだ、これくらいのことには慣れなければならないだろう。


「体験入学の時だけだもん。レンの馬鹿。」


 私が肩を落とすと、レンは私を抱きしめていた腕を解いて、お得意の手つきで私の髪をくしゃくしゃにする。


「あ、ちゃんってば期待しちゃった?可愛い。」


 意地が悪い。私は呆れて物も言えず溜息を吐いてレンを見た。


「レンに期待しちゃ駄目なんだって勉強になったよ。」


 嫌味を添えてやると、レンは手を止めて、少し驚いた表情を見せる。すると珍しく私の髪を手櫛で整えてくれる。


「ごめんね。からかいすぎちゃった。ちゃんの反応が可愛いから、ついついいじめたくなっちゃうんだよ。」


 レンはずるい。そんな顔をされれば何も言えなくなる。私は頷きもせず、かと言って不満げな態度を取るわけでもなく、ただレンを見た。大きな瞳がビー玉に光を当てたかのように、奥まで輝いているように見える。


「何でそんな目で見るかなあ。」


 レンが口をもごもごとさせながら呟く。私は何か卑しい目つきでもしていたかと思い、はっとする。


「ごめん、睨んだつもりはないんだけど。」


 目つきが悪いなどと言われた事はなかったが、私は目をぎゅっと瞑って数回まばたきをして、なるべく普通を装う。


「違うよ。ちゃんがあんまり真っ直ぐ見つめるから、恥ずかしくなったの。」


 レンは私の視線を手のひらで遮る。そんなことを言われると私も恥ずかしくなって、レンを見ることが出来なくなる。


ちゃんが無意識でしてるんだったら、他の奴にしないでよ。僕だから許してあげるんだからね。」


 何故そんなに上から物を言うのだろうか、私は納得いかないものの、レンが言うことは私にとって絶対的なのだ。


「変なの。」


 私はそう言ってレンが私の前に制していた手に指先を絡めた。ゆっくりレンの手が下りるにつれて、レンの顔が見える。頬を赤らめていて、幼い顔つきで私を見ている。そして暫く何か言葉を口の中で回すように動かしては止めてを繰り返す。そしてゆっくりとその形の良い唇が開いた。


「・・・まだ足りないもん。」


 レンが呟くのに、私は意味を理解できずに首を傾げて疑問の声を漏らす。するとレンは空いた手で後頭部をかいて唸った。


「足りないはずなのに・・・。」


 レンはそう言うと居心地悪そうに視線を逡巡させる。


ちゃんと居ると調子狂う、馬鹿。」


 何が足りないのか、私の何が馬鹿なのか、理解も出来ないまま、レンの手が離れた。ただ、いつものような穏やかな空間ではなく、いつになく真面目なレンに私は居たたまれなくなる。しばらくお互いに黙り込み、居心地の悪さを感じる。私はそれに耐えられずに口を開いた。


「そういえば休み明けに実力テストあるね。」


 自分の話題性の無さにはほとほと呆れるが、出てきたのはそれくらいだった。するとレンは頷いた。


ちゃん、勉強とかするタイプなの?」


 レンが先程までの苦悩の表情を一転させて、いつも通りの微笑を湛えて尋ねてくる。沈黙の間に何か自分の中で決着を付けたのだろうか。


「するよ。勉強好きだもん。」


 私がそう答えると、レンは驚きの声を上げる。


「本当に?それ変だよ。僕勉強とかしたくない。」


 駄々っ子のように唇を尖らせるレンに私は笑った。


「何か新しいことが分かるのって快感だもん。私は何にでも探求心があるの。」


 自分の実力を越える瞬間の快感を私は知っている。それまでの苦労が好きだなんて言わないが、快感を得るためなら頑張れるのだ。


「そもそも実力テストって言うなら勉強しちゃ駄目じゃない?そんなのその時の実力じゃないじゃん。僕は絶対勉強なんてしない。」


 きっぱりとそう言い切って、レンは得意気な笑みを浮かべている。何だか可愛くて愛しい。


「でも私は明日と明後日の土日は勉強に打ち込むよ。」


 小さく拳を握ってやる気を見せつけると、レンはいかにも面倒くさそうに眉尻を下げた。


「ふーん、頑張ってね。」


 素っ気なくそう言われて、少しつまらないと思いながら、私は頷いた。


ちゃんに二日間も会えないなんてつまんないな。」


 レンが呟いたのに、私は一瞬心を踊らせたが、期待しては駄目なことを先程学んだので、私も頷くだけだった。




















―あとがき―
遅くなりました。何とか書き上げました。
仕事が月に三回ほどしか休みが無い上に、殆どヘルプで日帰り出張ばかりなので、朝6時に家を出て、帰ってくるのが11時とかだったりして、何日もアクエリアスだけっていうこともよくあります。ご飯食べる時間があれば寝たいです。
こんな状態なのでなかなか更新出来ませんし、書けてないです。
気長にお待ちいただけると嬉しいです。

081101
















































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