ドリーム小説  一ヶ月考えた。
 私には足りないほど短い時間だった。しかし答えを待っていてくれる二人にとって、どれ程長い時間だったか、私にだってそれくらいは分かる。


「レン、話があるの。」


 こんなベタな切り出し方しか出来ないなんて、洒落っ気のない私。レンは玄関の扉を押さえたまま、瞬間、何か逡巡するような顔をしてから微笑んだ。


「ここで聞くべき?それとも、中入る?」


 入ったら最後、帰さないけどね、なんて冗談まで加えてくれて。レンはきっと分かってる。私が何を言おうとしているのか。


「ここで、良い。」


 そ、と短くレンは頷いて、私の言葉を待つように、じっと私を見つめてくる。私はカイト先輩を選ぶのだ。お宅に上がり込んで、レンの空気を存分に吸い込んでしまったら決心が鈍ってしまうかもしれない。


 考えた、沢山。
 レンとは学校で毎日会って、当たり前のように話をした。取るに足らない与太話をした。レンは何も言わずに待っていてくれた。
 カイト先輩は実習で忙しくなったこともあり、今日まで、私が決断できる日まで会わないことに話し合って決めた。
 私はその間、いつも私の話を自分のことのように聞いて笑ってくれて、いつも励ましてくれる彼が側にいないことが、とてもではないが堪えられなかった。あの優しい笑顔を見たい。彼の頬を赤く染めたい。困らせたい。彼が愛しい。
 私はもう、高校一年生の春をとうに過ぎてしまったのだ。今の私に必要なのはレンではない。カイト先輩なのだ。


ちゃん、決めたんでしょう?いいよ、ちゃんと聞くから。」


 私は突然声を失ったように、何も言えなくて、出てこようとする言葉は鉛のように重くて、喉元まできてはまた胃の奥にまで引っ込んでしまう。何て言うか、散々考えてきたのに。
 レンは困ったように眉尻を下げて私を覗き込む。


ちゃん、流石に今回も僕から言わせるのは無しだよ?」


 今回も。
 夏祭りのあの日、レンの住んでいたあの家の前で、私はレンの問いかけに答えられなかった。レンが代わりに答えを出してくれた。いつもレンは私のことをそうして気遣ってくれていた。だけど違うのだ。私が本当に欲しいのは、レンの優しさではない。そう、自分で気付いたのだから。


「・・・私、あのね、カイト先輩が・・・好きだから、レンと・・・。」


「うん。」


「レンとは・・・。」


 うん、とまた頷いて、レンはドアで塞がれていない方の手で私の右手を取った。ひやりとした冷たい指。夕方とはいえ、真冬のツンとした冷気は肌を切り裂くようだった。早く言ってあげなくては。これ以上、レンの指を、身体を、心を、冷やさないように。
 それなのに。


ちゃん、言って。お願い。僕にも踏ん切りを付けさせてよ。」


 切ない声に、私は胸が抉られそうだった。
 レンとは付き合えない。
 そう言えば良いのに。


「レ・・・ン、言っ・・・。言えないの・・・。言葉が出てこないよ・・・。」


 泣くのは狡い。本当にこんな時でも私は狡い女だ。レンは暫く黙ったまま、俯いていた。私も鼻を啜って泣いた。いつも泣いてばかりだ。


「・・・カイト先輩なら、良いや。」


 暫くしてから、ぽつりと、それこそ聞き逃しそうな程小さな声で、レンは言葉を紡いだ。私は嗚咽を堪えて、泣きじゃくるのを堪えて、顔を無理矢理上げた。俯いたままのレンがそこには居た。


「カイト先輩なら、ちゃんを幸せにしてくれるよね。分かったよ。最後の餞別を上げる。」


「レン・・・。」


 涙が一瞬で引っ込んだ。
 顔を上げたレンがふわりと微笑んだ。唇が微かに震えている。


「今までありがとう。ちゃん、バイバイ。」


 レンは私の肩を軽くポンと叩いて後方に押すと手を数度ひらひらと振って、扉を閉めた。


 これで良かったのだ、これで良かったに決まっている。私はカイト先輩と歩いて行くと、決めたのだから。






 夜九時にもなって、誰だ、このけたたましいまでにドアを叩く奴は。僕の心中を知ってやっているのならば、僕は今ドアの向こうの相手を蹴り倒して良いはずである。傷心なのだから放って置いてくれと思い、一分間ほど無視してみたが、ドアを叩いたりインターホンを鳴らされたりとたまったものではなく、僕は青筋が浮かび上がりそうになるのを堪えて玄関に向かった。


「近所迷惑になるんでやめてください。こんな遅くに何の・・・用ですか、カイト先輩。」


 今一番見たくない相手だ。蹴り倒すなんかでは物足りない。なんだ、良き戦友に最後のご挨拶とでも言うのだろうか。それにしては辛気臭い顔だ。そんな風に毒付く自分の内心を隠すつもりもなく、僕は心底嫌だという顔を作って見せた。


「あのさ、が今、実家に居るみたいなんだよね。」


「はあ、そうですか。」


「鏡音君、迎えに行ってあげてくれない?」


「・・・はあ?」


 なんなんだ、どいつもこいつも、そんなに僕の神経を逆撫でしたいのだろうか。放って置いてくれ。ちゃんもちゃんだ。泣きたいのは僕の方だった。言いたくもない別れの言葉を僕が言わされる理由なんて無かったはずだ。酷い手打ちを受けたものだ。今は一人になりたいのに。


「カイト先輩が行けば良いんじゃないですか?僕は生憎振られた身なので。先輩が迎えに行った方がよっぽどちゃんも喜びますよ。」


がこの前連絡くれて、俺を選んだから鏡音君と話を付けてくる、だから明日会おうって言ってくれたんだけどね。さっきのお母さんから電話来てさ。が突然帰ってきて、ずっと部屋で泣いてるけど喧嘩でもしたか、なんて言われてさ。」


「はあ、そうですか。」


 悪いがこの扉を閉めても宜しいですか、と続けてやりたいが、それを堪える。話題がちゃんのことだからだ。僕は、ちゃんに振られても、それでも気掛かりだからだ。僕はちゃんのことが、好きだからだ。


「俺、のこと、ずっと見てきたから分かるよ。のこと、ずっと好きだったから。」


「敵に塩を送るんですか?」


 僕が眉間に皺を寄せて言うと、彼は困ったように笑った。彼のこんな時でも人の良さそうなその笑顔を見せられるところに、僕は尊敬さえする。


「俺、馬鹿なんだよ。そんなこと知らない振りをすればいいのかもしれないけど、出来ないんだ。分かるでしょう?」


「カイト先輩は、それで良いんですか?」


「・・・俺は、いつでもの頼れる味方でいたいんだよ。」


 良い大人が泣きそうな顔で笑っちゃって、情けないったらない。とんだヒーロー様だ。僕はつくづくお人好しな彼に一瞥くれてやり、無言で一度部屋に戻った。財布と携帯を手に取って、再び玄関の戸を開けると、そこにもう彼の姿は無かった。瞬間、なんとも言えない罪悪感に似たような感情が湧き上がったが、それを振り払い、僕は駅まで走った。






、さっきカイト君に連絡したんだけど、もう11時前には迎えに行けるって言ってたわよ。カイト君が来るまでには落ち着きなそうなの?」


「・・・うん・・・。」


 レンと話した後、私は何も考えずに実家へ逃げ込んだ。これで良かったはずなのに、胸が千切れそうに痛くて、堪えられなくて、そうすると家族の顔が見たくて仕方がなくなったのだ。母は私の姿を見るなりどうしたの、と驚いたが、すぐにわんわんと泣く私にお手上げ状態になり、部屋へ連れて行ってくれると紅茶を置いて部屋を出た。
 これで良かったのに、何でわたしはレンの、バイバイ、という声を頭の中で反芻させて感傷に浸っているのだ。カイト先輩に対して今以上に更に不誠実なことを繰り返さなくても良かろうに。
 きっと事情を知らぬ母が心配して、カイト先輩に連絡をしてくれたのだろう、もうすぐ迎えに来るなんて言うので、私はいよいよパニックである。今はどんな顔をすればいいのか正解が分からない。カイト先輩が好きだと、その自分の気持ちを信じると決めたのに、今はどうだ。こんなにもレンとの思い出ばかりを記憶からかき集めて、泣き暮れて。


 少しするとマンションのロビーからの呼び出しの音が聞こえた。機械音は聞こえるがインターホンを取ったであろう母の声は聞こえなかった。きっとカイト先輩だ。私は頬を自ら叩いた。
 心配かけてごめん。少しセンチメンタルになっていた。もう大丈夫。これからまたよろしく。
 そう言えば良いのだ。


「ちょっと!どうなってるの?今、うちに・・・。」


 母がノックもせずに入ってきたかと思うと、言い切るよりも先に今度は家の玄関のインターホンが鳴った。母が玄関のある方へ視線をやって、そろそろと私に戻す。


「お母さん・・・、誰が来たの?」


 母の様子があまりに動転しているものだからそう思わず尋ねた。


「私にもさっぱりよ、。あんた、何でカイト君じゃあなくて、レン君が来るのよ・・・?」


 私は母の言葉を聞き終えるや否や、立ち上がって扉の前に立つ母を避けて玄関に駆け出した。母があまりに突然のことに目を白黒させているのも気に留めず、私は。






「レン・・・!」


「いだっ!」


 勢いよく玄関の戸を開けると、ゴンッという鈍い音とドアを通じて伝わる衝撃、くぐもった変な悲鳴。
 あれ、これなんかデジャヴ。


「れ、レン、ごめん、私・・・。」


 ドアを閉めてレンの姿を確認すると、尻餅は付かなかったものの、しゃがみ込んで、額や鼻ならまだしも、何故か顎を抑えていた。


「ちょ、ちゃん、この仕打ちはないよ・・・。」


 よろよろと立ち上がりながらレンが顎を摩って、恨めしそうにこちらを見た。


「ほ、本当ごめん。なんで私、このタイミングでこういうことしちゃうんだろ・・・。」


「シリアスな気分ぶち壊しだよ、本当・・・。」


「でも、レンも何で顎?」


「いや、インターホン鳴らしたものの、緊張しちゃって、意気込んでたら自然と顔が上向いちゃって、そこにドンって。」


 一瞬の沈黙。しかしすぐにレンが声を出して笑い出したので、私もつられて笑ってしまった。


「あはは、前も同じことされたよね、僕。ああ、おかしい。」


「本当、一度ならず二度までも。ごめんね。」


 笑いながらそんなことを言うとチリッと視線が混じり合って、また自然と黙り込む。いつも、レンが笑うと私が笑う。私が笑えばレンも笑う。鏡みたいだ。


ちゃん。」


 レンが私を呼ぶ。ああ、駄目だ。何を決意したのか、忘れてしまう。


「僕、勢いでここまで来てみたけどさ、どうすべきだと思う?」


 苦笑いを浮かべたレンに、私は先程無理に閉じ込めた涙がまた溢れてきた。するとレンは短く笑う。


「もう、ちゃんってば、何ですぐ泣くの?」


 レンの困惑した声音。本当だ、また堪え切れずに涙をこぼしている。何故私はいつも泣いているのだろう。


「・・・言えないの。」


 ようやく絞り出したというのに、声が震えた。


「何を?」


 レンが私を覗き込む。


「レンにだけは、言えないよ・・・。バイバイなんて、言えないよお・・・っ。」


 私は声にしている内に子供のように泣きじゃくってしまった。レンはそんな私をまさに子供を見つめるように優しく見つめる。


ちゃん、ちゃんと教えて?ちゃんの気持ちが知りたいよ。今度こそ、ちゃんとちゃんから教えて。」


 そっと私の手を取った。夕方してくれたように、優しい手付きだった。そしてひんやりとしていた。






 分かっていたんだ、最初から。
 私はこの手がほしかった。
 この瞳がほしかった。
 レンの愛がほしかったのだ。
 お願い
 私を離さないで






「レン、レンが好きだよ・・・!私、ずっと、レンが良いよお・・・!」


 私が言い終えるよりも早く、レンは私の手を引いて私を抱き締めた。夜風に吹かれて冷え切ったレンの身体は、高揚して上気した私の頬を冷やしてくれて心地がよかった。


ちゃん、ありがとう・・・。」


 たっぷりと間を置いて紡がれたレンの言葉は短く、それが余計に感慨深いものだと感じて私は更に声を上げて泣いた。


「レン、もう、離さないでね・・・、私も離れない、からっ・・・。」


「うん。」


 離さないよ、そう耳元で囁くように静かなレンの声がして、私を抱き締めるレンの腕により力が篭った。レンのシャツは私の涙でじっとりと湿ってしまった。


ちゃん、顔上げて。」


 少ししてレンの腕の力が緩められると、レンの声が私を呼び掛ける。それに従って顔を上げると、レンがいつになく儚い笑みを浮かべている。レンの後方に光る月光が、レンの金糸を妖艶に魅せた。


「キスしたい。ちゃんが僕の所にきてくれたってこと、もっと感じたいよ。」


 レンの左手が私の腰に回されたまま、しかし彼の右手は私の頬を撫でた。涙で滲んだままの視界で、それでもレンだけは確かに美しく映った。


「して、レン。私がレンのものだって、感じさせて。」


 私の返事までも噛み千切るつもりなのか、それほどの勢いでレンは激しく私に口付けた。深く深く、脳の奥底まで溶けてしまいそうな、そんな口付けだった。


 と、そこにまるで場違いなほど金属的なカチャリという音がして、私とレンはその音の方へ顔を向けた。


「あのね、もレン君も・・・。事情は分からないけど、とりあえずお家の中でお話、したらどうかしら?もう、帰るにも遅い時間だし、ね?」


 細く開けられたドアの隙間から、父と母が申し訳なさそうに顔を出した。私達は瞬間、呆気にとられたものの、ここが閑静な住宅街であり、今は夜半過ぎであり、そして私の家の玄関の真ん前であったことを思い出すと、二人同時に顔を真っ赤にさせた。


「ご、ごめんなさい。」


 私は恥ずかしいのと罰が悪いのとで、とても小さな声になった。


「すみません・・・。あの、ご無沙汰しております・・・。」


 レンは何年かぶりに会う私の両親を前に、その久々の再会がこのような醜態であることもあって、いつものスマートな態度に出れないようである。すると私の母が笑った。


「とりあえず上がりなさい、お二人さん。あと、レンくん。」


「はい。」


「お帰りなさい。」


 私の母の言葉に、レンは一度目を真ん丸くさせてから、破顔した。


「ただいまです。」






 たまたま家が近かった。
 たまたまクラスが一緒だった。
 たまたま私は恋に落ちた。
 ただそれだけだよ。


 ただそれだけのシンプルなこと


 あなたは私の
 運命の人




















―あとがき―
レンEND、完結です。ここまで長い間、ご愛読ありがとうございました。
思い起こせばこの連載を始めて何年が経ったことでしょう。
まさか完結させるのにこれほど時間が掛かるとは当初は思いもよりませんでした。
途中で道草食って、長い間お客様を振り回してしまいまして申し訳ございませんでした。
この話を書いていく内に、ボーカロイドの鏡音レンというよりも、自分が作り出したキャラクターとしてのレン、カイト、そしてヒロインにとても愛着が沸いてしまい、終わらせるのが少し寂しいと感じています。
しかし、終わりです。
稚拙な恋愛小説となりましたが、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。

150106















































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