ドリーム小説 「わかめの匂いがする。」


「それを言うならさ、海の匂いなんじゃないかな、これは。」


 海が近い。クエも美味しかろうなあ、と私は上機嫌に船の上からすぐ真下に漂う漣を眺めた。


「やっぱり話題になり出したからかな、若い人が多いね。」


「テレビでたまにやってるもんなあ。俺もに聞くまで知らなかったよ。」


 私が行きたかった場所である。前知識もない彼には本音では退屈だったのではないか、と不安に思った。しかしそれもつかの間、私の心中を察したのか、俺も興味あるなあ、と笑った。
 もう彼と付き合ってから二年半が経つのだ。こういう時のカイト先輩の気遣いと言うべきなのか、または私の性格をよく知っている、というべきか。少しだけ心がくすぐったくなる。


「自転車なんて久し振りに乗るから、俺転けるかもしれないよ。」


「嘘ばっかり。まさか自転車持ってるって、ロードバイクとは思わなかったよ。」


 でも暫く乗ってないから、と悪戯に笑うカイト先輩を見て、彼もまたいつになくご機嫌だと感じた。こんなに幼く笑うこともあるのだなあ、と短い付き合いでもないというのに、新たな発見である。






 船が島へ到着し、私達は自転車共々降り立つと、自然と首を揃えて辺りを見渡した。
 自転車に跨り、舗装された道や、砂利で滑りそうな場所をゆっくりと、要所要所見ながら周る。


「あ、砲台発見!カイト先輩、こっち来て!」


 軍地要塞だった名残がそこに見えて、私は大手を振ってカイト先輩を呼んだ。近い距離だが、カイト先輩は景色に見惚れていたのか、驚いたようにこちらを見るなり向かって来た。


「わ、凄いなあ。本当に戦時中のまま残されてるんだね。」


 戦時中に使われていた砲台、ロマンがあるではないか、と私はにんまり笑って彼の表情を伺った。まるで夏休みの少年のような、目をらんらんと輝かせたカイト先輩の瞳に、私は瞬間、目を奪われた。
 レンみたいだ、と思った。
 この旅行では、カイト先輩だけを見ていよう、そして自分の心に決断を下そう、そう思っていたのに、瞬時に出た例えがレンだったことに後ろめたさを感じて、私は砲台を眺めている振りをしつつ、視線を斜に下ろした。


。」


 唐突に名を呼ばれて、私が視線を上げると、カイト先輩は柔らかく、太陽のような笑みを称えていた。


「楽しい?」


 続けて投げ掛けられた問い掛けに、私は一拍置いて、大きく頷いた。


「うん、一緒に来てくれてありがとう。」


が行きたかった所に一緒に来れて、俺も嬉しいよ。」


 ああ、なんと健気な。私はそんな彼との今後を今日この日に決めようとしているというのに。己の欲望の為だけに傷付けてしまう選択をするかもしれないというのに。そんな優しいカイト先輩を、私は、本当にどうにかする事が出来ると言うのだろうか。
 彼の背後から照らし付ける太陽が、じりじりと私の心を炙る。良心が痛む。誰に向けた良心なのか、自分でも分からないままに。






「お腹いっぱいで動けないよ、もう。」


 ふうっ、と大きく息を吐いて、私は満たされたお腹に顔の筋肉も緩み、情けない声を出した。今夜泊まるこの旅館の部屋は、探す時間が短い中でとりあえずで選んだにしては上出来な選択であった。綺麗な部屋、浴場もさることながら、目の前で見事空となった鍋や皿につい先刻まで盛り付けてあった料理の数々には私とカイト先輩は目を輝かせてパクついてしまった。貸切風呂が予約で埋まっていたことと、人気の海辺側の部屋は取れなかったということはあったと言えども、ここの部屋から眺める中庭も、規模はそれ程ではないが、古風な作りで手入れも行き届いた趣のあるものであった。


「俺もお腹いっぱいだよ。クエは初めて食べたけど、こんなに美味しいとはね。」


「見た目がちょっと怖いから、どんな味なんだろうって思ったけど、やっぱり高級なお魚なだけあるんだね。お刺身も美味しかったしね。」


 しらすも美味しかったなあ、と私が食いしん坊みたいな口振りで言うと、カイト先輩はうんうんと頷いてくれる。


「ちょっと休んだらもう一回お風呂入って来ようか。」


「そうだね、お風呂入りたい。」


 私が答えると、よし、何か意気込むかのような返事をして、畳にゴロンと大きく転がったカイト先輩のその無防備さに、私は微笑ましくなった。近くに寄って気持ち良さそうに目を瞑っているカイト先輩を眺めた。すると薄っすら瞳を開いたかと思うと私を見つめて、柔和な笑みを浮かべ、肘枕をして、とんとん、と私の座った場所よりも更に彼に近い畳を優しく叩いた。彼の言わんとすることを理解し、私は隣に倣って転がった。カイト先輩が雑に着た浴衣の胸元が肌蹴ている。その様を眼前に捉えながら、私は首を上向きにして、カイト先輩を見た。


「こうして、いつもと違う場所で、いつもと違うの姿を見てると、なんかちょっとドキドキするなあ、俺。」


 まるで幼い我が子を愛でるとでもいうような優しい瞳、そして優しい指先で私の手を取ると、その骨張った指が私の五指を絡めとって組まれた。


「旅行って非現実的な感じがしちゃうよね。」


「そうそう。お腹はいっぱいだし、遊び回った程よい疲れもあって、俺今、凄い幸せだなあってしみじみ感じいっちゃってるよ。」


 私の指先を組んでは離して指先で撫でてみたりなど、カイト先輩は新しい何かに触れるかのように散々ばら弄びながら、やはりきゅっと私の手を組んだかと思うと、幸せそうに目を細めてそんなことを言う。男の人らしい太く筋の一本入った高い鼻梁は、いつもの知的さではなく妖艶さを醸し出していた。


「自転車なんて何年振りかに乗ったけど、案外乗れるものなんだね。」


「はは、確かにね。人間、体で一度覚えたことは中々忘れられないものなのかもなあ。」


 舗装された道ばかりではなく砂利道も沢山走った甲斐もあり、足は適度に疲労感を訴えていた。


「カイト先輩は折角ロードバイク持ってるんだからちゃんと乗らなきゃ勿体無いよ。」


「そうなんだけどさあ。高校の時に奮発して買ったけど、俺自転車より走る方が好きみたいだからさ。」


 へへ、と幼く笑う。ロードバイクのことなぞ私には分からないが、そう安価なものでも、衝動買いするような代物でもないはずだ。それをなんてことはない、と言うように放ってしまう、というと語弊があるが、使わないでおくだなんて、私のような庶民的な人間には驚愕極まりない。


「それに俺、に並走できるくらい足が速くならないといけないからね。」


「あはは、カイト先輩遅いんだもん。」


「この野郎。」


 私の挑発に口を尖らせたカイト先輩が私の頭を掻き抱いて、彼の胸元に納められたかと思うと、髪をぐしゃぐしゃと乱した。


「やだー、やめてよー!」


 どうせ今からまたお風呂に入るのだから構いはしないのだが、とりあえずそんな風にじゃれると、カイト先輩は一頻り私の髪型を乱し切った後、私を胸元に抱いたまま、ぐっとその腕に力を込めて動かなかった。彼の鼻先が私の頭頂部に触れていることが分かる。こそばゆい。すると、すー、と彼が大きく息を吸ったのが分かった。洗ったばかりの髪はシャンプーの匂いしかしないはずだが、少し気恥ずかしい。


「俺、が好きだよ。」


 永い沈黙、否、永いと言えどたかが知れているはずなのだが、それでも少し物思いに耽る余裕すらあった沈黙の中で、唐突にカイト先輩が紡いだ言葉は聞き逃しそうなほどにぽつりとしていた。そしてそれは、妙にこの場にそぐわないような、浮いた言葉に聞こえた。だから私は一瞬言葉を返すのに遅れてしまった。私も、と返そうとするより先にカイト先輩が腕を解放し半身を起こすと、風呂に行こうと切り出したので、私は消化不良な言葉と気持ちで、何か心にしこりの残るような、そんな感覚を不満に思いながら頷いて部屋を後にした。






 大浴場のある別棟の一階ロビーで、私達は入浴を終えてから待ち合わせ、そこでアイスクリームを食べてから部屋に戻った。時刻は十時を過ぎたばかりだったが、部屋には既に布団が用意されており、先程、私達が食い散らかした料理は跡形も無かった。当然と言えば当然だが、この至れり尽くせりなのが旅館の良いところだなあ、と私はご満悦である。


「まだこんな時間なのに、俺今すぐ寝ろって言われたら三秒で寝れる気がするよ。」


 カイト先輩は入浴用の用意を部屋の隅に放ると、羽毛布団にもふっと身体を沈めて満ち足りた表情で言う。


「大袈裟な。でも私もすぐ寝れちゃうかも。」


 カイト先輩の隣に私も同じ様に身体を鎮めると、自分の家の布団とは違う匂いがまた、現実感を奪って夢現つな気持ちにさせた。うつ伏せで鼻を布団に埋めたまま、視線だけカイト先輩に向けると、彼は身体を横向きにして私を見つめていた。その真っ直ぐな視線がこそばゆくて私はくぐもった声のまま、ふふと笑う。


「カイト先輩、お酒でも飲んだの?ほっぺたが赤くて可愛い。」


 お風呂上りで頬が上気しているだけなのを知っていてからかう。するとカイト先輩は反論してくるとばかり思っていたのにも関わらず、何か逡巡するように視線を泳がせた後、また此方を見て微笑んだ。どうしたの、と私が尋ねると、カイト先輩は口を、ゆっくり開いた。


「来年にはも二十歳だから、そうしたらまた、こういう旅館に泊まって、その時は一緒にお酒飲もうよ。」


 当然のように繰り出される未来の話。付き合っている男女なら何もおかしなことではない。そんなことは分かっている。それなのに私は、一瞬言葉を失った。


 一年後の私は、どうしているの?
 今の延長線上を歩き続けているの?


 笑って頷いてしまえば良いだけの、他愛もない話なのに、私は瞬間、意識が持って行かれてしまった。


「だから、さ。」


 そんな私のことなぞ露知らず、カイト先輩は続けた。


「今日は、俺たちのこれからの話をしようか。」


 途端に静かな、先程までの太陽を連想させるような暖かい声と打って変わった、異質なまでに耳に鋭く響くカイト先輩の声に、私は思わず半身を起こした。しかしその私の肩をカイト先輩が押して今一度布団に沈められた。
 カイト先輩の手が私の頭の横に置かれて、端正な顔が私に覆い被さるように、眼前にある。


「せ、んぱい、突然、何。」


 明らかにいつもと様子の異なるカイト先輩に気が動転し、私は言葉を詰まらせた。しかしカイト先輩は端正な鼻筋の伸びたその下に備えられた上品な唇に優しく笑みを携える。


。好きだよ。」


 いつもの優しい声音でそう言われて、私は一瞬の内に緊張が解けた。なんだ、先程感じた予測の付かない不安は気の所為だったのか。安堵して肩の力が抜けた所で、カイト先輩がふわりと私の唇にキスを落とすように近付いた。私は目を閉じて彼の唇を待つ。しかし彼の顔が私の頭の横に降りた事に気付いて、瞳を開くが早いか、彼の声が耳に滑り込んだ。






「鏡音君になんか、渡さないから。」






 ぴしゃん、と意識の奥深くで、何かが絶たれる音がした。




















―あとがき―
いつも私の書く小説に出てくるな場所や物は、私が好きだったり気になってたりするものです。
友が島は一年ほど前に念願かなって行けました。クエは見た目が怖くて食べれず、シラスばっかり食べてました。
小説といっても私の妄想ですから、自分のやりたいことを主人公たちにやらせたい。そして実行できていない自分を慰める。

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