ドリーム小説  裏切りの誹りは受ける
 その覚悟はあるのに
 また私は
 罪を重ねる






 向かい合って一冊の雑誌を食い入るように見つめ合う。


「あ、ほらほら。ここにあるじゃん。レンタサイクル。」


「本当だ・・・、待って。ここ朝一のフェリーと同じ時間からしか営業してないよ。」


「一本遅いフェリーにすれば良くない?」


「んー、でも丸一日じっくり見たいなあ。」


 行きつけの喫茶店で旅行ガイドを拡げながら、ああでもない、こうでもない、と私達は意見を交わしていた。
 短い冬休みがもうすぐ始まろうとしている。カイト先輩にとって、二人でゆっくりする時間が作れる最後の長期休暇と言って良い。春休みも実習だなんだと忙しく、四年生になれば、それ以上である。今回の旅行を持ち出したのは彼の方であった。


 あれから三ヶ月が経つのに、私は何も言えずにいた。
 何も知らないカイト先輩の優しさをいいことに。
 急がなくても良いというレンの優しさをいいことに。


「ゆっくり見たいならやっぱり荷物になるけど、自転車をこっちで借りるしかないかな。俺は持ってるから良いけど、は予め借りなきゃいけないけど、大丈夫?」


 むむ、と唸りながら私との旅行の計画を一生懸命に練っているカイト先輩の顔を、本を見ているふりをして盗み見た。真剣そのものである。


「うん、借りておくよ。我儘言ってごめんね。島の中、沢山見たい所あるからさあ。」


「そんなの我儘の内に入らないって。あと半年もしたらに寂しい思いさせちゃうから、今の内に出来る限り、のしたいことをしようよ。」


 ね、と小首を傾げて覗き込まれる。優しい笑顔だ。私は小さく頷いて礼を言う。
 また互いにガイドブックに視線を落とし、ここに行きたい、あれが食べたいと話し合う。こうしている時間は、私にとって、とても落ち着くのだ。頭の中から、考えなければならないことがごっそり無くなっているような、それが現実逃避だったとしても、私には心地良かった。


「旅行?いいなあ。」


 ふと、頭上から聞こえた声にびくりとして頭を上げた。


「鏡音君、久し振りだね。」


「お久し振りです。冬休みの計画ですか?」


「そうそう。冬休み終わったら、俺がハードスケジュールだからさあ。」


 今の内にね、とカイト先輩が続けるのに対して、レンはお疲れ様です、なんて労いの言葉を掛けている。当の私の方が疎外感を感じるほどだ。






 あの祭の翌日、こちらに帰ってくると、まずカイト先輩にこっぴどく叱られた。
 お母さんも俺も凄く心配した、電話に出れないのでは携帯の意味がない。
 などなど、正しく母と同じことを言われて、私は平謝りする他なかった。しかし、叱責の言葉を言い連ねた後、カイト先輩は溜息をひとつ吐き、両手を広げた。


「無事で良かった。お帰り。」


 目を細めて笑う、カイト先輩のその癖が好きだった。視界なんて無いくらい目を細めてにこりとするその笑顔に、私は吸い込まれるようにして抱き付いていた。私の背に回された彼の力強い腕は暖かく、その安堵感が私には胸に詰まるようだった。
 同時に、この人を傷付けた上にある幸せとは果たして如何程の価値があるのか、分からなくなってしまった。






 ちゃん、と背後から声を掛けられた。


「買い物?」


 スーパーに食材の買い出しに行こうと、マンションの階段を降りた。エレベーターもあるのだが、上層階でもないし、ちょっとした運動だと思うと、私には階段の方が使い勝手が良いのだ。
 夏だと言うのにあまり外に出ない、運動もしない、という白くてひょろりと細い体でレンは私の横にやってくる。二階なんだからエレベーターより階段の方が速いよ、と以前指摘したことがあった。それから一時期は階段を使っていたようなのだが、やはり疲れるとのことで、今もエレベーターホールからやってきた。


「そうだよ。レンは?」


「僕も買い物。一緒に行こうよ。」


 断る理由はない、否、今の私ならば断る方が正しいのだがそれが出来るわけもなく、私達は並んで歩いた。


「旅行、いつからだっけ?」


 歩きながら、なんてことはない、という調子でレンが尋ねてくる。けろりとした表情でカイト先輩に関することを言われると、私は居心地の悪さを感じてしまうのだ。身勝手であることは百も承知、しかしあの日からレンが、私との関係をどうにかしようとするような言動も行動も、見受けられなかったこともあいまって、心の核の部分が浮遊しているような落ち着かない気分であった。その傍らでカイト先輩と触れ合っていると、もしかしてあの日のレンとの甘酸っぱい時間は夢だったのではないかと錯覚してしまいそうになるのだった。
 いつまでもこのままではいけない。分かっている。それなのに、不安なのに、今が変わってしまったらどうなるのか、それさえも恐い。


「再来週の木曜から一泊だよ。」


 あえて、気まずさを覚えた声音で答える。


「友が島に行くんだっけ?良いなあ。僕も行きたいんだよね。フェリーの上は寒いだろうし、あったかい格好して行きなね。」


 私の意図することなど気にも留めずにレンがふわりと微笑むのに、私は力無く頷くしか出来なかった。
 何故早く彼に切り出さないのか、などとまくし立てられれば困るに決まっているのに、変わらない優しさで接されると不安になる。自分の覚束ない、芯の無い、不安定な所が嫌いだ。レンの望む言葉を、行動を、示すことも理解することも出来ない自分も。


「今日は晩御飯、何作るの?」


 私が居心地悪そうにしたからか、レンが他愛もなくそう尋ねてきた。


「あ、えっとね、青椒肉絲にしようかなあって。たまに無性に食べたくなるんだよね。」


「あはは、そうなんだ。あ、でも僕もたまに麻婆豆腐が食べたくて仕方ない時あるなあ。」


 レンの言葉に麻婆豆腐も良いなあ、なんて私が呑気なことを言うとレンはふふ、とその独特の、吐息を漏らすような笑みを浮かべた。


 レンも、カイト先輩も、私のなんてことはない言葉にこうして楽しそうに笑ってくれる。何故なのだろう。私には彼らが何故私を選んでくれるのかが分からなかった。
 昔は勉強が出来る自分、努力家である自分が好きだった。しかしレンと出会い、カイト先輩と出会い、私は自分が分からなくなってしまったのだ。






 スーパーで夕飯の材料を手に取りながら、私はううむ、と唸った。


「・・・レン、自分の買い物は?」


 私が野菜売り場だ、精肉売り場だと歩き回るのに、ぴったりと付いてくるレンに暫く黙っていたのだが、いつまでも手に買い物かごさえ持たないレンに辛抱たまらず尋ねると、レンは子供のような表情できょとんとして見せた。


「だって僕の買い物なんて十秒で終わるもん。邪魔?」


「邪魔じゃないよ。ていうか、また出来合いのもので済ませるの?」


「料理はどうにも駄目だからねえ。」


 そんなことでは健康が云々、と私が言うとレンはのらりくらりと笑っていた。
 ただでさえ運動もしない上にそのような食生活で、よく体調を崩さないものだと私は感心する。否、感心するようなことではないのだ。何とかならないものなのだろうか。


「・・・ご飯、作ろうか?」


 私は少し間を置いて、やはりこれだ、と思って切り出した。するとレンが手持ち無沙汰に、買うわけでもないだろう鶏肉なぞに向けていた視線を上げて此方を見るなり破顔する。


「やった、良いの?」


「もしかして、最初からそのつもりだった?」


 ぴたりと付いてきたり、そして今の笑顔もどことなく用意されていたような俊敏さが感じられて、私はレンのことを冗談に睨めつけた。するとレンは口角を釣り上げる。


「そんなつもりはなかったんだけどね?本当に惣菜買うつもりで家を出たんだけど、ちゃんがちょうど階段から出てきたから、もしかしたらご馳走してくれたりしないかなあ、とかなんて。僕、厚かましいでしょう?」


 何を得意気に、と思ったが、私も内心嫌でもないわけなのだ。
 むしろ、場を改めて私達は話し合うべきなのだ。願っても無い機会であることは間違いない。
 否、本当は話し合うことなどあるわけではない、それは分かっていた。レンは私に全てを伝えてくれた。後は私が行動を起こすだけなのだ。
 それなのに心の何処かでレンが、私にとって都合の良い言葉を囁いてくれると、期待している。世の中はそんなに甘くはないはずなのに。


「仕方ないなあ、もう。」


 私は手に持っていた肉を一度置いて、もう少し量のあるパックを取り直しながら言うと、レンはふふ、とまた笑う。


「だってちゃんの料理、美味しいんだもん。」


 そう言うと、さり気なく私が腕に通していた買い物かごの柄を持ち、するりと抜き去るとしっかりとそれを持って買い物の続きを促された。






 私の家でレンと二人きりになるのは二回目だった。その時も夕飯を一緒に摂った。あの時きりだったからこそ、向かいの椅子にレンが腰掛けているのを見ると、その日のことを思い出し、つまりはこのまま関係をなあなあにしておくべきではないと再認識させられるのだった。


「青椒肉絲凄い美味しいね。こういうのってレトルトじゃないと美味しく出来ないって思ってた。」


 レンは私の料理を口に運び、感想を言うとまた箸を動かした。素直に嬉しいと感じたので褒められたことにお礼を言うと、レンはこちらこそ、と返してくれる。
 大食漢のカイト先輩とは違い、レンはそんなに沢山食べないことは出会った頃から知っていた。前回はカイト先輩の分をと思って作っていたが、今日はあの日に比べると食卓に並ぶ品のボリュームは少な過ぎるくらいに感じる。しかしそれでも食べ終わって、満腹だと幸せそうに笑ったレンを見て安堵した。


「今度何かお礼しなきゃだね。」


「ええ、お礼なんていいよ。大層なもの作ったわけでもないし。」


 大袈裟にそんなことを言うので、いそいそと私が首を横に振ると、レンも首を振った。


「僕にとってはご馳走だもん。ちゃんが迷惑じゃなければ、何かお礼させてよ。」


 ずるい、と思った。本当に礼だなんて要らないのだが、迷惑でなければ、と言われてしまえば頑なに断るわけにもいかなくなってしまう。
 私は少しの間、考えあぐねいて、ふと頭を過った光景を、思わず口から紡いでいたようだ。その声があまりに突然ぽつりと小さなものだったせいか、レンがえ?、と小首を傾げて聞こえないもう一度、と促してくる。


「タルトが、いいな・・・。オレンジがいっぱい載った、やつ。」


 私は意を決して、今度ははっきりと紡いだ。レンは目をぱちくりと数回、瞬きさせると、ふわりと満面の笑みを浮かべる。その笑顔はまるで、否、きっとそうだと私は今までの付き合いで分かってしまうのだが、とても嬉しいといったものであった。何故レンが喜ぶのかは分からない。


「美味しいのを作るよ。楽しみにしてて。」


 オレンジのタルトは、まだレンと付き合っていた頃、そしてレンのお爺さんがまだ居た、あの暖かい部屋で食べたのだ。私はどぎまぎしながら、レンに夢を語った。教師になりたいのだ、と。レンが、自分のことのように力強い相槌と共に激励の言葉をくれた。その時の口に含んでいたオレンジは、レンの言葉と笑顔に胸がいっぱいになってしまって、味が分からなくなってしまったが、それほどまでにレンの反応が嬉しかった。


ちゃん、あの時何回も美味しい美味しいって、沢山褒めてくれて嬉しかったなあ。」


 ふふ、とレンの独特の笑い方。その笑みに乗せられた言葉に、先ほどレンが心底嬉しそうに頷いた意味が分かった。やはりレンも覚えていてくれたのだ。私は頷いて本当に美味しかったから、と返す。
 レンがふと、視線を斜におろした。瞬間、私はその意味が分かる。
 レンが好きで今の関係に甘んじているわけではないことなど、もとより分かっていた。それなのに甘えている自分の浅ましさ。
 付き合っていた、恋人であった過去を思い出して、レンも少なからず思うことがあったに違いない。


ちゃん。」


 沈黙を破ったのは、レンの透き通る声だった。びくりと肩を竦ませて、私はレンの方を見た。


ちゃんさ、カイト先輩のこと、嫌いなの?」


「え。」


 突拍子もない問い掛けに私は思わずそんな間の抜けた声を漏らした。しかしレンはにこりと微笑み、眉尻を下げた。


「聞き方が悪い、かな?ちゃんはさ、カイト先輩のこと、ちゃんと好きで付き合ったんだよね?」


「・・・うん。」


「簡単にその人のことをポイッて出来るほど、僕はちゃんが薄情だとは思わないよ。」


 だから今の状況は仕方が無い、とでも言ってくれているような気がした。しかし、それが本当にレンの本心なのかは分からない。


「でも、ちゃんの中で、まだ実は答えって出てないよね?」


「答え・・・って?」


「カイト先輩と僕、どちらと一緒にいたいのか。」


 淡々とした口調でそう言われてギチギチと、心臓が縛り上げられるような痛みを覚えた。なんて不誠実なのだろう、と思いつつも、正にレンの言葉は言い得ていた。
 心の何処かで、レンを選ばなければならないという、もう後戻り出来ないという焦燥感はあったが、現実はどうだ。私はカイト先輩と旅行に行く算段まで立てているではないか。


「・・・ごめんなさい。」


 謝れば良いわけではないと分かっていたが、それくらいの言葉しか出てこない。しかしレンはふわりと笑う。


ちゃんが僕の言葉に甘えてしまうのを後ろめたいと思ってるのも、短い付き合いじゃないから分かるよ。僕も急かしたくはないから、甘えてくれて良いんだ。ただ、僕だっていつまでも待てるって言っても、やっぱりもどかしいのも本音だよ。」


 もどかしい、私ももどかしいのだ。
 レンと居れば私はやはりこの人と居たいと強く思うのに、カイト先輩に会えば、この人を傷付けてまで私はそうしたいのだろうかという疑問が頭を擡げる。
 視線を彷徨わせて、私は謝罪する以外の何か言葉を見つけようとしたのだが、適切な言葉は何一つ見当たらなかった。
 そんな私に焦れたレンがやはり口を開いた。


「ずっと好きでいられる自信はあるよ。例えばちゃんを力付くで奪っていいなら、僕は今からカイト先輩に直談判しに行ってもいいくらい、本当にちゃんが欲しいんだ。でも、ちゃんはカイト先輩を、傷付けたくないんだよね?」


 カイト先輩を傷付けたくない、とは思う。しかしその本質はどうだ。こうして彼の知らない所で秘密裏にレンと会い、それを知らなければ彼は傷付かないという理論がそもそもおかしいのではないか。
 言えば傷付ける。言わずとも裏切りを重ねている。もう後戻りが出来ないのは明白なのだ。
 しかし現状、私はレンの言葉に頷くしか出来なかった。

 
「でもね、傷付けずにはいられないんだよ。多かれ少なかれ、僕を選ぶってことは、カイト先輩を傷付けるんだよ。」


「・・・それは、わかってる。」


 絞り出した声が震えた。情けない私のその声にレンは困ったように笑う。


「じゃあこうしようよ。カイト先輩との旅行で、気持ちをはっきりと、どうするのか答えだけ、見付けてきて。もしやっぱり別れたくないと思ったら、僕はずっと片想いでいいよ。でももし僕を選んでくれるなら、その時は教えて。一緒に罰を受けよう。」


 罰、と聞いて、それがなんと重い言葉であることか。私の胸の奥にずしんと鉛のように、その単語が刻み込まれた。


「だから改めて言うよ。」


「・・・え?」






「僕を選んで下さい。」






 切実な声音
 胸がぐっと痛む




















―あとがき―
八月末には書き終えていたのですが、九月に転職を機にインターネットのない環境に引越しをしてしまい、全く更新ができずにいました。
レンに頑張ってほしいけど、カイトを苦しめたくない親心。
書いていてとても複雑な気持ちです。

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