ドリーム小説  カランカランと私の足元で下駄がアスファルトを叩いた。
 帰路に着く人がまばらに視界の端々にいたけれど、私達は誰かに見られてしまうことを恐れもせずに、繋いだ手を離さずにいた。
 離したくなかった。


「僕、謝らないよ。」


 お互いが何か別の意思によって誘われるかのように、言葉も交わさずに祭の会場から抜け出した。そのまま十五分以上は無言のまま歩いただろう。向かっている場所が何処か、分かっているようで、私には分からない。確実に見慣れた道だった、そしてもうすぐ辿り着く。私の家へ送ってくれようとしているのか、しかしそれは同時にレンとお爺さんが幾年も過ごしたあの家へ向かっているとも言えた。
 急に沈黙を破ったレンの、切り口上とも言えるような言葉に私は返す言葉が見つからなかった。


「謝ったらずるいでしょう。」


 嫌味かと一瞬思ったが、レンの真っ直ぐ前を見据える瞳を見て、それは彼自身へ言い聞かせている言葉なのだと察した。
 私はというと、この手を振りほどけないでいる。明日、家に帰った時に、カイト先輩にこのことを自分が言うのだろうか。想像もつかない。それは即ち、言うつもりがないのだ。


 歩みが止まった。
 私の実家のマンションと、小道を挟んだ隣の、かつてレンが住んでいた家がある。


「レンは、帰るの?」


「どうしてほしい?」


 先程、祭が終わり次第帰宅すると聞いていた。今なら終電はおろか、大勢の人が詰め入る電車に間に合うだろう。しかしレンの言葉は返事ではなかった。


「僕、実はまだ鍵を持っているんだ。ここで今日は泊まっていこうと思う。」


 その言葉に私は驚きを隠せなかった。今は誰も住まわない家。しかしここにはレンがお爺さんと共に過ごした温かい想い出が多すぎる。それはレンにとって良い方向に作用するのだろうか。


「でも・・・、一人で大丈夫なの?」


 ここ数日間、この地に居ながら踏み出せずにいた話を聞いてしまっては、一人にするのは憚られた。私の問い掛けにレンは一瞬戸惑うような表情を浮かべたが、すぐに眉尻を下げて困ったような顔になって笑う。


「僕も人のこと言えないね。」


「え?」


ちゃんが心配してくれるの分かってるもん。それでこんな駆け引きしようって言うんだから、僕も大概あざといでしょう?」


 自嘲的な笑みを見せながら、レンは薄い唇を開いて悪戯に白い歯を覗かせた。幼い表情なのに、どこか儚い。


「僕は、一緒に来てほしいよ。でも、これはちゃんの意思で決めてほしいんだ。きっとちゃんが付いて来てくれたら、僕はもう、ちゃんを諦められない。力付くでも奪い返しに行くよ。」


 レンはそう言うと一歩、私から離れた。お爺さんと共に暮らした家屋を一瞬見てから私に視線を戻す。私はやはり、声が出なかった。どちらを選んでもきっと辛いと分かっている。
 私は目頭が熱くなるのを抑え込もうと、顔に力を込めて、それでもとうとう涙が溢れた。泣いているのを察されないよう、声を殺して俯いたが、レンは黙ったままこちらの返事を待つだけであった。


 どれだけの時間かはわからない。数秒なのか、数分であったのか、間も無くしてレンの吐息を漏らす声が聞こえた。この場にそぐわないような、柔らかくて優しい溜息。


「無理しなくて良いよ。僕を傷付けないようにしようって考えてくれてるよね。大丈夫、ちゃんの答えは分かったから。しつこくしてごめんね。」


 沈黙は答えだという、あり触れた話である。私は顔を上げられなかった。きっとレンの表情を見たら、私の心の均衡は崩される。


「僕、行くよ。今日はありがとうね。」


 踵を返す音がして、アスファルトをレンの靴が叩いて遠ざかるのが気配で感じ取れた。


 私はどうしたらいい
 レンを
 カイト先輩を
 自分自身を






「・・・ちゃん。」


 躊躇うような声。


「僕、もう後には引けないからね。」


 気付いた時にはレンの腰に手を回し、後ろから抱き締めていた。浴衣の厚みを無視して、レンの体の熱が地肌に伝わるような気がした。


「お願い・・・。」


 ようやく喉が己が言葉を紡いでくれた。掠れた情けない声だ。


「無理矢理にでも、奪ってよ。」






 何年もの間手付かずになっていた、かつてレンの住んだ家の中は埃の臭いがした。


「変わってないなあ・・・、って、当たり前だよね。」


 手を繋いで居間に行くと、少しだけ残された家財道具を見回してレンが笑った。


「懐かしいね。」


 私の言葉にレンは薄ら闇の中でこちらを見て微笑んだ。なんとなくぎこちない私達の声は、しんと静まり返る室内に、異様なまでに響いた。


「僕の部屋は空っぽなんだ。取るものもとりあえずって感じで引っ越したから、居間は殆どあの時のままなんだけどね。」


 ダイニングテーブル、食器棚、ソファ、細かいものは処分したようだが、何度も通ったこの家の間取りの中にあった数々の懐かしい調度品は、暗いこともあいまって古ぼけて見えたが当時のままだった。


「流石に埃っぽいなあ、ごめんね。僕、ソファかお爺ちゃんの部屋で寝ようと思ってたけど、ちゃんは・・・。」


「私も一緒に居る。」


 帰ってもいい、と言われそうだったので、私はレンの言葉を遮った。少し驚いたような表情を浮かべてからレンは頬を緩めて微笑んだ。


「ありがとう。」


 ずっと立っていてもなんだとばかりに、レンはソファの埃を手でぱたぱたと叩いて腰掛けた。私の浴衣が汚れると言って、レンはこちらに赴く為の旅支度を詰め込んでいるであろう鞄の中から、一度着てて申し訳ないけど、と自分のシャツを敷いて置いてくれた。皺になると断ったが頑なに是としないので、畏まりながらその上に体を鎮める。


「レン、大丈夫?」


 何が、と尋ねられたら答えられないのだが、やはり故人を思えば辛い場所でもあるはずのレンの心を案じ、私がそっと尋ねるとレンは小さく頷いた。


「大丈夫、でも一人だったら少しきつかったかもね。ちゃんが一緒に居てくれて本当によかった。ありがとう。」


 幼く笑うレンのその表情に、寂しさは殆ど見られなかった。私は躊躇いがちに繋いだ手に少しだけ力を込めた。良かった、という私の心からの気持ちが伝わればいいと思った。レンもすぐに繋ぐ手に力を込めて返してくれる。


 まだ胸を張ってレンへの気持ちを声に出すことが出来ない。
 それなのにも関わらず、レンの指先から伝わるひんやりとした心地が、幸福の絶頂を思わせた。それはいつもと違う感覚である。
 カイト先輩と居る時、私の心に温かいものが程よく注がれるのに対し、レンと居る時は彼のその肌と同じようにひんやりとした、少なくともカイト先輩のものとは違った心地のものが表面張力が働くまで注がれるのだ。それはまるで不安や寂しさなどの負の感情を呈しているかのようだ。それでありながら、心がたっぷりと満たされる。






「そんな顔しないでよ。」


 ふとレンが困ったように言うので、私ははっとした。どんな顔をしていたのだろう、と空いた手で頬を抑えるとレンが笑う。


「悲しそうな顔するんだもん。僕、今すぐカイト先輩と別れて、とかそんな無茶言わないよ。」


「・・・でも、そんなの、駄目でしょう。」


ちゃんにとっては駄目でも、僕は構わないよ。こうして一緒に居ることへの後ろめたさだけで、カイト先輩と別れて僕を選ぶとか、そういうのは嫌なんだよ。」


 ではどんな気持ちならレンが望むものに応えられるのか、私は分からずにそのまま尋ねた。少し逡巡する様子を見せてから、レンはこちらを覗き込むように見た。


「僕のことを心から好きで、運命の人なんだって、前向きな気持ちで来てほしいんだ。少なくとも僕はちゃんの運命の人になるために、こっちに戻ってきたんだよ。」


 運命、なんとくすぐったくも心地良い響きなのだろうか。懐かしく、愛おしい。あれほど必死に手繰り寄せて、雁字搦めに捕らわれていた言葉。
 レンが私の運命の相手なのか、誰なら答えを知っているのかは明白なのだ。それなのに私自身がそれを明言出来ないのは、やはりそれ程容易く離れることが出来る程、かの人とままごとの恋愛をしているわけではないからだ。
 瞬きの合間に、カイト先輩の笑顔がちらりと浮かぶ。


「待っててくれるの・・・?」


 なんて我儘な、と思われないかやはり不安で尋ねると、レンはふふ、と吐息を漏らして笑う。


「待つよ。もしちゃんにとって運命の人が僕だとしたら、ちゃんには遠回りさせちゃったからね。今度は僕が待つ番なんだよ。」


 そう言われて私はとうとう涙腺が倒壊して、涙がぼろぼろと零れ落ちた。思わず顔を逸らし、涙を拭おうとして手を動かしたがレンにそれを取られて、両手ともに自由を奪われた。


「こっち見て。」


 優しい声で、吐息で、抗えない。私は化粧が崩れているかもしれないことも厭わずにあらたまって体ごとレンに向き合った。ソファが小さく軋む音がする。


「好きだ、好きだよ。ちゃんの笑った顔も怒った顔も、泣き顔は少し胸が痛くなるから苦手だけど、それでも好きなんだよ。」


 私は嗚咽を零しながら頷いた。包まれたのは両手だけではなく、心臓までもかもしれない。こんなにもレンの言葉に心を掻き乱されるのだから、レンが私の心臓を掌握していてもおかしな話ではない。それは不安で恐くて、それでも構わないと思えた。


「私、ちゃんと答えを出すよ・・・。でもお願い・・・、今は何も、何も言わないで・・・。」


 レンのものだと感じさせて欲しい、私が続けたその言葉までをも噛みちぎるように、レンが私の唇を奪った。優しい香りと声、微笑みにそぐわないほどの荒っぽい口付けに、レンがどれ程私を求めているのかを、否応無しに感じさせられる。そうするとやはり胸が握り潰されるかのような痛みと快感だった。レンに後頭部から抱えられて、私は呼応するようにレンの腰に手を回した。
 焦るように、貪るように、これが今生の別れでもないのに、酷く刹那的な口付けを幾度も重ねる。お互いに唇と唾液を交わし合うと、名残惜しく離されたレンの唇が薄く開く。その唇の動きが伝わるほど近くにあるレンの唇を、その吐息ごと吸い込んだ。


ちゃん、好きだよ。」


 その言葉と同時に、私の体はそっとソファへ鎮められた。
 不道徳、背徳、非道。様々な言葉が浮かんだ。それでも私はレンが欲しかった。


「レン・・・。」


 好き、と思わず言い掛けて口を噤むんだ。この後に及んで何を躊躇うのか。それでも脳裏を掠めた人を思うと続けられなかった。
 瞬間、レンが躊躇うように、苦しそうに瞳をぎゅっと瞑った。そしてゆっくり開いたその瞳の中は、激しく揺らいでいた。


「好きだよ、大好きだ。今は嘘でも、心の底からじゃあなくてもいいから・・・、お願い。僕のことを好きって言って。」






 どれ程、声を大にして叫べば、私の罪悪感は消されるのか。
 誰かが赦してくれる日はくるのか。


「レン、好き・・・。好きだよ、大好きなの。嘘じゃない、心から、好きなの・・・!」


 一度解き放てば自然と心が叫び出す。言い切るより先にレンに言葉ごと飲み込まれ、私はレンの胸の中にしがみついた。






 離れないで
 どうかこのまま
 強引に奪い去って
 心ごと 体ごと
 罪の匂いが追いつく前に




















ーあとがきー
なんか書きたかったのと少し違う感じがして書き直そうとしましたが、上手く表現出来ませんでした。
後ろ暗い気持ちを抱える恋というのは、何故か人を魅了します。
多くの人が理性と共に生きるからこそ、自我の解放を望むのでしょうね。
裏にしようと思いましたが、裏が苦手な方に申し訳ないので本編では基本なしだと断念。

140821














































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