ドリーム小説  人に深入りするのは馬鹿がやることだ。
 しかし僕は、誰よりも深く誰よりも長く、滑り込みたい。
 僕を包む何かに。






 教室のざわめきは嫌いじゃない。平和な証拠だ。教師が居ない、生徒だけの教室は校則という枠に捕らわれない無法地帯みたいなものだ。しかし僕ら若者にとっては、それが何よりも平和なのだ。


「ねえ、レン。」


 隣から僕を呼ぶ声に目を向ける。ちゃんが僕を見つめて、先程担任が置いていった紙をひらひらと揺らす。その指先は白くてふくよかだ。女性特有の柔らかさを魅せる。


「どうしたの?」


 僕が返事をすると何か嬉しそうに近付いてきて、僕の席の横にしゃがみこみ、プリントを置く。


「レンは部活、何かやる?」


 ちゃんの声は、僕の中にすっと溶け込む。人に深くまで入られることが苦手な僕なのに、何故かちゃんの声だけは心地よく染み込んでいく。


ちゃんは何か入るの?」


 質問に質問を返すのは正しくはないと知っていながら、僕はどうしても先に、相手の動向を窺う癖がある。ちゃんは照れたように口をもぞりとさせる。子供みたいで本当に可愛い。ちゃんみたいな子供が居たら自慢するだろう。


「私ね、自慢じゃないけど、足が速いの。だから陸上部入るんだ。」


 緩く開く口元は、綺麗な形をしている。上から見下ろすちゃんの目の下には電光に照らされて睫の形をした影が落ちている。長い睫だ、とても綺麗だと思う。その上、可愛いから困る。


「自慢じゃないの?」


 僕は微笑を零して尋ねた。足が速いと言ってそれを陸上部で活かすと言うことならば自慢してしまえば良いのに、変な子だ。


「・・・正直、自慢かな。」


 語尾が上がり気味だったのは、僕の様子を窺っているのだろう。そんな分かり易い自慢をしてしまうちゃんの馬鹿な所が、正直とても可愛い。


「いいね。ちゃんって細いからそんな感じしないよ。」


 制服のスカートから伸びる足は、どう見ても運動向きの体格ではない。


「よく言われるけど、実際は結構筋肉あるよ。あ、筋肉はないかもしれないけど体力はあるの。」


 手をぐっと握って力を誇示するように見せる。女の子はか弱い方が可愛らしく見えるとは思うけれど一概にそうとは言えないようで、僕はちゃんのような元気いっぱいな子を可愛いと思う。


「凄いね。僕、運動嫌いだからなあ。」


 疲れることは嫌いで、授業以外で運動なんて、よっぽど気が向かない限りしない僕には、単純にちゃんが凄いと思った。


「じゃあレンは部活やらないの?」


 そう言って残念そうな表情を見せるちゃんに僕は小さく唸った。この学校に入学すると決まった後、僕は楽しみな気持ちがいっぱいではあったが、部活動に励むなんていうのは考えても居なかった。


「バイトでもしようかな。」


 その場しのぎとは言わないが、ただ閃いたことを呟いた。金銭的に不満があるということもないし、困ったことはない。本当に適当な答えだ。しかも学校までは二時間強かかるというのに、難しい。六限の授業を終えてからすぐに帰宅しても夕方六時になる。進学校のため、授業が通常六限のところが、水曜日以外は七限ある。そんな日は単純に計算して夜七時を回る。朝は六時に家を出ると考えればバイトなんてする余裕があるとは思えない。よっぽど困っていない限りだ。


「レンならウェイターとか似合いそうだよね。」


 暫く僕がそんな時間の計算を頭の中でしていると、ちゃんは僕に合う職種でも考えてくれていたのだろう。そんなことを呟く。


「僕がウェイター?無い無い。」


 想像が付かないので苦笑を零して僕が否定すると、ちゃんは残念そうに唇を尖らせた。“そうかなあ”なんて呟いて、また唸り出す。本気でアルバイトなんてするつもりがないのに真剣に考えてくれている。それは申し訳ないようにも思えたが、その様が可愛いので暫く泳がせてみる。


「僕って工場とか似合いそうじゃない?」


 自分の中で一番似合わないだろう業種を上げると、案の定、ちゃんは目を丸くして顔を大きく横に振る。


「絶対に無いよ!レンは人に見られる仕事の方が合ってると思う。工場なんかで働いてたら埋もれちゃうよ。あ、でもつなぎとか着てるレンも格好いいかもね。」


 一人で頷いたり笑ったり、そんな自問自答のようなことを繰り返すちゃんに思わず吹き出して笑ってしまう。表情がころころ変わって、見ていて本当に飽きない。


「嘘だよ、バイトなんてしないよ。」


 僕が笑ってそう言うと、ちゃんは驚いた様子で僕を見る。本当に僕がアルバイトをすると思っていたのだろう。


「バイトも何もしないの?」


 学生らしくないとでも言いたいのか、ちゃんは不思議そうな声色で言う。
ちゃんと行き帰りの時間が合わなくなっちゃうでしょう?」


 部活であってもバイトであっても、何かちゃんと別のことを始めると一緒に登下校が出来なくなる。ちゃんが一人であんな長い距離を帰るなんて危ない。ましてや部活動の後では暗いだろう。一度一緒に帰ると決めたからには、僕は責任があるように思う。


「なんで?私が部活やるから関係ないじゃん。」


 ちゃんが鈍いのか僕が分かり難いのか、そんな疑問を投げかけられる。


ちゃんが部活終わるまで待つよ。だから一緒に帰ろう。」


 そう提案すると、ちゃんは表情をぱっと明るくさせて、花が綻ぶように笑う。無邪気な子供にしか見えないが、その柔らかいちゃんの雰囲気は、僕が今まで見てきた同世代の女の子に比べて随分と出来上がっているような気がする。どこがどうかなんて具体的な言葉は浮かばないけれど、ちゃんは魅力的だ。


「そんなの悪いよ・・・。いいの?」


 遠慮がちな口調ではあるが、表情があまりにも期待を含んでいるので面白い。思わず笑ってしまう。僕が声を上げて笑うのにちゃんは自分の表情と口先の矛盾に気付いたのか、顔を赤らめる。


「僕が一緒に帰りたいの。ちゃんは可愛いから夜道を一人なんて心配だよ。」


 彼女が一人で夜道を歩いてる様を考えるが、ぼうっとしていそうな気がする。変質者が近付いていても気付かないだろう。


「でも部活って結構遅くまでやるんだろうし、かなり待たせちゃうよ。」


 更に年を押すようにちゃんが言う。僕が一緒に帰りたいと言っているのだから問題無いと言うのに、何をそんなに懸念するのだろう。


「遅くまでやるなら尚更だよ。家が隣なんだし、そういう運命なんだよ。」


 これほどまでに使命感に駆られるのだから、僕にはそうとしか思えない。するとちゃんは表情を一瞬にして変えて驚くように目を丸くした。そして形の良い、輪郭のしっかりした唇を開く。つやつやしてるのはグロスなのかな、なんて考えるが、きっとその唇はありのままの姿で綺麗だろう。


「運命なら、仕方ないね。」


 何を言い出すかと思えば、ちゃんはそんなことを言って納得する。待たせる相手に対して随分と上から物を言っているのに嫌味に聞こえないのは、ちゃんが可愛いからなのだろう。ちゃんは僕のつぼによくはまる。


「そうだよ。運命なの。だから待たせて?」


 更に下に回って僕が言うと、ちゃんは照れ笑いをひとつして頷く。


「ありがとう。」


 はにかむ笑顔が強く焼き付くのを感じた。


「今日は体験入部だから早いと思うよ。」


 そう言って時計を見た。時刻は一時半を回っており、あと二十分少々で体験入部が始まる。先程昼食は食べたが、僕は何故か口が寂しくて、鞄から飴玉の入った袋を二種類取り出し、その口を傾けて、ばらばらと机の上に全種類が出てくるくらいの量を出した。


ちゃん、何味が良い?」


 僕は箱に表記された味を読み上げる。いちご、りんご、ぶどう、マンゴー、バナナ、レモン、オレンジ、マスカット、抹茶、コーヒー、黒糖の十一種類がある。僕は飴玉を必ず持ち歩いている。というのも、今のまさにこの現状のように、食べたばかりでも何か物足りないのだ。一度に沢山の量が食べれないけれど、こまめに何か口にしていたい。かと言ってそのたび何か買うのも馬鹿げているので飴玉を気休めにしているのだ。


「飴、いいの?」


 こんなもの一つに嬉しそうな表情を見せて、ちゃんは言う。


「うん、僕いっつも持ってるからさ。」


 僕は嫌いな味も無いが、一番好きなバナナ味にすることを決めていた。けれどちゃんが選ぶのを待つ。それはなんとなくだ。


「じゃあバナナにする。」


 そう言って飴玉を一つつまみ上げる。


「あ。」


 思わず声が零れた。その僕の声にちゃんは不思議そうな顔をする。


「僕もバナナにしようって思ったんだ、一緒だね。」


 ちゃんはなんとなくバナナは選ばない気がしていた。数ある味の中で敢えてバナナを選ぶ人は少ないと思った。少し嬉しくて、顔が綻んでしまう。


「運命だね。」


 白く柔らかな指で袋を切り、飴玉を掴むちゃんが呟く。最近の僕達は、何に対しても大袈裟に運命だと言っている。運命は必然だと思うけれど、反面で偶然が必然にも思える。世の中で起きる物事は全てが決められていて、その裏をかいたつもりの行動も初めから決められているのだと思う。だから偶然に思えたことは必然で運命なんだろう、という僕の持論がある。


「運命だね。」


 飴玉一つで大袈裟だと分かっていながら、こういった小さな出来事の一つ一つを僕は見逃したくないのだ。






ちゃんさ、僕が今、頭の中で思い浮かべてる味、当ててみてよ。」






 外れればどうといったこともないが、何となく試してみたかった。ちゃんは僕の突飛した発言に不思議そうな顔をするが、すぐに提案に乗って頷く。


「じゃあスタート。」


 僕はぐだぐだとしたゲームを始める。ぱっと目についた、いちご味を連想する。


「いちご。」


 少し間をおいてちゃんが答える。僕は吃驚して口をぽかんと開く。


ちゃん、凄いね。次は?」


 意味もないゲームを続ける。また次も一番先に目に映った味を連想する。ぶどう。


「ぶどう。」


「次は?」


「コーヒー。」


「次は?」


「りんご、・・・メロン、・・・抹茶。」


 テンポよく答えるちゃんを、半ば訝しげに見てしまう。


ちゃん、超能力使えるの?」


 そうとしか思えなかった。淡々として答えて全部当てることが出来るなんて有り得ない。


「え?当たったの?目についたやつを順番に言っただけなのに。」


 ちゃんも僕と同じように驚きを隠せないようだ。


「本当に言ってるの?有り得ない・・・。」


 何かのトリックではないかと、僕は周辺を見渡す。しかしマジックなんかしたこともないし、それに関しても無知な僕は何も見つけられなかった。


「有り得ないことも運命の一つだよ。」


 そう言うちゃんに視線を戻すと、ちゃんは嬉々として笑っている。満足気で自慢気な口調のちゃんに思わず笑って頷いてしまう。


「運命だね。」


 僕はこんなことがあるものなんだと、この可笑しいほどに波長の合った事に、不思議と運命という言葉で納得してしまった。ちゃんが他の人とは違う、僕と引き合う何かがあるように思えた。


「僕達って何かあるのかな。そうとしか思えないもん。」


 そうとしか思えない、というより、そうであってほしいという思いの方が強い。ちゃんは大きく頷いて、目を細めて笑う。






「だって運命だもん。」






 そう言ったかと思うと、ちゃんは恥ずかしくなったのだろう、俯いて頬に手を置き、頬の熱を冷まそうとしている。運命の人を待つ僕達にとって、これは過敏に反応してしまう単語であり、深い意味を持つ。僕達の関係性を運命だと言うことは告白に近い。そう考えると僕も恥ずかしくなって、僕達はお互い俯いてしまう。


「う、嘘だよ!違う、嘘じゃないんだけど・・・、そういうつもりじゃないから!」


 ちゃんは語気を強めて焦ったように早口で言う。そんなに否定されるのも楽しくはない。


「なんだ、つまんないの。」


 僕がふざけて呟くと、ちゃんは呆けた顔をして、またすぐに赤面した。そして声にならない様子で慌てふためく。それがとても愛らしい。


「可愛い。」


 ちゃんの頭をくしゃくしゃと撫でると、ちゃんは一層顔を赤らめてしまう。それは憎らしいほどに愛しくて、その頬に頬ずりしたくなるほど幼い可愛さだった。


「あ、もう時間だよ。」


 僕はちらりと視界に入った時計に目をやって呟いた。二時からは体験入部の受付が始まる。


「本当だ、行かなきゃ。」


 ちゃんは時計をみるなり急いで立ち上がる。


「レン、本当に待っててくれるの・・・?」


 真直ぐに見つめてちゃんが尋ねてくるので頷いて答えた。ちゃんは嬉しそうに笑って口を開く。


「じゃあ教室に居てね。どれくらいかかるか分からないけど、早めに戻ってくるから。」


 そういって手をひらひらと振るちゃんは、教室の扉を横にがらりと開ける。何だかその後姿を見て勝手に口が動いた。


ちゃん。」


 思わず呼んでいた。考えるより先に呼んでしまった。当然ながらちゃんは不思議そうな表情でこちらを振り向く。何を言えば良いのか分からなかったけれど、思ったことを伝えるしかない。






「運命の人、見つけちゃ嫌だよ。」






 自分で何を言っているのかもよくわからなかった。


 ただ少し、ちゃんの特別でありたかった。




















―あとがき―
第三話です。今回はレン視点でお送りしました。
いきなり視点を変えると読みづらいかもしれませんが、いつまでもヒロインサイドではレンのことが分かりづらいかと思い・・・。
これからも時々レン視点で書くことがあると思いますが、基本的にはヒロインサイドです。
ついでに私はバナナは食べられません。

081011















































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