ドリーム小説  罪と罰を読んだ
 難しくて半分も理解出来ないのに
 その言葉が
 私に向けられたものなのだと
 錯覚する






「ええ?カイト先輩、来れないの?」


 通りに面したカウンターの椅子に腰掛けて、左の椅子を引いて同様に腰掛けようとしているカイト先輩へ私は唇を尖らせた。その要因となったのが、来週のお盆休みに私が実家へ帰省するのに付き合ってくれるという約束だった彼が急な話で、従兄弟が受験で此方に来る関係で大学やらの案内に付き合う羽目になったと言い出したからだった。


「ごめん、が帰るのは11日から四日間でしょう?従兄弟が来るのが12日でそこから二泊するらしくてさあ。初日だけ日帰りで行っても良いんだけど。」


 注文して彼が受け取っておいてくれたコーヒー二つと、小さなスコーンの乗ったトレーをカウンター置き、眉尻を下げるカイト先輩。流石にそんなに慌ただしい思いはさせられない、と私は仕方ないと納得した素振りを見せつつ、素直に引き下がるのも悔しいので唇をへの字に曲げたまま、冗談にカイト先輩を睨めつけた。


「本当ごめん、必ず埋め合わせするから。」


 両の掌を合わせてきゅっと目を瞑るという幼い態度で謝罪するカイト先輩に、私は本気で怒っているわけではない。ただ帰省中に小規模ではあるが花火大会があるのだ。一緒に見に行こうと約束していたので、その約を違えられたことが少し残念というだけだ。しかしこの祭に執着するような理由もなければ、既に大学の近くの花火祭りを一緒に見に行ったこともあるので、またの機会でも構わなかった。


「じゃあ今日の晩御飯は焼肉、カイト先輩の奢りね。」


 拗ねた顔を作ってそう言うとカイト先輩はくしゃりと笑って、とびきり美味しい上ロースを、と頷いてくれる。






 好きだ
 彼のことがとても好きだ
 それなのに傷付けてしまわないかと不安になるのは
 私に後ろめたい心が隠れているからなのか






 浴衣の着付けはお手の物である。母が昔から私にしてくれていたことを、そっくりそのまますれば良いだけだ。


「なんか少し見ない内に、ったら大人っぽくなったわね。」


 部屋から浴衣姿で出ると、母がしみじみとした口調で言うものだから少々気恥ずかしくなった。


「そりゃあもう大学生だもん。お母さんこそ、そんな言い方するなんて、おばさんくさくなっちゃったね。」


 悪戯にそう言うと母は笑った。


 私立中学時代の友人と祭へ行くことになっていた。久し振りに連絡をすると、向こうも会いたいと答えてくれたので、友人と二人で祭を練り歩くこととなった。
 車の免許を取得して、親の車を借りることの出来た彼女の迎えにより会場の近くの駐車場へ車を停めた。
 小規模とはいえど、近隣の住人でごった返す会場では、会話の声も自然と大きくなる。それが疎ましいと感じることはなく、少しだけ非現実的で、屋台の灯りにぼんやりと浮かされるような心持ちであった。


 本当ならば、隣にカイト先輩が並んで歩いてくれるはずだった今の時間を、私はやはり少しだけ淋しいと思いながらカランカランと下駄を鳴らして歩いた。しかしそのようなことを察されては失礼だ、と私は購入したラムネを感嘆の声を漏らしながら飲み下した。
 すると、微かな電子音が近くで鳴った。友人の携帯電話が鳴ったようである。彼女は携帯を操作して、どうやらメールらしいが、その内容に目を通していた。


「あ、待って。なんかね、彼氏も今日友達と来てるんだけど、合流しないかってメールが来た。」


 友人の言葉に私は戸惑った。わざわざ合流しようと言うことは、安直な考えだが、向こうは男だけでいるのではないだろうか。ありがちではあるが、例えば向こうも二人できていて、折角ならば男女で共にしようということではないだろうか。そうなると、益々私には気が進まなかった。カイト先輩はそのようなことで怒る人ではなかったが、やはり余計な心配は掛けたくない。


「彼氏さんは男友達と来てるの?」


 なんてことはない、という素振りで私が尋ねると、彼女はそうだと思う、とだけ答えて、ごめんと断ってから電話を掛け始めた。
 うん、噴水の近く、焼き鳥の屋台の前、わかった、待ってる。
 そんな言葉がぽつぽつと紡がれて、ものの数十秒で電話は終わった。


「近くにいるみたい。今からこっち来るって。」


 はっきりと嫌だと言えば良かった。だが、彼女を祭に誘った際に、恋人と行く約束を断ってでも、という言葉を聞いていた。本当ならその彼と来るはずだったのだろう、と思うと、彼女とて私が先程心の片隅に思った、ほんの少しの寂しさを感じているに違いない。何年振りかの急な誘いに乗ってくれた彼女に感謝こそすれど、面子を潰して良い理由はないはずだと自分に言い聞かせて、私達は通りの真ん中を避けて隅っこで待つことにした。


 本当に近くに居たのだろう、三分と経たない彼女の恋人が現れた。同じ高校に通っていた彼との付き合いを話には聞いていた。私が軽く挨拶をすると、彼も丁寧な姿勢で挨拶を返してくれるので、きっとこの彼ならば友人もまともに違いない、と私はまた誰ともなしに自分に言い聞かせた。


「友達、あっちで待たせてるんだ。ここ人通り多いからさ。」


 彼はそう言うと、彼女と私を連れて近くにある噴水広場まで案内してくれた。


「ごめん、お待たせ。」


 少し歩いてから噴水近くに佇む青年に彼が声を掛けた。私はその彼が呼び掛けたであろう青年の方をじっと見る。友人の恋人のその友人に対して、言い方は良くないとは思うが、変な男であれば適当な理由を付けて途中で帰ろうと思っていた。しかし祭の明るさで夜闇がぼんやりと照らされたその先に、確かに居るのは見覚えのある姿だった。


「んー、大丈・・・、え?」


 向こうは視線を上げるなり私を見て素っ頓狂な声を漏らした。更に数歩、自然とこちらが歩み寄ると、はっきりと顔が窺えた。


「え、っと・・・何でレンが、居るの?」


 まさか、こんな繋がりがあったとは思いも寄らなかった。


ちゃんこそ・・・って、ちゃんは実家に帰省かあ。」


「あれ、二人とも知り合いなの?」


 私の友人も彼女の恋人も驚いた様子で目をぱちくりさせる。


「うん、高校も一年間一緒で、今は大学も一緒なんだよね。」


 私の代わりにレンが答えてくれる。私もそれに頷くと、彼らは安心した表情である。


「あ、レンは俺の小学校の同級生なんだ。中学は俺が引っ越して学区変わったから別々なんだけどね。」


 友人の恋人がそう紹介してくれるのに、レンは頷いていた。


「まさか、レンがこんな所で会うなんて思わなかった。先週振り、かな?」


「そうだねえ、このまえスーパーで会ったもんね。」


 お互いに視線を合わせて笑う。否、私は笑えてる自信が無かった。


 ― 僕は、ちゃんを奪ってもいいの?


 あの日、レンの言葉に、頷けなかった。そしてそれ以上に、拒絶が出来なかった。タイミング良く掛かってきたカイト先輩からの電話に、話は有耶無耶となり、その後私はレンと一瞬でも二人きりになることを避けてきた。
 避ければ避ける程、安心するどころか、胸がはち切れそうになる。


「じゃあ話は早いね。」


 友人の恋人がそんな切り出し方で持ってして、何を言い出すのかと思うと、折角の祭なのだから、男女ペアで行動したいとのことだった。つまり、彼らは当初の予定通り二人で祭を周りたいのだろう。
 私は先程よりも気が進まなかった。カイト先輩が、もし私とレンが一緒だと知ったらどう思うか、態度には出さないがきっと嫌な気分にさせてしまうだろう。


 しかし、それでいて私は、レンと二人きりになれるということが自発的ではなく、あくまで他人からの発案がきっかけによるものだということに安堵し、そして胸が高鳴ることを禁じ得なかった。


 レンは私を少し伺うように見つめてきたので、私は小さく笑みを浮かべて頷いた。


「仕方ないなあ。いいよ、二人で楽しんできなよ。」


 レンの言葉に素直な喜びの色を見せて、彼らは私達に見送られて祭の雑踏へと消えて行った。






 沈黙が流れているというのに、祭の騒がしさに沈黙さえも掻き消される。


ちゃん、何か見たいのあるの?」


 少ししてからレンが切り出した言葉に、私は頭を振る。


「ん、ううん。もうね、さっき焼きそばも食べたし、ラムネも飲んだし、ほら、りんご飴も買ったから。」


 手に持っていたりんご飴を見せるとレンは小さく笑った。案外、緊張とは裏腹に、普通の会話ができるものであった。


「食べ物ばっかりじゃん。」


「だ、だって、金魚すくいとか射的って、実際この年になってからやりたいと思わなくなったからさあ。」


 必然的に食べ物に走るでしょ、と私が言うとレンは確かにと頷いた。


「じゃあさ、ここで座っていようよ。もう少しで花火始まるし、ここからなら見えやすいよ。」


 レンは噴水の囲いの縁に腰を掛けて、その隣をぽんと叩いて指し示した。おずおずと私は隣に腰掛ける。カランカランと下駄の鳴る音が其処彼処から聞こえてくる。心地の良いリズムだった。


「さっきの友達、小学校の頃、一番仲良かったんだよね。中学卒業するまでは結構遊んでたくらい。」


「そうなんだ。でもまさか、こんな所で繋がるなんてね。あ、私の友達も中学の同級生なんだ。何年振りに会ったんだろう、っていうくらい久しぶりだったの。」


 お互いに隣同士に住んでいたのに、高校の入学式まで会ったことも無かった。否、もしかしたらすれ違ったりしたことがあるかもしれない。しかしそれも無かっただろうと私は思っている。レンの容姿ならば、一度見れば忘れられるわけが無かった。
 なんとなく、会話がまた途切れてお互いに黙り込んだ。予定外に、まさかこうして、こんな所で鉢合わせると思っていなかったこともあり、上手く話せなかった。否が応でも、あの日のレンの言葉に、何か返事をしないといけないというような、焦燥感が胸に押し迫る。






「こっちに来ることになるなんて、思ってもみなかったんだけどさ。」


 暫くの沈黙をまた破ったのはレンの方であった。それはレンらしくない、唐突な切り出しだった。私が疑問符を浮かべてそちらを見ると、遠くを見つめていたレンがこちらを向いた。割と近くに座ってしまったせいで顔が近くてどぎまぎした。


「もう二度と、こっちの方には来ないって思ったんだけど、ね。この前、なんとなく、昔のアルバムを見てたの。そうしたらさ、僕がお爺ちゃんと一緒に浴衣を着て、このお祭に来てた時の写真があったんだ。多分幼稚園くらいの時の。それを見たら、なんていうか・・・。」


 歯切れの悪い、珍しいレンの口調に、ほんの少し戸惑いが窺えた。私はレンの言葉を待つ。


「お爺ちゃんと周ったお祭に、もう一度来たかったんだ。それと、お爺ちゃんの家、まだ残ってるでしょう?僕の親が管理することになむたんだ。誰も住まないんだろうけどね。」


「・・・うん。」


「もう一度だけ、あの家を見たかったの。僕、まだお爺ちゃんが死んだこと、信じられないんだ。なんか何処かで、ひょこっと顔出してきそうな気がしちゃってさ。」


 どうしてそんな話をするの、と私はレンの胸を叩きたかった。
 祭、屋台の灯り、ざわめき、非現実的な夜、レンの横顔。
 そういうものが、ずるいと思った。レンのことを、やはり放っておけない、側に居ないといけない、だなんて、今更なことを思ってしまう。


「お爺さんの家、行ったの?」


 私がようやっとそう尋ねると、レンは瞳を伏せて首を振った。


「まだ。一昨日こっちに来て、さっきの友達の家にお邪魔してたんだ。でもあいつはバイトとかあるし、日中色々回る時間があったから、行こうとは思ったんだけど・・・、なんか怖くて。」


 へへ、と誤魔化すような笑みで語るレンは、今にも泣き出しそうだった。


「お祭が終わったらその足で帰るつもりだから、今日こそ見なきゃって、昼間は思ってたんだけどね。駄目だったんだ。」


 寂しそうな声で、レンがぽつぽつと、いつになく饒舌に語るのを、私は胸が締め付けられる思いで聞いていた。


「ふふ、ちゃんがなんでそんな顔するの?ごめんね、変な話して。」


「だって・・・、なんか思い出すと、胸が痛いんだもん・・・。」


 素直な気持ちを述べると、レンはからっと笑った。それでも私の思い込みからなのか、寂しそうに見えた。


ちゃんはいつ帰るの?」


 さもこの場の空気を変えようとするかの如く、レンが何時ものような柔らかい口調で尋ねてきた。そういえばもう今日で四日目である。


「明日の昼には、出ようかなって。」


「そっかあ。じゃあまたすぐ向こうで会えるね。」


 なんてことはない、ただまたいつも通りである、と言いたいのだろうが、その言い方に何か、私の心がちりちりと音を立てて焼けるような、熱っぽいものを感じた。


「うん、大学もまた始まるしね。」


 それに気付かない振りをして、私は頷いた。その瞬間、上空に向かって放たれた破裂音に、二人同時に顔を上げた。
 夏の乾いた空気に似合う、乾いた音であった。赤色、続いて黄色、青色、緑色、と光が放たれては方々に散って行く。


「小規模だって言っても、やっぱりこうやって近くで花火を見ると、なんていうかさあ。」


 私は空を見上げながら、レンに話しかける。しかし、なんて表現すれば、この感覚が伝わるのであったか、言葉を忘れてしまってつっかえた。


「血湧き肉躍る、って感じ?」


「そうそう!小さい頃はこんなに暗くなるまで外で遊べなかったでしょう?だけど、お祭の夜だけは友達とか家族で外に出て、こうして練り歩くじゃん。それが幼心に凄く特別なことだって思って高揚感があってさあ。」


 私は夜空を視界いっぱいに見つめたまま、レンにこの昂りを伝える。


「分かるよ。なんかこの年になっても、お祭に来るとその時と同じようなドキドキがあるよね。」


「うんうん、そうなの。だからお祭って好きだなあ。」


 分かってくれて嬉しい。そう思って、私はレンの方を見ると、花火を見ているとばかり思っていたレンと視線が絡んだ。ただ目が合っただけだというのに、罪悪感に駆られて、瞬間、目を逸らした。


ちゃん。」


 ばくんばくんと、鼓動を押し上げるような声。レンの方を今、見ることは出来ない。
 しかし、縁に置いた私の手に、レンの、やはり心地よい程冷たい手が重ねられた。


「お願い、こっち向いて。」


 切なくなるような声で懇願される。私は、ぎこちなく言われるがままに従ってレンを見た。
 翡翠色の瞳が灯りに照らされて、ゆらゆらと頼りなく揺らぐ。


「好きなんだ、今でも。ちゃんのことが、大好きなんだよ。今すぐ抱きしめたいくらい。」


 しんとした声だった。急に二人だけ、外の世界と遮断されてしまったかのように、静かに感じる。この異様なまでに早鐘を打つ鼓動を、レンに聞かれはしないかと思うと、余計に高鳴る。


「嫌ならそうだって言って。じゃないと僕、いつまでもちゃんのこと、諦められないよ。」


 重ねられた手が指を絡め取って握られる。私は声を失って拒絶が出来なくなってしまった。


 違う、本当は、心から嫌だと思っていないのだ。
 レンの金糸の香りに包まれるような抱擁を、私は今でも鮮明に思い起こすことが出来る。


 抱きしめて
 そう言いたくなるのを堪えて、嫌だと言わなくちゃ。


ちゃん、ずるいよ。」


 言わなくちゃ、と心で唱えるだけで口を開かない私に、レンは泣きそうな声を出した。
 逸らした視線が、レンの手に引き寄せられて体ごと奪われる。瞬間、視線が絡まると、懐かしい香りが鼻を掠め、抱きすくめられた。
 抵抗も出来ず、否、そもそも私には抵抗なんてする気がなかったのだ。


「ずるい。」


 本当にずるい、私は受け身でいることで良心の呵責から逃げているのだ。それはレンにも伝わっているのだろう。二度目の声は、先よりも震えていた。その震えがレンの胸をも震わせている。抱きとめられたレンの体から、私にも響いてきた。


「私は、ずるいよ。最低なのもわかってる。でも・・・。」


 どうしてもこの腕を離してほしくない。ほとんど力のこもっていない柔らかい抱擁を、私は突き放すことだって出来るのに。


「ずるくても良いよ。」


 花火の上がっている音が聴こえる。それよりも遥かに、レンの鼓動と声が心地良かった。私を胸に抱いていたレンがそっと呟くと、私の体を少し緩めて、至近距離から顔を覗かれる。
 逸らすことの出来ない、抗えない視線。







「ずるくても良いから、もう一度ちゃんの気持ちが欲しいよ。」






 いつの間にか掴んでいた、レンの服の裾。まるでこれが今の私に出来る精一杯の答えだというように。


 触れる唇から逃げる術を、私は知らない。




















―あとがき―
ようやく一気にレンが距離を縮められたような気がします。
本当はヒロインと交際を始めたばかりのカイトにレンが挑発するシーンが書きたかったですが、更新停滞中に忘れてしまっていました。
嫉妬むき出しのカイトにレンが余裕の笑みで、ヒロインの処女を奪ったのは自分だとか言いのける、最低なレンを書きたかった。
ともあれ、私はこの連載のレンが気に入っているので、レンに良い思いをさせてあげたいものです。

140815














































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