ドリーム小説  運命を覆しに
 あなたを奪いに
 戻ってきました






 大学も春学期をもう間も無く終えようとしているのにも関わらず、やはり僕はといえば試験勉強に追われている。殊更、今日は火曜日で、ちゃんは大学が休みだということもあり、僕は友人を連れて図書室で勉学に勤しむはめになっていた。彼は高一で同じクラスだった、特に仲の良かった友人であり、ちゃんと僕の事もよく知っていた。僕は転校を機に、一度はこの街の思い出を全て投げ捨てたのだが、やはりこうして再会出来たことは嬉しいものである。今は専攻が違うものの、火曜日になると彼を呼び出しては構ってもらっていた。


「火曜日だけ人を連れ回すなんて、本当性格悪いよね。」


 教科書と向かい合っていたはずの友人が、睨めっこに飽きた様子でそんな恨み言を投げ付けてくる。それが僕に向けられた言葉だというのは理解出来たが、人に性格を非難されたことが無かった僕は、思わず目を丸くした。


「ええ?僕、性格悪い?自覚ないんだけどなあ。」


「まあ、あれだよ。性格悪いというよりか、分かりやすいな。高校の時もそうだったけど。」


 あの時はほぼ毎日だったけどさ、と付け加える友人に、確かに分かりやすい動機だから、それには反論の術もない。僕はへらっと笑って誤魔化した。高校時代もよく、ちゃんの部活が終わるまで、僕は図書室で彼を連れて待っていたりしたものだ。そんな愚痴を零しつつも、それでも僕に付き合ってくれるその寛容さに敬意を表したいものだ。僕が何も報せずに転校し、音沙汰を無くしたことを責めもしないのだから、なかなか人間が出来ている。


さん、元気なの?」


「突然だね。元気だよ、きっと。」


 ちゃんが同じ専攻であることも知っている彼が、唐突にそんなことを尋ねて来るので、僕はどきりとした。流石にちゃんを追い掛けてここに入学したと、自分の口からは言わなかったが、なんとなくそれはばれているのだと思う。だからこそ、核心を突くような質問に上手く笑えなかった。


「健気だね、レンも。」


「健気って、何それ気持ち悪いなあ。」


「健気でしょう。一途だし。」


 友人の言葉に、納得はいかないのだが、貶されているわけではないことは分かる。そしてやはり、僕が言わないまでも、事情を考察していることが読み取れる。そうなると恥ずかしいもので、僕はぶっきら棒に意味を為さない声で曖昧に頷いた。


「正直に言うと、俺はレンが何でそんなにさんに固執するのか分からないけどね。」


 頬杖を吐いてそっぽを向いていたものの、友人のその言葉に僕は視線を戻した。


「そう?ちゃん可愛いじゃん、素直だし。」


「いや、可愛いけどさ。なんだろう、高校の中で言えば少し目立つくらいだったけどさあ。ほら、俺らも大学生じゃん?こんだけ人がいるし、もっと綺麗な子も沢山いるじゃん?」


 成る程、と僕は彼の言わんとすることが見えてきて納得した。確かにちゃんは可愛いが、ずば抜けた容貌であるというわけではない。愛嬌ある笑顔が彼女を引き立たせているのであって、街中に紛れればそう注目の的になるようなこともないのだ。


「俺は心配なんだよ。だってさんはもうあのカイト先輩の彼女でしょ?レンが振られるのなんて目に見えてるわけだしさあ。」


 そう言われても気分は害されない。何故ならば彼の言う通りだからだ。しかしそれで気持ちが離れるかといえば、そう容易い物ではないことも事実である。


「それでも僕は、ちゃんしか考えられないんだよ。」


 唇を尖らせて僕が答えると、友人の盛大な溜息が聞こえた。やれやれ、といった様子である。


「まあ、俺は友達だから、レンのこと応援するけどさ。」


 呆れた調子ではあるが、そう言ってくれる友人をありがたいと思いながら、僕はそこから暫く勉強に励むのだった。






 学校から出て、スーパーで適当な惣菜を購入して家路に付く頃には、既に空が暗くなり始めていた。梅雨が明け、ますます日が長くなってきた今日だが、日中の陽射しが隠れ始めると幾分か過ごしやすい気温と呼べる。僕はスーパーの袋に入った惣菜の中身をちらりと見るなり、先日ちゃんが振舞ってくれた料理が恋しいと思った。あれはカイト先輩のために作ったものだと知ってはいても、やはり好きな女の子が作ってくれた料理は、大体にして美味しいと思えるものなのだ。


 もう一度、やり直したい


 あの日から、ちゃんのことばかり考えてしまう。以前と何か違いがあるかといえばそうではないのだが、考える内容が変わったと言える。あの時の彼女の表情に、言葉に、声に、僕の付け入る隙を見つけてしまった。
 大学が始まり、ちゃんをようやく見つけた時、彼女は僕から逃げ回っていた。それがまさか隣の部屋に住んでいると知った日には、僕は心の底から神が味方してくれているのだと思えた。しかしちゃんがカイト先輩の前で見せる笑顔を見ると、それは以前僕に向けていた笑顔そのものだった。もう僕ではない、違う男を愛しているのだと否が応でも分かってしまったのだ。
 そうすると僕は悩みに悩み抜いて、やはり彼女のために見守るべきなのだと、やっとそう思えた矢先のことだった。気持ちが振り返すのも致し方ないと思う。






 かつ、かつ、と音を立ててアパートの階段を上がると、そこに見慣れた姿があった。何故このタイミングで会ってしまうのだろうか。


「カイト先輩、どうしたんですか?」


 上がってすぐの角部屋を、もといちゃんの家の前に佇む彼に尋ねると、こちらを見て驚いた顔をした。小さく挨拶をするなり続けて口を開く。


「約束してたんだけど、タイミング悪くてが晩御飯の買い物に行ってるみたいでさ。しかも合鍵忘れてきちゃったから待ってるんだよ。」


 人の良さそうな柔和さで持ってして微笑みかけられると、直前に彼を見かけた自分が嫌な気分になったことが、とても後ろめたいことに思えた。


「鏡音君は買い物帰り?」


「はい、と言っても料理しないんでスーパーのお惣菜なんですけどね。」


「意外だね、料理でも何でも出来ちゃいそうなのに。」


 そんな風に見えているのか、などと考えて、僕は適当に返事をすると彼の横をすり抜けて部屋の鍵を開けた。ドアを開いて、彼に一言挨拶をしてから部屋に一歩入った所で、僕は思い至る所があって、また半身を戻す。


「良かったらうちで待ちます?」


 始終こちらを見つめている彼の視線が何か訴えているとしか思えずにそう提案してみると、彼は白い歯を見せて笑った。


「良いの?実は凄い疲れてて今すぐ座りたいくらいなんだよね。何時に帰って来るのかわかんないし。」


「良いですよ。買い物なんだったらすぐ戻ってくるでしょうけど。」


 再度扉を開けて、彼を中に入れると香水の香りが風に乗って鼻腔をくすぐった。爽やかなグリーンの香り。






「お邪魔します。厚かましくてごめんね。」


「大丈夫ですよ。何も無いですけど、お茶で良いですか?」


「いえいえ、お構い無く。」


 陽気な口調の彼に僕は少しだけ罪悪感に駆られる。悪い人ではないのだ。しかし僕は彼を出し抜こうと考えている。それが嫌だった。


 冷えた緑茶をコップに注いで彼に差し出すと、一言礼を言ってぐいっと煽った。余程喉が渇いているのだろうか。


「カイト先輩は大学だったんですか?」


「うん、社会だと三年からまた新しい科目が一気に増えるからきついんだよね。」


 僕が勧めた椅子に腰を掛けて、まるで家の勝手も全て知った旧知の仲であるかの如く寛いだ様子でだらけるカイト先輩を、僕は人種が違うなあ、と思いながらも、それが人に壁を感じさせないから友人が多いのだろうとも思った。羨ましいとは思わないが、僕とはまるで正反対である。


「忙しそうですもんね。お疲れ様です。」


「それにしても鏡音君の部屋、の部屋と似てるね。」


 ぐるりと見回しながらそんなことを突然言ってくるものだから、僕は素っ頓狂な声を上げる所だった。
 部屋のインテリア雑貨の趣味が、似ているとは思う。同じアパートだから間取りも同じだ。大して広くもない造りであれば、家財道具を置く場所の選択肢も少なくなる。確かに先日ちゃんの家に上がった時に、声には出さずとも似ているとは自分でも思った。しかしそれは彼女が実家に居た頃の私室とてそうであった。


「あんまりごてごてするのは好きじゃないんですけど、気に入ったら何でも買っちゃうんで、自然と物が増えるんですよね。」


「あはは、も同じこと言ってたなあ。」


 からりと笑う彼が、まるで気にも止める素振り無く言うので、やはり僕は居心地が悪い。僕が本当にちゃんのことを何も思っていないとでも考えているのだろうか。そうだとすればつくづく呑気な人だ。二年前、あれ程僕を挑発して気持ちを乱した男だとは到底思えない。


「やっぱりと鏡音君は縁があるんだろうね。」


 余裕からなのか、自ら敵を鼓舞でもするかのような言葉に僕は目を丸くする。


「なんか、俺との間にあるものとは違うんだよね。二人の間には、もっと特殊な空気があるなあって、ずっと思ってたんだ。」


「カイト先輩、おかしなことを言いますね。」


 妙な展開になりそうで、僕はとぼけるように言ってみたものの、カイト先輩自身はあまり僕の言葉を取り合う気はないようで微笑んだ。


「俺さ、鏡音君とが付き合ってるの知ってて強引に、結果奪っちゃったでしょう?しかも結構鏡音君のことを挑発したし、引っ掻き回したからさ。勿論、意図してなんだけど。」


 随分饒舌だ。否、普段から無口なタイプではないが、僕の前ではどうでもいい、差し当たって必要のない会話に努める彼が、とんだ爆弾を投下してきたものだ。


「鏡音君にいい子ぶられると、少しばつが悪いんだよ。」


 こんなこと言うと感じが悪いかな、なんておどける彼に、僕は宣戦布告されたというような、確固たる彼の意思を見つけた。彼が本当に僕を信用するわけがない。それは分かっていた。


「いい子ぶってるなんて、人聞きが悪いですね。」


 いい子、だと思われているのならば彼の目はとんだ節穴だ。僕は一度も彼に媚びうるような姿勢も、ましてや気に入られようという考えですら頭を過ったことがない。ただ、ちゃんの気持ちだけを尊重した結果、彼を不用意に邪険に扱うことなど出来なかっただけだ。少なくとも彼が僕に表面上であったとしても、上手くやって行こうという姿勢を見せている内は。


「気分悪くした?」


 悪戯に成功した子供、とでもいうような上目遣いに口の端を吊り上げて、彼は僕を挑発的に見た。


「いえ、でも案外カイト先輩も余裕無いんですね。」


 思わず僕も挑発的な言葉を返してしまう。彼は、はは、とからりと短く笑うと目を伏しがちにして黙った。僕は少しの間、その沈黙に耐える。カイト先輩は何か言葉を思案しているようであった。






「・・・余裕なんか、あるわけないんだよ。」


 ぽつ、と呟くような声がようやく聞こえて、僕は苦々しい気持ちになる。彼は僕の恋敵である。そうだと知っていても、彼が悪人であるわけではない。その彼の弱気な声色を聞くと、やはり僕は罪悪感に駆られるのだ。


「俺、が好きなんだよ。多分も、俺の事を好きでいてくれてる。」


「惚気ですか?」


 それこそ気分が悪い、と僕が皮肉ると、また彼は短く笑った。それが僕の良心をまた痛めつける。


「惚気?・・・惚気だったら良かったけどね。鏡音君、隠さなくても良いよ。俺はを無理矢理奪っておいて、鏡音君に物を言える立場じゃあないのはよく分かってる。」


 彼はそこで一度言葉を区切る。僕は彼がこのまま何も尋ねてこなければ良いと思った。好きではないが、傷付けたいわけではない。それでも僕は。


のこと、まだ好きなんでしょう?」


 嘘は吐けない。
 誰にも認めてもらえない気持ちならば、せめて自分だけは、この気持ちに嘘を重ねたくない。


 そうです、と口を開きかけた所でインターフォンが高い音色で鳴った。僕も、そしてカイト先輩も思わず玄関の方を見る。


「多分、じゃないかな。俺、鏡音君の家で待ってるって言ったから。」


 彼がそう言うので、まあそんな所だろうとは思っていたが、僕は玄関に向かって鍵が空いている旨を大声で伝えた。少し間があってから遠慮がちな音を立てて玄関の扉が開くと、ちゃんが申し訳なさそうに眉尻を下げてこちらを覗いた。


「レン、ごめんね。お世話かけちゃって・・・。」


 まるでおばさんのような言葉遣いに僕は軽く笑った。


「全然、そんなことないよ。」


 ちゃんはお邪魔します、と言うと玄関先までやってきた。


「鏡音君、ありがとうね。お邪魔しました。」


 カイト先輩は椅子から立ち上がりながらそう言って頭を下げる。いえいえ、と僕は笑いながら答えた。質問に答えなかったことに、僕は心なしか安堵していた。これで暫く、今のままでちゃんの側に居られる。


 そう考えているとカイト先輩が僕に視線を向けて、小さく口を開いた。


は渡さないよ。」


 絶対にね、と。彼はそう言うなり何事もなかったかのように廊下を歩いて玄関先に立つちゃんに、遅いよ、などと茶化した。


「レン、ありがとうね。お邪魔しました。」


「鏡音君、またね。」


 靴を履き終えて玄関の戸を開けながら二人が連れ立って部屋を後にする。






 渡さない、絶対。
 僕は彼の声を頭の中で反芻させながら奥歯をぎりりと噛み締めた。ちゃんのことを諦めるべきだと、分かっていて尚、やはり僕は覚悟を決める。


 奪い返しに戻ってきたのだから。



















ーあとがきー
大変遅くなってしまい申し訳ございません。
国家試験の取得に向けて勉強していたり、はたまた一人旅をしまくっていたり、飲み歩いたりと、プライベートを楽しみ過ぎていてなかなか執筆出来ずにおりました。
展開、そろそろして欲しいところです。















































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