ドリーム小説  君を悲しませたくない
 自己欺瞞






 沈黙が纏い付く。夜闇は喧騒を遠ざけて我々だけを飲み込もうとしているかのように、静かにそこに存在していた。この静寂の中で、俺だけが取り残されているような不安。


「二年振りですね、カイト先輩。」


 このまま世界は歩みを止めるのかもしれない、と思っていたが、鏡音君ようやく口を開いた。流石に俺が現れた瞬間は驚いたようだが、すぐに不敵な笑みを浮かべて、仰々しいお辞儀までしてきた。それが鼻に付く。


「そうだね、久しぶり。それで、なんで鏡音君がここに居るの?」


 もう一度尋ねる。を悲しませたくないので、なるべく声を荒げないように努めたが、代わりにを更に力強く抱き寄せた。


「カイト先輩、ごめんなさい・・・。」


「違うよ、を怒ってるわけじゃないから。鏡音君が答えてくれればいいよ。」


 が謝るので、俺はそう制した。きっと俺の態度が怒っているように思えて彼女は不安になったのだろう。腕の力を抜いて、を離すと、は少し戸惑いながら俺の隣に並び直した。
 鏡音君はそんな俺達を、どこか面白いというような冷ややかな薄ら笑いを浮かべて見ていた。


「残念ですけど、ストーカーでも何でもないですよ。僕、ちゃんの隣の部屋に住んでるんです。」


 彼が指で指し示したドアは確かにの隣の部屋で、俺は気が遠くなった。はもしかしたらずっと知っていたのではないかと、一瞬だけ疑ったけれど、この二年間で築き上げた信頼関係を壊したくなかった。俺はそんな考えをすぐに頭から放り出す。


「そうなんだ。大学も一緒ってこと?」


「しかもちゃんと一緒で英語なんですよ。」


 余裕綽々な振る舞いに、今すぐ床に殴り付けてやりたくなった。


「カイト先輩、ごめん。私、昨日大学でレンを見掛けたの・・・。でも、まさかそんなわけないと思ってて・・・。黙っててごめんなさい。」


 が俯きながらか細い声で話すのを、俺は首を横に振って答えた。何故こんなに悲しそうな声を出させてしまうのか。には笑っていて欲しいのに。自分の無力さに腹が立った。


「俺だって鏡音君の話をされるのが嬉しくないのは事実だから、は気を遣ってくれたんでしょう?全然、怒ってないよ。気にしないで。」


 俺の手を握っていたの手に少しだけ力が篭められる。


「部屋が隣なのは本当に偶然ですよ。」


 そんなこと言われなくても分かっている。俺は彼を睨め付けた。すると何が可笑しいのか、ふふ、と艶っぽい笑い声を零して目を伏せる。手付きが年不相応な程の妖艶さでもってして、彼は口元にそれを当てがった。


「でもちゃんが目指してる大学は知っていましたよ。だから僕もここを選んだ。この意味、分かりますよね?」


 緊張の糸がぴんと張り詰める。視線だけこちらに向けた彼の瞳は、月光を映して揺らめいて見えた。
 二年前の彼とは全く違う。あの時は、少し余裕のない、幼い印象だったのが、今の彼はどうだ。俺の言葉に飄々と答えて、挑発まで覚えている。俺はゾッとした。こうした挑発を、俺は彼にしてきたのだと自覚した。結果としてを奪った形となったとも言える。罪悪感が無いわけではない。だからこそ、を奪われると考えてしまった。


「レン、もうやめて。私、今カイト先輩と付き合ってるの。知ってるでしょう?」


 が震えた声でそう投げ掛けた。愛する彼女をこんな立場にさせてしまったのは他でもない、この自分だ。それが辛い。


ちゃんの気持ちは尊重するよ。でも僕にしたらカイト先輩は関係ないから。」


「もうやめてってば・・・。」


 拒絶の言葉。俺のために鏡音君を突き放す言葉。それなのに俺はの顔がどうしてか、見れなかった。の声が不安定だったからだ。
 何か言いたいのに、唇が縫い合わされたかのように、まるでびくともしない。すると鏡音君は小さく噴き出した。何事かと、俺とがきょとんとしていると、今度は声に出して笑った。場違いなその破顔っぷりに、怒りは鎮まり、ただただ解せない。


「ごめんごめん、冗談だよ。そんなに嫌がられるとは思わなかった。」


 口を開いた鏡音君が笑いながらそんなことを言う。状況が飲み込めずにぼんやりしているこちらの二人を差し置いて、また続けた。


「ちょっと久しぶりに会ったから、からかいたくなったんだよ。」


 一人だけ浮いたように明るい口調の彼に、は少し安堵したように胸を撫で下ろして笑った。俺は、果たして。


「も、もう、レンの馬鹿。やめてよ、変な冗談言うの。」


「だってちゃんが相変わらず百面相だからさあ。」


 そんなことを話す二人を見て、俺はもやもやとした気持ちを抑えきれない。相変わらず、という言葉を使われると、鏡音君の記憶の中に、未だがしっかり残されているということが、嫌でもわかって余計に不愉快だった。


「僕さ、高校を転校してから、たまたまそこで教師に憧れるきっかけが出来て、たまたま同じ大学になっただけだよ。アパートまで一緒とは思わなかったけど。」


 鏡音君は少年のように笑って語る。隣のも、先程と打って変わって穏やかな笑みを浮かべていた。俺だけが取り残されている。


「でも、ちゃんとまたこうして会えたのは本当に嬉しいよ。あ、勿論カイト先輩もですよ。」


 そんな取って付けたようなおまけに、俺は先程までの強い態度に出られない。彼の笑みがあどけなくて爽やかで、邪気のない美しい笑顔だったからだ。鏡音君は以前からこういった類の、男女問わず魅了するような雰囲気を醸し出す。俺もそれに少しだけ憧れた事はある。


「だからさ、あんな事があったし、僕が言うのは烏滸がましいかもしれないけど、出来ればちゃんとも、カイト先輩とも、仲良くしたいんだ。」


 以前、俺が彼と友情を交わした事でもあるかのような言い方に俺は違和感を覚えたが、ちらりと隣のを盗み見ると、彼女はそうでもないようだ。嬉しさをひた隠すように、口を真一文字に結んでむずむずさせている。には嬉しい時や面白いと思った時、それを抑え込もうとすると、そんな表情を見せる癖がある。それが少し、俺には悲しかった。二人には俺の知らない過去があり、友情だってあったわけなのだから、こうして彼が柔和な笑みでもってして言ってくれる事を、が嬉しいと思うのも、分かっている。彼女にとって、今は俺が愛する人である、ということは自惚れではないはずだ。だから、彼との事を訝しんでしまうのは信用していないということになるのかもしれない。
 はつつっと俺に寄り添って、こちらを小さく見上げた。どう答えたら良いのか、俺の気持ちを汲み取りたいという彼女の意図がそこに垣間見得る。そんな彼女の気持ちに応えてあげたい。


「鏡音君も、色々家族のことで大変だったんだし、こっちで頼れる人がいないのも不安だよね。俺らで良ければ。」


 俺は本当にこんなことを思っているわけじゃないのに、と苦虫を噛み潰したような。
 しかし彼はこちらの気持ちなぞ露知らず、喜色満面に笑った。眩しい笑顔だ。隣に立つも、きっと喜んでいる。そんな空気が、感じ取れた。だから俺は、諦めなければいけないと、受け入れるしかない。


「僕、まだ大学で友達出来てなくて、凄い不安だったんで嬉しいです。」


 良かった、と本当に嬉しそうに笑う顔をみると、俺は自分の嫉妬深さにほとほと嫌気が差した。だって彼を好きだったけれど、今は変わったのだ。鏡音君の気持ちが変わってもなんらおかしくないではないか。自分がを独占したいがために他人を卑下するなんて非道だ。


「私、カイト先輩に勉強も教えてもらってるんだ。レンも一緒にやろうよ。」


「良いの?実は僕、入試ギリギリで、勉強も未だに苦手だから、カイト先輩が良ければ教えてもらいたいなあ。」


 まるで本当に俺を慕うようなきらきらした瞳。直視するのが躊躇われるような、真っ直ぐさに俺は当てられる。


「俺、英語そんなに得意じゃないけど、共通科目で良ければね。」


 今の自分の表情を鏡で見てみたい。きっと、うまく笑えていないだろう。


「それより、もしかして一人で上の階の人、注意しに行こうとしたの?」


「だ、だってー・・・。」


 浅ましい姿を見せたくなくて、早くこの場から逃げるために話題をすり替えると、はいじけた調子で口を尖らせた。


ちゃんの真上の人なの?僕の部屋にも響くんだよね、声とか音が。」


 俺より先に鏡音君は小首を傾げて尋ねてくる。それに頷いて返すと彼は微笑む。


「僕が注意してくるよ。」


 まさかの申し出に、俺は本来の目的を奪われそうになる。
 から上の住人の騒がしさに悩まされている旨のメールを貰ったので、夕べ大丈夫だと言われたが俺が注意しようと思い、アルバイトを終えてから急いでここまで来たのだ。まさからこんな再会を果たすとは思ってもいなかったので、本題を忘れてしまっていた。


「いや、鏡音君はいいよ。俺が注意してくるからさ。」


 手で制してそう答えると、彼は困ったように笑う。はらりと彼の髪が揺れるのを見ると、扇情的でもあり、これは女の子が放っておかないだろうと思った。


「カイト先輩が言って、向こうが後日ちゃんの部屋まで来て因縁付けてきたら大変じゃないですか。その時カイト先輩が居るとは限らないですしね。僕も煩いなと思ってましたし、言って来ますよ。じゃあ、また。」


 確かにそうなのだが、こう言われてしまうと、俺は一体何をしに来たのやら。しかも有無言わさず、彼はぺこりと頭を下げると俺達の横をすり抜けて階段を登って行ってしまった。


「・・・カイト先輩、注意しに来てくれたの?」


 がぽつりと尋ねてくる。俺が頷くとはにかんで笑う。別にに何を期待するというわけではなかったのだが、良いところを取られてしまったような、少しだけ惨めな気持ちだった。


「ありがとう。」


 家の扉を開けて、どうぞと勧められるので、用事は終わったのだが、とりあえずお邪魔することとした。






 ひんやりとしたフローリングと、食べ終えたであろう夕飯の残り香。


「カイト先輩、怒ってる?」


 テーブルに着いて、俺はが差し出した冷たいお茶を受け取った。向かいに腰掛けたが恐る恐るといった様子でこちらを窺っている。


「怒ってなんかないよ、恐がり過ぎだよ。」


 そんな短気じゃない、と俺が笑い掛けると、はあからさまに安堵した様子である。俺は言葉の裏側に潜んだ本心を気付いて欲しいなんて、子供染みた事を考えて落胆する。本当に怒っているわけではない。ただ、良い気分はしないだけだ。それを、に伝えるのが躊躇われる。


「私、ね。レンとこうして再会するなんて思ってもなかったの。でも、ああやってわだかまりを残さないで友達としてやっていこうって言われて・・・、嬉しかったの。」


 少し泣きそうな表情のに、俺は胸が痛くて、聞きたくないというばかりにの手を包んだ。しかしは続ける。


「カイト先輩がレンを好きじゃないの、知ってるよ。それに私は今、カイト先輩が好き。だから、カイト先輩が嫌なら、今はっきり言って欲しいの。」


 本当にはっきりと、俺の意見を伝えたら、どうなるのだろう。
 鏡音君と話して欲しくない、会って欲しくない、なんだったら引っ越ししてもらいたいくらいだ。
 しかし、そこにはの意思がないではないか。そんな虚しい事が、言えるわけ無い。独りよがりだ。


「大丈夫だよ。俺もが好きだし、の気持ちを信じてるから。」


 自分で言いながら、泣きたくなる。自身で、気付いてくれないと、意味が無い事なのに。


「ありがとう。私、カイト先輩が彼氏で、凄い幸せ者だね。」


 良き理解者とした俺の上っ面。信じる、信じないの問題では無いのだ。ただ嫌だ。それだけなのに、に伝えて、分かってもらえるような言葉を知らない。そして勇気がない。
 ふと、椅子から腰を浮かせて、俺の唇に小鳥のように小さくキスをするを、俺は。






 こんなにどろどろの気持ちなのに。




















―あとがき―
ちょっと普段より短いですが、カイト目線です。
みんな心のどこかは、自分でも解析できないぐらいグチャグチャな感情ってあるものですよね。
執筆しながら、やはりカイトが可哀想、と思えてならないです。

140610















































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