ドリーム小説 いじけた時に尖る唇
 照れた時に後れ毛で遊ぶ指先
 私の中の記憶
 激情






「ねえねえ、隣座ってもいい?」


 隣の席に白い指先が伸びて、そう声を掛けられる。顔を上げると可愛らしい女の子。


「あ、うん。どうぞ。」


「ありがとう。今日から授業だって気合入れてきたけど、人が多過ぎてびっくりしちゃった。」


 へへ、と笑う彼女。私達は自己紹介し合い、すぐに仲良くなった。この授業は教養科目だ。一年の在学生が共通とする科目である。


「ねえ、は学部何なの?」


「私は英語だよ。」


「英語専修なんだー、残念。私社会なの。」


 なかなか会えないね、と残念がってくれるので、私は嬉しくて笑みが零れた。しかし社会と聞いて、あっと気付く。


「私の知り合いも社会だよ。といっても三年だけどね。」


「もう先輩に知り合いいるの?凄い!なんて先輩?」


 テンションの高い子だな、と感心。私は言ってもわからないと思うけれど、とカイト先輩の名前を出した。すると見る見る内に彼女の顔が驚き一色に染まって行く。


「カイト先輩と知り合いなの?凄い、私カイト先輩と中学一緒なの。あ、と言っても向こうは私の事知らないけどね。」


「え、凄い偶然。」


「うん。カイト先輩、凄く目立ってたから一方的に知ってるだけなんだけどね。女子にも人気あったしねえ。」


 懐かしいなあと昔の記憶に浸っている。やはり中学時代から人気があったのか、と私はそんな人が恋人であることが嬉しいのと同時に、少しだけ不安になる。


「もしかしてカイト先輩って、の彼氏、とか?」


 少しだけ声を低くしてぽつりと尋ねられる。私は肩を張ってびくりとした。


「へ、へへ、実はそうです。」


 少し気恥ずかしくて小さな声で答えると、彼女が満面の笑みを浮かべた。


「凄い!カイト先輩、中学の時とか女の子に告られても全部断ってたから、もしかして・・・なんて話もあったんだけど、流石に違ったね。」


「もしかしたら?」


「カイト先輩はゲイなんじゃないか、とか。」


「それは酷い!」


 声を潜めて申し訳なさそうな表情の彼女に私は笑った。
 談笑していると始業開始直前に押し迫り、続々と生徒が後方入口より入ってきているのが分かる。私はようやく始まる大学の授業に胸を踊らせていた。


「ねえ、あの人、の知り合い?こっち見てるけど・・・。あ、向こう向いちゃった。」


 彼女がそう問い掛けてくるので、私は遅ればせながらそちらに視線を向けたが人が多過ぎるし、何よりその本人も既にこちらを向いていないとなると、誰のことだか分からなかった。


「え、どの人だろう。高校の同級生も何人か同じ大学だから、知り合いかなあ?」


 仲のいいとまでは言えないが、顔は分かる、という程度の同級生が二人ほどこの大学だったはずだ。


「そうかもね、凄く綺麗な顔した男の子だったよ。ハーフかな?」


「・・・え?」


 意識がぐっと視線の先に集中した。人間違いかもしれないし、彼女の言葉の通りとは限らない。それでも私の中で、居る訳がないと分かっていて、探してしまうのは何故だ。


「・・・っ!」


 私は唾をごくりと飲み込んだ。私の席の遥かに前の方、何列も左の席に、居る。


「あ、やっぱり知り合い?」


 私が驚愕していると、彼女が嬉しそうに問い掛けてくる。


「・・・わ、かんない。人違いかもしれないし。」


 そうだ、人違いかもしれない。金髪を後ろ手に雑に結った男なんて、他にも居るかもしれない。ここは大学だ。私の知っていた世界よりも広く大きい。他人の空似なんてことだってあってもおかしくない。それなのに。


 私には分かる。
 レンの纏う空気に私は素肌で触れていたから。
 前方の彼が、レンであることが分かってしまったのだ。






 キャンパス内は広過ぎて、完全に迷子だった。カイト先輩が今日の帰りは迎えに来ると言っていたのに、今何処にいるのか分かりやすい目印が分からない、という、酷い状況だった。


「えっとね、コンビニの前だよ。あのね、テラス近くの所まで来れたの、だから・・・。」


 電話の向こうにいるカイト先輩に必死に説明している所で彼の姿が見えた。


「カイト先輩!」


 私は電話を無視して、遠くに見える彼に気付いてもらえるように大きな声で呼んだ。すると辺りをきょろりと見回してから私に気付いてこちらへ駆けてくる。


「迎えに行くって行ったじゃん。」


「だって、居た場所が何処か分からなくて目印探してたんだもん。」


 本当は違う。私は午後の授業も終えて、最後の教室を走って逃げ出したのだ。
 レンは英語を専修していた。本日最後の授業では被ってしまった。もしものことがあったら、と思い、ギリギリに教室へ入り、レンがこちらに気付かないように、とにかく私は逃げた。見ないように顔をそらして、一番離れた席で。


「これだから方向音痴はなあ・・・。」


 若干息の上がったカイト先輩が呆れた様子で言うので私は笑って誤魔化した。高校の体験入学の際も、こうして走って探してくれたんだよなあと思うと、やはり私は昔から彼に走り回らせていたのだと思って、思い出し笑い。


「高校の時も、こんなことあったよね。体験入学の時とか。」


「あ、今私も同じこと思い出してたよ。」


 お互いに気恥ずかしくなって照れ笑いを浮かべた。


「あと俺はが部活初日に遅刻してきたから、その時もの教室まで走らされたよ。」


「あの時は迷子になったわけじゃないよ。」


 説明しそうになって慌てて口をつむんだ。カイト先輩も何か気付いたようだが、気にしていないという素振りをしてくれる。私達の間にはある時期から、タブーが産まれた。鏡音レン、彼の事は存在していなかったことのように、私達の間では扱われていた。
 しかしあの時はレンが居た。レンが私の隣に居たのだ。そして今、私の目の前に再び現れた。


「友達出来た?」


「あ、結構出来たよ。凄く可愛い子も、面白い子も!というより、大学って男の子も女の子もお洒落な人ばっかりだね。」


 レンから逃げるために、話に没頭している振りでもしなくては、と右左座っている人達に話しかけたのだ。私が答えるとカイト先輩は自分のことのように良かった、と微笑んでくれる。こういう所が好きだ。


「まあ最初の内だけだよ、途中からジャージで来るようになる奴も沢山いるから。」


「ええ、私はならないようにしよう・・・。」


 ぐっと拳を握って意気込む。カイト先輩の友達だっているのだ。気の抜けた格好で居て何処で見られるか分からない。恥ずかしくない彼女で居たい。


「そういえば、俺の友達が今度も一緒にご飯行こうだって。」


「本当?じゃあ日取り決めないとね。」


 楽しみだ。何より私のことを紹介しても良いと思ってくれていることが嬉しい。行きたかった大学、してみたかった一人暮らし。足りないものは何もない。私は今、満たされている。満たされるはずだった。






 カイト先輩は今日もバイトがあるらしく、私を家まで送り届けてくれると直ぐに帰ってしまった。私は家にぽつねんと一人になってしまう。これから毎日でも顔を合わせることだって出来るというのに少し寂しい。
 やる事もないので私は全て読み尽くした本棚に収まる本のどれかまた読み直そうと目を向けるが一向に決まらない。仕方なく目をつむって本棚から適当に指で触れた本を手に取ってみる。
 嵐が丘。私の大好きな小説。
 レンも好きだった小説。
 何で今日、これを取り出してしまうのか。


 運命


 馬鹿げてる、運命ではなかったのだ、私とレンは。ただの偶然の一致。レンが同じ大学なのも偶然の一致だ。
 少し考えてからそれを棚に戻して、私は隣にあったエドガー・A・ポーのモルグ街の殺人を取り出して読み始める。これに収録された短編はどれも名作ばかりだ。物語に引き込まれて、私は読書に没頭してしまった。


 鳴り出した携帯電話の音にびくついて、本を閉じた。画面を見てみるとカイト先輩からの着信を知らせていた。


「もしもし、もう終わったの?」


 ー うん、何してたの?


「本読んでたよ。集中しちゃって・・・。もうこんな時間なんだね。」


 カイト先輩が家庭教師のアルバイトを終えるのは夜の七時半から八時の間だ。正しく時刻は間も無く八時を迎えようとしており、私は耳元へ電話をあてがいながら、キッチンへと小走りで向かう。


「カイト先輩も明日一限からだよね?」


 ー うん、今からの家、泊まりに行きたいなあって考えてたんだけど、迷惑?


 嬉しい申し出だった。私も明日は一限からである。カイト先輩も朝から学校があるなら私の家から一緒に出た方が彼も余裕があって楽なはずだ。断る理由もない。今日はどうしても側に居て欲しい。予想だにしなかったレンとの再会に、不安でいっぱいだった。私は二つ返事で迎える事にした。






 カイト先輩は手土産にハーゲンダッツを持ってやってきた。


「私のラズベリーミルク!」


 喜んで飛び付くとカイト先輩はアイスをひょいと高い位置に避けた。


「ご飯まだでしょう?」


 家庭教師の仕事は彼の地元でやっていた。ここまで来るには小一時間掛かっている。この距離を今日だけで三回も行き来させてしまったわけだ。きっと夕飯もまだだろうと思い、カイト先輩の分も用意しておいたのだ。


「じゃあご飯食べてから食べるー。」


 目の前の餌に涎を堪えるのが大変だったが、私がそう言うと冷凍庫に自分の分と合わせて仕舞ってくれた。


 食事を終えて狭いバスタブに二人で浸かる。


「上の人、うるさいよね、本当。」


 引っ越してきた日から毎日どんちゃん騒ぎとはこれ如何に。カイト先輩の言葉に頷いて、私は唸った。


「でも最初の内だけ、だと思うから、もうちょっと我慢する。」


 現に今もドタバタと足音が複数人分して耳障りだった。換気しようと窓を開ければ笑い声が響く。運の悪い。


「・・・いや、流石にうるさ過ぎる。俺が注意してくるよ。」


 眉間に皺を寄せて暫く考えていたかと思うとおもむろにそう言って、ざばんと湯船から立ち上がる。


「い、いいって!もうちょっと様子見てみるから。」


「我慢してない?俺、文句言いに行くのくらい平気だよ。」


「ううん、ちょっとうるさいけど、カイト先輩が一緒に居てくれれば良いもん。」


 私が言うと、彼は嬉しいのか、湯船に浸かり直して私を抱きしめてくれる。温かい湯の流れを巻き込みながら触れる素肌。側に居て欲しい。私は恐い。不安定なのだ。そう思いながら、あまりにも自然な素振りで話せている自分の冷静さに、そこはかとなく恐ろしくなった。






 上の人間のどんちゃん騒ぎは翌日も酷いものであった。今日はカイト先輩が居ない。火曜日は一日丸々学校の授業を取らずに休みにした私は、家でのんびりと映画やら読書やらに勤しんでいたのにも関わらず、やはり夜半になって耳障りな騒音。カイト先輩にそんなことをメールで愚痴って、私はじっと我慢を決め込む。
 夕べは我慢すると言ったが、しかし小一時間経ち、やはり限界である。少々恐いとも思ったが、同時期に越してきた人間だ。同い年なり、せいぜい何個か年上という程度の若造ではないか。私は自分を奮い立たせて、上の住人の部屋へ行くことに決めた。カイト先輩が聞いたら怒るかもしれない。しかし一人の時の騒音の堪え難いこと。


 がつんと言ってやる、そう意気込んで玄関の扉を大きく開け放つ。


「いだっ!」


 くぐもった変な悲鳴が聞こえた。そしてドアを通して伝わる衝撃。人が扉の向こうに居て、私が前触れもなくドアを勢いよく開けたからぶつけてしまったのだと、瞬時に理解した。


「ご、めんなさい。大丈夫ですか?」


 大怪我をさせていたら、という冷や汗。急いで扉をしめて向こう側にいた人物に呼び掛けた。パーカーのフードを目深に被ったその人物は完全に尻餅をついている。


「ちょ、っと痛・・・っ!」


 腰を摩りながら立ち上がるなりそう言い掛けた目の前の人物が息を飲んだ音がした。あるいは私の方の音だったかもしれない。目があった。


「な、んで・・・。」


 ここにいるの、と続けるつもりの声は出なかった。


ちゃんこそ、なんで・・・?」


 レン。
 レンがいる。
 昨日一日、幻ならばどれほど良いかと思いながら、目をそらしながら逃げた。
 その相手がここにいる。


「わ、たし、ここに住んでるの・・・。レン、同じ大学、だよね?」


「・・・うん。黙ってて、ごめん。」


 そっぽを向くレンに倣うように私も逸らした。どうしてレンは同じ大学に来たのだろう。黙ってて、ということは、少なくとも私がA教大を目指していたことを知っていたはずだ。レンが隣にいた、あの冬。私は一生懸命に語ったではないか。


「えっと、私、上の階の人が煩くて注意してこようと思ってるんだ。レンは、友達がこのアパートに住んでるの?」


 なんとなく嫌な予感がする。レンがここに居る理由を、知らない方がいいかもしれない。知ったとしたら、私はどうなるのだろう。そして、もし私の予想が当たっていたとして、その事実を心の底から拒絶できない、そんな予感がした。私はやたら饒舌に早口でまくし立ててみたが、レンはそれを意に介さず、静かな瞳をこちらに向けてきた。聞きたくない。嘘を吐いてでも、言わないで。そう強く願った。


「僕、ちゃんの隣の部屋に住んじゃったみたい、だね。」


 先まであれ程煩いと思っていた雑音まで聞こえなくなる程、レンの声だけがはっきり聞こえた。私の心臓が針の筵になったかのように、ズキズキと痛む。意識がぐらぐらとした。
 え、と声が出かかった所で後ろから誰かの腕が伸びてくるなり、私の首元を攫って抱きすくめられた。後ろによろめき、全体重を預け、驚きのあまり目を見開く。目の前のレンも私の方を見て、正確には私の後方を見て、目を丸くしていた。


 この腕に、この暖かさに、この力強さに、私は覚えがある。






「なんで鏡音君がここに居るの?」






 運命なんて言わないで




















―あとがき―
一気に時間進みすぎなんですけど、ここら辺からが一番書きたかったあたりです。
最近、自分で書いておきながらカイトが不憫でならなくて、あまりいじめたくないです。
もうあと三分の一くらいで終わるかなあ、というつもりです。

140608















































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