窓は南向きがいい あとは あなたが笑顔でいてくれれば それでいい 「カイト先輩、お疲れ様、ありがとう。アイスあるよ。」 「アイス、下さい。汗だくよ、俺。」 スポーツタオルを首に掛け、その先端で額や鼻筋をとんとんと叩いて汗を拭く。の新居は漸く荷ほどきも終わり、綺麗に片付いた。あともう少し買い足す必要のあるものが、とメモを取って買い物に出ていたは、少し気の早いトレンチコートを羽織って買い出しに出ていた。 「まだ寒いのに、カイト先輩代謝良すぎだよ。」 それだけ働かせたのはどこのどいつだ、と言ってやりたい。しかしが嬉しそうにはにかんでいるのを見るとそんな気も失せる。買ってきてくれたアイスを受け取り、二人並んで真新しいラグの上に体を下ろした。 「なんとか大学始まる前に片付いたね。」 三日後に入学式を控え、入居は慌ただしくも昨日であった。当初は必要最低限の荷解きだけ、と謳っていたのだが、事の他集中して一昼夜、寝る間も惜しんで二人で片付けた。昨日の夜まではの両親も手伝ってくれたのだが、目処がついた所で颯爽と立ち去ってしまった。そんな両親に冷い人達、とわざとらしく頬を膨らませるは、念願叶って第一志望のA教大への入学を決めた事と初めての一人暮らしに心を踊らせているようであった。 「でもまさか、俺より先にが一人暮らしすることになるとはねえ。」 悔しい、と巫山戯る俺にはにっこり笑った。 「カイト先輩も一緒に住んじゃえば良いじゃん。」 「のお父さんに泣かれちゃうよ、そんなことしたら。」 「そうかなあ?お父さんもカイト先輩のこと、信頼してるみたいだけど、そんなものなのかな?」 一人暮らしするのさえ寂しがってたじゃん、と俺が笑って答えると、は納得した様子だ。 と付き合って二年が経とうとしていた。それなりにお互いの事が、言葉にせずとも分かってきたし、新発見も稀にある、一番マンネリとしかねない時期ではあったが、そこにちょうどの大学入学という大きなイベントも重なり、あたふたと時間は過ぎ去って、無事こうして今日に至った。 「大学も楽しみだけど、やっぱり一人暮らしって憧れだったから嬉しいなあ。カイト先輩とも時間を気にせず遊べるしね。」 嬉しそうな照れ笑いを浮かべるを、俺は未だ純粋に愛しいと思った。余程俺は一途な男だと思う。がこの二年間、何度か気持ちを隠した事や、嘘を吐いたことに気付いていて尚、それに気付かない振りをしてこられたのは、ひとえにをそれでも好きだったからに他ならない。 今は本当に俺の事を好きなんだ、と感じられるが、一年程前までの心には未だ鏡音君が居たはずだ。彼女がそう言った訳ではないが、好きな相手が誰を想っているかくらいは、悲しいけれどやはり分かるものなのだ。しかし俺からすれば幸運なことに、鏡音君は転校した。事情が事情なだけに、流石に手離しで喜べはしなかったが、俺からすれば、クラスメイトとしてでさえ、顔を合わせて欲しくないというのが本音であった。そんなことは、には言えない。 鏡音君の祖父が亡くなったという日、は俺と遊びに行くはずだった。体調が悪いから今日の予定は無しにしてほしい、と連絡がきたが、後日になって鏡音君の転校の話やその経緯を知り、俺は憶測ながらあの日は鏡音君と居たのだろうと思っている。疑うとか生易しいものではなく、確信していた。あの日から数日間のは、少し様子がおかしかった。 に問い質したいと思わなかったわけではないが、それ以上に、もしそれでが俺の元を去ることになったら。そう、思うと俺は自分の気持ちをひた隠す以外に術がなかったのだ。 「がこれからまた同じ学校だって思うと俺も嬉しいよ。」 俺が喜んでいる様子にも微笑み返してくれる。 「でも専修違うし、カイト先輩は今年から実習メインでしょう?あんまり学校では一緒に居られないね。」 は英語を専修することとなっていた。理科が一番得意らしいのだが、得意なことと好きなことは大体にして違うものだ。かく言う俺は社会であった。今年からは法学を専攻するつもりでいる。実習以外にこれらの授業をこなすのは中々骨が折れそうだ。 「俺、と付き合ったの卒業してからだから、学校で一緒にご飯食べたり話したりするの、憧れだったんだよね。」 高校時代はそうはいかなかったのだ。その積年の思いを果たせる、それが嬉しくて俺は思わず口元が緩む。するとは唇を真一文字に結んだかと思うと、むずむずと動かした。 「もう、カイト先輩可愛すぎる。」 辛抱たまらん、などと巫山戯た口調で言いのけると、は俺に勢い良く抱き付いてくる。タックルではないのかという力強さに、俺は少しよろけて手をラグの上に着いて耐えた。頬を俺の脇腹に擦り付けるを、祖父母の家の猫に似ているなあ、などと思いながら頭を撫でる。 「カイト先輩のそういう女の子みたいな所、好き。」 「うわあ、褒められてる気がまるでしないですけど。」 俺は苦笑い。は俺の赤面症や、こういう発言をとても嬉しそうに好きだと言うが、俺からすればもっと男らしく、そして頼り甲斐のある、とか思われたいのだ。少なくとも愛する彼女にだけは。そう俺が言うとは俺の脇腹から離れて、ゴロンと膝の上に転がる。鼻の穴が丸見えで阿呆っぽくて、これがなかなか悪くない。 「カイト先輩は充分優しいし頼れるよ。それ以上に可愛いから好きなんだよ。」 後輩のくせに生意気な、と俺が頬をつねると、伸び切った頬を緩ませて笑う。 付き合いたての頃は見ることが無かった無防備で子供っぽい表情。仕草。きっと鏡音君は知らない。それが俺にとって、唯一彼に勝てる材料だった。 「こういうバカップルみたいなの、流石に学校では出さないようにしようね。俺、恥ずかしいから。」 大学の友人には彼女がいることも、そして今年から同じ大学に通うことになることも言ってあった。きっとすぐに紹介しろだ、コンパを開けだと必要以上にに接触してくるに違いない。そんな所で俺もこんな風に鼻の下を延ばしてによによしているのを見られたら最後、きっと卒業まで笑い種にされてしまうだろう。少なくとも俺はそういうタイプだと思われていない。 「学校では落ち着いた爽やか好青年キャラ、だもんねえ?」 「それは失言でした。」 以前、に大学でのことを尋ねられた時、思わずそんな風に答えたら笑い転げられた。冗談のつもりではあったのだが、冗談でもなんて自惚れた奴だ、と後悔した。未だにはその言葉を使って俺をからかってくる。 「私も友達出来るかなあ、不安。」 「大丈夫だって。このアパートも殆ど学生だし、多分同じ学校の人が多いと思うよ。」 「じゃあカイト先輩もここに引っ越してくれば良いのに。」 大学から徒歩十分と掛からないこのアパートは大学生向けで、ここだけではなく大学近辺にいくつも似たような外観で立地していた。俺も本当はここの管理会社が運営しているアパートに住む予定でいたのだが、車を購入したことで貯金を割りと使ったことに加えて、流石に自分の都合で貯金を使ったのに親から仕送りを受けるわけにもいかず、卒業までは実家に甘える事と決めたのだ。 「車か一人暮らしかって言ったら車なんだよね、俺は。」 「男の人はそうなのかな?私も免許取らなきゃなあ。夏休みで取ろうかな。」 教育大学は実習が始まれば土、日もへったくれもない。実習の少ない早い段階で取っておくことに越した事は無いだろう。俺はそれに頷き返してそうするように促した。 「それより早く、買ってきた物仕舞ったら?晩御飯の買い物もしてきたんでしょう?」 アイスをゆっくりと食べ切って、未だ買い物袋がテーブルに放ったらかしてあるのを見て、中に肉や野菜、飲み物まであるので不安になって切り出すと、は目をまん丸くさせる。 「あ、やばい。鶏肉大丈夫かな。」 慌てて飛び上がったは買い物袋を引っつかみ、いそいそと品物を冷蔵庫に仕舞った。 「そういえば隣にも誰か引っ越してくるみたい。さっき帰ってきたら引っ越し業者が隣のドアの前に荷物を山積みにしてたの。」 キッチンからがそう言って顔を覗かせた。 「真上も昨日引っ越してきてたね。多分両方とも新入生じゃない?」 俺がそう答えると、は頷いた。 「昨日の夜中、早くも騒いでたよね。うるさい人だったら嫌だなあ。注意しにくいし・・・。」 不安そうにそう言うに俺は微笑む。 「そう言う時こそ俺の出番でしょう?困った時はちゃんと呼んでね。」 任せなさい、と俺が得意気に言うと、は破顔する。無邪気な笑顔だ。こんな笑顔を向けられると俺は何でも出来る気さえする。 「頼れる爽やか好青年だもんね!」 「この野郎・・・。」 がにやにやと悪戯にからかうので、俺が唸ってのいるキッチンまで勢い良く駆けると、は可愛らしい子供めいた悲鳴を上げた。すかさずの細い体躯を後ろから抱き締めるとはふふ、と零れるように笑って、首元に絡めた俺の腕に手を重ねた。 「カイト先輩ってからかいたくなっちゃう。」 「ん。」 俺は優しい香りのするの頭頂部に口付けた。くすぐったそうに身を捩るを逃すまいときつく抱き締めると、は顔を上に向けて、唇にキスをせがむ。小鳥のような唇。可愛らしくて噛み付きたくなる。ちょっと辛い体勢ながらキスを落とすと、は笑った。 「私達もうるさくしないようにしないと、ね?」 小悪魔めいたことを言って挑発するの唇に、やはり噛み付かずにはいられなかった。 ―あとがき― 拍手で昔からきてくださっていた方からいくつかお声を頂けて嬉しく思います。 完結を楽しみにしてくださっている方、ありがとうございます。 カイトいい奴なのに放置は可哀想すぎる、との声も頂いたので、構想には無かったのですが、こんなシーンも、と。 いつかカイトとヒロインの出会いの番外編、書きたいです。 140603 |