ドリーム小説 守ってあげることが出来なかった
 誰かに気に入られるための
 上辺ばかり綺麗になってしまって


 ごめんね






 夏休みが終わり、日に焼けた顔や、お土産交換に夢中の笑顔、新学期を憂鬱そうな表情で迎える者、様々な姿が教室に散らばっていた。
 カイト先輩は無事運転免許を取得し、約束通り私を京都の嵐山へと連れて行ってくれた。その際のお土産を友人に渡して談笑していると、廊下からけたけたと大きな笑い声が聞こえる。


「レンばっかりずるいんだって!なんでE女の女の子総取りするんだよ!」


「これだからレンと遊ぶの嫌なんだよね。」


「そんなこと言われても、僕にどうしろって言うのさあ。」


 いつもつるんでいる男子二人に挟まれて、レンは廊下でそんな立ち話をしていた。私は姿を確認してから、すぐに視線を外した。
 夏休み中、レンの姿を地元でも何度か見かけた。いつも代わる代わる違う女の子を連れていて、その上相手は必ずと言っても良いほど、綺麗な子だった。今の話を聞く限り、レンは私の知っているレンではなくなってしまったということだ。女の子と遊び呆けている、そこら辺の男子と同等になってしまったのかもしれない。きっとそれに対して私が密かに不満を抱いたとして、関係ないだろう、の一言に尽きるというのに。


「他校の可愛い子は大体レンに流れちゃうしさ、俺は納得出来ないよ。」


「馬鹿、他校に限らず、うちの高校の女子もみんなレンを選んでるよ。」


 そんな話を、そんな大きな声で恥ずかし気もなくよくしたもんだ、と私は却って感心するくらいだ。


さんも元々はレンのもんだしなあ。」


 ふと、自分の話が聞こえてきて、私はびくりとした。こんな知覚にその当人が居るというのに、そんなことでは噂話とも呼べないだろう。私は意識しないようにしながら、それでいて耳は確実に廊下の方へ集中していた。


「何言ってんの。ちゃんはもう、あのカイト先輩と付き合ってるんだよ?僕は関係ないじゃん。」


 レンの明るい声がした。私は罰が悪くなって、机に突っ伏して視界を閉ざす。
 私がカイト先輩と付き合っていることは、すぐにクラスへ知れ渡った。学校の近くの駅で待ち合わせているし、お茶もしている。目撃情報がないことの方がおかしいのだ。いずれはバレると思っていたが、誰にも言い出せなかった。レンがどう思うのか、それだけが気掛かりだったのだ。
 とは言ったものの、話を聞きつけたレンの友人がすぐさま彼に教えたようだが、まるで気にも止めていない様子だったのを、私はこっそり見ていて知っていた。レンにとって完全に過去となってしまった私の存在を、誰かに掻き乱されたくない。私の話は、もうしないでほしい。






 新学期早々の実力テストは、数日をもって返却された。私はカイト先輩が夏休み中に時間を見ては勉強に付き合ってくれるおかげで、満足いく点数であった。カイト先輩は夏休みに入ってすぐ、我が家に遊びに来て、私の両親に挨拶をするなり、すぐに気に入られた。そんな自分の両親を、心のどこかで面白くないと思っていた。あんなにもレンを可愛がっていたというのに、私が全て悪いと分かっていても、急にやってきたカイト先輩も難なく受け入れてしまう両親が、嫌だと思った。後日、母にレン君と別れちゃったのね、とぽつりと言われた時、母の顔が心底寂しそうだったのを見て、少しでも両親を疎ましいと思った自分に嫌気が差した。


、また一位じゃん。凄すぎるよ。」


 友人が私の席までやってきて賞賛の声を掛けてくれる。順位が何位だったのか、まだ知らなかったが、学年順位は十位以内に抑え、それでもクラス内で一位を保持し続ける、それだけは譲れないので、その言葉を聞いて安堵した。


「嘘、もう順位貼り出されてた?」


 私は友人にそう尋ねると、頷いて返す友人が、私はまた駄目だったと愚痴を零した。帰りのHRも終わったことなので、昇降口へと降りる時に、職員室前に貼り出された順位表を見に行くことに決める。順位は学年別が上位百人、クラス別が上位十人まで貼り出される。この仕組みを嫌う人も多いとは思うが、私は自分の立ち位置がはっきりと分かるから好きだ。順位が落ちていても、次への活力となる。


 帰りの荷物をまとめて、私はもう既に順位表は見てきたであろう友人をもう一度、と連れて職員室前までやってきた。少しだけ人が集まっていたが、それでも前が見えないほどではない。自分のクラスの順位表を見つけて、そこに堂々と一位に自分の名前が記されているのを見て、思わず笑みが零れそうだった。毎度のことなのに、やはり嬉しいものだ。さらに次点は誰だろう、などと確認しながらクラスメイトの名前を見ていると、私は驚愕のあまり目を丸くした。


 ― 十位 鏡音 レン 89点


「え・・・。」


 十位、と確認して私は思わず声を零した。そんな私を不審がって隣に立つ友人がどうしたの、と尋ねるので、私はそそくさと首を横に振って何でもないという振りをした。友人は二度目の順位表に何度も目を配せて、やはり載っていない、と落胆した様子だった。そんな彼女を連れて、私達は学校を出て駅で別れた。秋学期になりカイト先輩の授業のコマ割りも変った。今日は会えないので、私は真っ直ぐに家へと帰る。私の頭の中は考えないように努めているのにレンのことでいっぱいだった。
 レンは一年の終わりまで、成績が良い方ではなかった。勿論私達の通う高校は屈指の進学校ではある。もとより頭の出来が他の学生に比べて悪いわけではないのだろうが、学校内に入ってしまえば、同じようにレベルの高い生徒が多くいるのだ。その中では、成績が芳しくないというだけだ。しかしそのレンが今回の実力テストで、クラス内順位の十位に食い込んだということに、私は驚きを隠せない。私がレンに勉強を教えている時の、彼の飲み込みの早さには賛辞を送りたかったが、そうだとてこの成績の伸び様は凄まじいと言えた。


 何もかもが、私の知っているレンではなくなってしまったような、そかはかとない寂しさ。






 隣の席でレンがじっと前方を見ては机と向き合い、また前方を、と繰り返した。授業は以前からまともに聞いているし、ノートも取っていた。それだけで勉強が出来るなら誰も苦労しない。何があったのだろう、と私が気にすることがそもそも余計なお世話かもしれない。実力テストの順位表にを知ってから、私はレンの様子に異変が無いか、隙あらば探してしまう日々が続いた。中間テストも期末テストも同様に順位が発表されるが、私は自分の順位をそっちのけで、レンの名前を探してしまった。


 ― 冬休み、どこか行きたいところある?


 授業中に関わらず能天気なメールがカイト先輩から届いた。もう冬休みか、と時間の流れの速さに圧倒されながら、私は学問成就の神社に、と返信した。すると突然教室へ知らない男、きっと事務員と思しき者が慌てた様子で入ってきた。受験を一年後に控え、静かに授業を受けていた私達も流石の登場にざわついた。先生も驚いて、そちらを見る。


「鏡音君いらっしゃいますか?」


 レンが呼ばれた事で更に教室はどよめいた。


「はい、僕ですけど。」


 レンが小さく手を上げて、何事かときょとんとしている。すると事務員の男は教師に何か小さな声で告げてそそくさと出て行ってしまった。教師の顔色が変わる。


「鏡音、今すぐ荷物をまとめなさい。」


「え、何、どういうこと?」


 教師の緊迫した表情に圧倒されたレンが、へらっと笑って答えた。


「・・・お爺さんが、事故に遭った。今病院に搬送されたらしい。」


 私の背筋に冷たい汗が滴れた。クラスメイト全員が息を飲み込んだ音がしたような気がする。隣のレンの気配が変化しないことで、私は恐る恐るレンの方を見た。
 レンは目を丸くしたまま、座っていた。
 クラスメイトの視線がレンに集まる。心配そうに、そしてレンが動かないことを不思議そうに。
 レンより先に私が立ち上がった。


「レン、行くよ!」


 思ったよりも大きな声が出てしまう。しかしそれでも顔を上げて私を見つめるものの、まるで感情が抜け落ちたかのように放心しているレンの、細い手首を強引に掴んだ。自分の鞄を肩に、レンの机の横に掛けてある彼の鞄をひったくるように手に取って、私は教室を飛び出した。






「・・・うん、分かった。・・・気を付けて来て。・・・それは僕から連絡しておくから。」


 病院の入り口に面するロータリーのベンチに腰掛け、レンは電話を終えた。


「親も明日の朝一の便で帰ってくるって。」


 私が尋ねるより先にレンは答えた。外は既に夜の帳が降りて、静寂に包まれ、車のライトとエンジンの音が遠くから届いてくるだけだった。


 レンのお爺さんは、読書会に向かう途中で車に撥ねられた。私達が病院に到着して間も無く、息を引き取った。痛々しい傷を負っていた。


「レン・・・。」


「ごめん、何も言わないで。」


 何か言わなければ、と思いながら呼び掛けると、それをレンに制された。レンは学校で知らされてからもずっと、涙を流さなかった。


「僕、おじいちゃんと、ずっと会話が無かったんだ。ちゃんと別れてちょっとしてから。家にも全然帰らなかった。知ってるでしょう?僕、馬鹿みたいに女の子を取っ替え引っ替えして遊びまくってるんだよ。見た目ばっかり綺麗で、中身の無い女の子ばっかり。」


 家に帰っていないことを、私は知っていた。今年の春、レンのお爺さんが我が家に連絡してきて、レンが来ていないかと尋ねられたことがあった。お爺さんは私達が別れた事を知らないようだった。私も何故か言えなくて、来ていない、とだけ返事した事は記憶に新しい。


「僕、全部嫌になったんだ。学校も、家も、友達も、ちゃんのことも。逃げ出したかった。それなのにおじいちゃんは僕より先にいなくなっちゃった。」


「レン、もういいよ。」


「良くないよ!」


 苦しそうに震えるレンが怒鳴った。私は萎縮して、それでも泣かないように必死に涙を堪える。


「良くないんだよ、僕はおじいちゃんの側にずっと居たんだから。おじいちゃんの最後の笑顔を見届けなきゃいけなかったのに・・・、僕はおじいちゃんを悲しませてばっかりだった。もう、誰も悲しませないって決めたのに・・・。」


 私はレンの体を抱き締めた。レンはびくりと肩を震わせた。


「離して。」


 鋭く、それでいて弱々しい、掴み所のない声。


「嫌だ。」


「離してよ。僕、ちゃんのこと、凄く憎いんだ。顔も見たくない。大嫌いだよ。」


 そう罵られると、私は泣きたくなった。それなのに腕の力を一層込めてしまう。


「私はレンに憎まれてても良い。今は離れない。こんなレンを放っておけないよ。」


 そう言うとレンは一度唾を飲んだ。


「カイト先輩に抱かれておいてよく言うよ。」


 冷ややかな声がして、私は一瞬思考が止まった。


「直ぐに他の男に逃げた人に慰めてもらうような、そんな安っぽい悲しみじゃないんだよ。ちゃんに僕の何が分かるの?僕がどれだけ後悔しているのか分かる?分かったような振りはやめてよ。」


 酷い、と言い掛けて飲み込んだ。私はこれほど罵られた所でまだ足りないくらい、レンを傷付けたのだ。今までもレンのことを傷付けたと言いながら、所詮はそんな自分を演じていたのだと思い知らされる。レンの肩の震えが怒りからの震えなのかもしれないと思った。レンの心の拠り所である、育ての親である祖父までも他界してしまった今、レンは涙を流さないものの、きっと心細いに決まっている。レンと別れた日、彼の言葉が乱暴になったことを今でも覚えている。都合の良い解釈でも構わない、レンは寂しい時、辛い時、苦しい時、きっとレンはその感情を殺そうと乱暴に振る舞うのだ。
 私はとうとう抑えきれずに涙を零してしまった。


「ごめんね、レン。ごめん、ごめんね・・・。」


 声を出すと堰を切ったように、涙とそんな言葉が溢れた。私が謝り続けるのを、何するでもなく、レンは黙ったままジッとしていた。





 両親に事情を電話で説明して、私はレンに付き添ったまま病院で一夜を過ごした。その間、レンは一言も口を利かなかった。昼前にレンの両親が病院へやって来た。初めて会うレンのご両親を前に、自分の立場が胸を張って言えるものでないことが、少し悲しかった。それでも私は足早に病院を立ち去り、翌日、通夜にだけ参列した。
 レンの顔はいつにも増して青白かった。黒い服に身を包んだレンが、私を見て目釈するのを、私は本当にレンにとって自分が他人になってしまったのだということを再認識させられて、場違いな涙が零れそうになった。


ちゃん。」


 ご焼香を済ませて、私が会場を去ろうとした所でレンに呼び止められた。私は立ち止まり、レンの方を見た。


ちゃん、僕、二学期はもう、学校には行かないと思うから。」


 レンがぽつりと呟くように言った。残すところ一週間となった二学期に来ない所で、こんな事情だ、誰が文句を言うのだろうか。私は小さく頷いた。するとレンが押し黙って、少しして意を決したような表情で口を開いた。


「やっぱりちゃんにだけ言っておくね。僕引っ越す事になったから。もう、会うことはないと思う。」


「が、学校は?」


 お爺さんと住んでいたのだ、当然高校生であのまま一人で暮らしていけるわけもない。私もそれは分かっていた。それでも、これで最後になるのが辛くて尋ねると、レンは小さく微笑んだ。力ない笑みだった。


「親戚の家に住まわせてもらうことになったんだ。だから、その近くの高校に編入するよ。」


 レンは地名は言わなかった。それでもきっと、それが遠いということだけは、レンの纏う空気、声、言葉で分かる。こんな悲しい席がレンとの別れの場になったということが、まるで実感の湧かない、他人事のドラマのような心持ちだ。もう会う事がないということが、私達が運命でなかったことを裏付けて、確かにそこに存在している事実のような気がする。


「おじいちゃんが居なかったら、別になんの所縁も無い場所だから、もうここの人達と連絡し合うとか、そういうことも必要ないし、誰にも言わずに行くよ。」


「・・・何で私には、教えるの?」


 そんなことはどうでも良いはずなのに、思わず疑問がついて出る。自分にとって都合の良い理由を聞きたいんだ、と浅ましい考えが心の何処かにある。レンは困ったように一度視線をそらした。そして少ししてから私を見つめ直す。


ちゃんは、この街にある、数少ない思い出だったから。」


 一昨日の夜、病院で私を罵った事が嘘のような、耳に心地良い言葉。レンに憎まれても構わないと言いながら、やはりレンにそう思われるのが悲しかった。レンに私達の過去を否定して欲しくなかった。私は小さく震えて涙を堪える。最近は泣いてばかりのような気がする。


「きっとこうして離れ離れになることは最初から決まっていたのかもね。運命、じゃなかったのかもしれない。」


 物悲しい声と言葉に、私は黙って頷くしか出来なかった。


「それでも、大好きだったよ、僕。ちゃんのことが、凄く大好きだった。だから、もう泣かないで、幸せになってね。」


 私もレンが大好きだ、と伝えたいのに、いつの間にか零れ出した涙に遮られ、結局最後まで声に出来なかった。






 三学期、レンは跡形もなく姿を消した。
 私に思い出だけを残して、消えてしまったのだ。




















―あとがき―
カイト放置しすぎですが、基本的にレン中心の夢ですので悪しからず。
ここから一気に時が進んで行きます。

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