ドリーム小説 これでいい
 全て過去のことに






 三ヶ月もすれば、生徒達の中で私とレンが別れたことは、なんとなしには分かったようだ。隣の席で質問責めに遭うレン、そして私という取り合わせも最初の頃はあったものの、その時はそれらしい顔を作って、お互いにわだかまりも無く、友達に戻ったというような顔をして、火種は最小限に抑えられた。進学校だということもあって、みんなが授業の難度に手こずっていて、他人の恋愛話に現を抜かしていられるわけもない、ということも功を奏し、私達の恋は完全に過去の産物となってしまった。


、今日勉強教えてー。」


 一日の授業を終えて、HRを終えるなり、私の席に友人がやってくるなり、先程の授業のテキストを開いて懇願してくる。最近は専ら放課後は友人に勉強を教える羽目になってしまった。


「え、と・・・三十分だけなら大丈夫だよ。」


「あれ、今日も用事あるの?」


 一昨日もそうだったため、友人が小首をかしげる。わらわらと便乗して勉強を教えてもらおうとして居るクラスメイトがテキストを手に集まってくる。隣の席では、レンが男子と談笑していた。こちらなど見て居る訳もない。


「うん、ちょっとした用事があるの、ごめんね。」


「全然、むしろ三十分で良いから宜しく。」


 友人が手慣れた手付きで机と椅子を何個か合わせて、軽い勉強会が始まる。皆各々が片手に筆記用具、もう片方に団扇や、その代わりになるような下敷きを持ってパタパタと仰いでいる。


「あれ、さん達、もしかしてさっきの数Uの所やってる?」


 私が授業で出てきた例題を使って教えていると、レンと話していた男子がこちらを覗き込んでそう尋ねてくる。


「あ、うん。さっきの所。」


「え、俺も教えてよ。」


 そう言うなり、ズカズカと荷物を手に取って椅子を持って腰掛けてくる。


「レンも教えてもらおうよ、全然分からないんだろう?」


「ええ、僕、あとちょっとしたら先約があるし・・・。勉強したくないもん。」


「そんなこと言ってるから馬鹿になるんだよ。」


 そんなやり取りをして、無理ぐり引っ張られて連れてこられたレンが、居心地が悪そうに私を中心とした輪の中に入ってきた。気不味い、と思うものの、大勢の前でそんな顔は出来ない。私は何食わぬ顔で勉強会を続けた。


 皆が集中してノートに書き込んだり、私の声に耳を傾けたり、教科書と睨めっこをしながら、そろそろ私は時間が差し迫っていることに気付いてノートを閉じた。


「ごめん、そろそろ私行かなきゃなんだよね。」


 そう切り出すと、みんなが顔を上げる。


「もうそんな時間経ってた?ありがとう、。」


 友人がそう言うと、他の友達も口々に同じようなことを言う。


さんの授業わかりやすいね。」


 レンを連れて途中参加した男子がそう言うので、私は嬉しくて笑みが零れた。


「本当?ありがとう。また時間ある時にでもやろうよ。」


 私が答えると、その隣に座ってだんまりを決め込んで黙々と勉強していたレンの視線を感じた。合わせたら逸らされる気がして、そちらを気にしないようにしながら、私はそそくさと荷物を片付ける。レンも用事あるんじゃないの、と男子が声を掛けていたが、もうちょっと後、と答えているのが聞こえてきた。


「じゃあ、ごめんね。また明日ね、ばいばい。」


 荷物を手に持って、私はみんなに挨拶して、教室を後にする。
 レンの視線はそれまでずっと、私に張り付いていた。






「カイト先輩、待ちました?」


 駅に着くと、私服姿でぼんやりと立っていたカイト先輩を見つけて私は駆け寄る。


「ううん、全然だよ。俺も今来た所。」


 そう言ってにこりと微笑みかけてくれる。


「本当?なら良かったです。みんなに勉強教えてたら夢中になっちゃって。」


「授業終わってからも勉強?勉強好きだねえ。」


 勉強楽しいですから、と私が答えると、カイト先輩は流石だと笑う。


「それだけ頑張ったらうちより良い大学行けるでしょ。」


「いやいや、そんな世の中甘くないはず。」


のそう言う所は偉いとは思うけど、頑張りすぎないようにね。」


 私は小さく頷いた。
 駅前の雑多とした繁華街は、学生やサラリーマンで溢れていた。皆各々が照らし付ける太陽にうんざりとしていた。台風一過の空は憎々しいほどに青い。


 カイト先輩と付き合ってから、私は授業を終える時間が合う月曜日と水曜日、そして土曜日という週に三回程の頻度で逢瀬を交わしている。平日はこうして駅前をぶらついたり、買い物をしたり、晩御飯を食べる。土曜日は朝から二人揃ってランニングをして、勉強をしたりなどとのんびりと過ごしている。
 セックスは、まだしていない。カイト先輩はラブホテルは愚か、自宅にさえ私を呼ぶようなことはなかった。小中学生ではあるまいし、肌を重ね合わせないことには違和感を感じている。そのくせホッとしていた。私は、レンの体しか知らない。


「そういえば、夏休みに入ったらすぐに、合宿で免許取ろうと思ってるんだよね。」


 買いたい小説がある、と言い出した私に連れられて入った本屋で、カイト先輩がどこかの棚から取って来た雑誌を手にして唐突に切り出した。


「車の免許ですか?」


「勿論、そうしたらさ、俺の運転でどこか旅行でも行こうよ。」


 夏休み、旅行。そう聞くと、目の前の彼には申し訳ないと思いながらも昨年の京都を思い出す。電車に乗って何時間も掛けて行った小さな教会、潮風、魚、精霊流し、花火。あの時は、幸せだった。私は誰もが羨むほどに幸せだったはずなのに。
 そこまで考えて、まるで今は幸せではないとでも言いたいようではないか、と自分の酷く贅沢な思いを叱責した。私のことをこんなに好きだと言ってくれる、温かな人が側に居ると言うのに、これ以上に何を望むと言うのだ。


「あの、無理に行こうっていうんじゃないからさ。旅行なら親御さんの許可もいるだろうし、旅行に拘ってるわけじゃないからね。」


 物思いに耽って返事もまともにしないでいた私にカイト先輩は少し焦った様子で早口に弁明している。悪いことをしたな、と思って首を横に振った。


「すみません。違うんです、旅行行くなら何処が良いかなとか考えてたら、思考がよそにいっちゃってました。」


 随分すらすらと嘘を吐いて誤魔化した自分に驚いた。そして、酷く落胆した。カイト先輩の真っ直ぐで純粋な気持ちを、踏み躙っているのが、他でもない自分であることに。


が行きたい所、一緒に行こうよ。あ、あんまり遠いと運転自信ないけど。」


「あはは、まだ免許も取ってないのに。」


 冗談めかして言う彼に私も笑う。すると、彼は手に取ってきていた雑誌を私に見せる。


「こういうの見て、なんか良い所見つけようよ。」


 東京、大阪、京都のガイドブックだ。


「京都・・・。」


「京都がいいの?」


 考えるより先に呟いてしまった。カイト先輩がすかさずそう言って微笑み返してくる。私はしまった、と思いながらも、今の自分の言葉をどう説明すれば良いのか分からなかった。カイト先輩に、昨年の夏、京都を勧められたが、私は結局どこへ行ったのかなどと尋ねられることがなかったため、昨年の夏に私とレンが京都へ行ったことは愚か、もしかすると自身で勧めたことも覚えていないかもしれない。


「俺、京都好きだよ。嵐山にあるトロッコに乗ると季節に寄って景色が凄く変わって綺麗なんだよね。」


 だから遠慮しないで、とでも言うような。私はこれは困ったと思いながらも、嵐山ならば何も思い出の場所があるわけではないのだから、行ってみても良い気がした。ましてやカイト先輩が好きなんだと言うのならばそれが良い。


「トロッコ乗ってみたいです。」


「本当?まああそこら辺なら車を置いて電車で色々行けるしね。じゃあこの京都のガイドブックだけ買っちゃおう。」


 私も気になっていた小説の文庫が出たから、と一冊手に取って、もう二冊気になるものを選んでレジで購入した。






 本屋を出て、暑いから冷たい物を飲みたいと言い出したカイト先輩に連れられて喫茶店へ向かう。最近二人揃ってお世話になっている店だ。


「そういえば塾決めた?」


 彼のアイスコーヒーと、私のアイスラテを注文した所で、カイト先輩は思い出したかのように切り出した。


「それが迷ってて。学校までの距離もあるから時間の融通効かないのもあるし。親は家庭教師を取っても良いって言ってくれてるんですけど・・・。」


 高いから、と言おうとして口をつむんだ。カイト先輩は私と会う日以外の火、木、金曜日に家庭教師をしているのだ。大学が始まってすぐにやり出して、今は中学生に教えているそうだが、そんな彼に向かって言うのは失礼極まりない。しかし私が言い淀むのを察して笑った。


「高いからねえ、塾に比べると。」


「な、なんかすみません。」


「え、なんで?俺だって高いと思うよ。それでも費用対効果はやっぱ良いのかなとも思うけど。」


 からからと笑って言ってくれるカイト先輩に私はほっとした。


「お金払うのは親だから、どこまでなら甘えて良いかわかんないんですよね。家庭教師良いなとは思うんですけど。」


「でも家庭教師って大学生とか若い社会人の人も多いから、もしが始めたとして、男に当たったらちょっと悔しいな。」


 さらりとそんなことを言われて、私はどきりとした。妬きもちを妬いてくれている、とかそんな甘ったるいことではない。なんとなく、今の彼の言葉が、レンと重なったからだ。


 ― もしちゃんが男の人に教えてもらうことになったら、ちょっと嫌だなあ。僕のちゃんなのに、ね?


 瞬時に、そんな事を言われた事がないのに、レンの声でそんな言葉が頭の中で再生される。拗ねたような唇、そして悪戯な視線。吐息を漏らすように笑って。


、どうかした?」


 ぼんやりと考えてしまっていると、カイト先輩が気遣わし気に呼び掛けてきて、はっとして視線を窓に向けた。


「いえ、なんでもな、い・・・っ。」


 往来する人々の波、暑過ぎる陽射し。その中に、私は見慣れた金糸を見て言葉が詰まった。水の入ったタンブラーの氷がからんと涼しい音を立てて溶けるのに対し、私は首の後ろからじんわりと汗を掻く。不審な私の様子にカイト先輩も何事かと窓の外に目をやった気配がしたにも関わらず、私はそれを止める事も出来なかった。


「鏡音君に、似てるね?」


 苦し紛れな口調で分かっている筈なのにあやふやにして零した言葉を、私は返事も出来ずにじっと窓の向こう側を見てしまっていた。
 何人かの綺麗な女の子に囲まれて連れ立つようにして歩道を歩いている。勿論声なんて聞こえるわけがないのに、彼女達と談笑していることは分かる。違う高校の女の子達。もしかしたら同じ中学の子なのか、なんて考えて、地元からここまでの距離を思い返すとあり得ないと分かっていた。レンがああして明け透けに自分へ好意を寄せる女性を好かないということを私は知っていた。それなのに、何故。彼女達がレンを見つめる視線は明らかにレンの嫌うそれであったが、だというのにも関わらず、レンは口元にあの妖艶な微笑を拵えて彼女達を喜ばせているように思える。


。」


 はっきりとした大きな声で呼ばれて、私はびくりとして漸く顔を窓から背け、声の主の方を向いた。真剣な眼差しでこちらを見据えるカイト先輩に、私は声が出ない。目の前にいる恋人が、前の恋人に視線を奪われて自分をそっちのけに物思いに耽っていて、良い気分はしないに決まっている。気まずくなって私はどんよりと下を向いた。


「俺がやるよ。」


 珍しく主語のない言葉に、私は理解が出来ずに、思わずカイト先輩の顔を見た。顔を上げる形となってしまい、居心地が悪くなってしまい、また俯きたくなるのを堪える。


「俺がの家庭教師をやるよ。」


「え?」


 この場のこの空気では、先程の会話の続きだとしても突拍子もないことに聞こえて、考えるより先に呆けた声を漏らしてしまった。


「こうやって会える時に、勉強教えるよ。の力になるから、俺。だからさ・・・。」


 そこまで言って言葉を区切る。


「そんな風に鏡音君を見ないでほしいんだ。俺はのこと、絶対に不安にさせないから。」


 力強い口調で言われてしまって、私は罪悪感に胸が抉られるような痛みを覚えた。


「すみません、私、ちょっと動揺して・・・。」


 どんな風にレンを見ていて、それがどんな風にカイト先輩の目に映ったのか分からない。それでも、動揺、と濁して事無きを得ようとしている。そんな自分は狡い。優しいカイト先輩がそれ以上言及してこないことを、知っていた。


「仕方ないよ、俺も吃驚したから。そんな事より、俺にやらせてよ、家庭教師。勿論と親御さんが良ければだけど。」


 和ますように早口にそう言うカイト先輩はいつも通りの微笑み。普段なら、私の事を好きだとか、大事にするだとか、そのような類の言葉を口にするだけで顔を赤く染めてしまうカイト先輩だ。不安にさせない、などと言えばきっと赤面してもおかしくはないのだが、していない所を見ると、余程私の行動に逼迫した思いだったに違いない。そう考えると申し訳無さが込み上げる。


「じゃあ、お言葉に甘えて、お願いしても良いですか?」


 思う事が多々あるが、折角彼が和ませようとしてくれているのだから無碍にすべきではない、と甘えて私は笑みを浮かべた。勿論、と声を弾ませて答えるカイト先輩にホッとして、アイスラテを飲み干した。






 窓の向こうには、もうレンの姿は見えなかった。




















―あとがき―
展開させていくのが難しい段階まできてしまいました。
カイトの当て馬臭が凄い。
もう少しぐだぐだな話におつきあいください。

140526















































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