ドリーム小説  たまたま家が近かった。
 たまたまクラスが一緒だった。
 たまたま私は恋に落ちた。


 そう思っていた。
 運命だなんてね。






 神様が居るとしたら、その人はきっと般若の面をした恐ろしいお方に違いない。
 登校して昇降口に向かうと、クラス割りを記した大きな用紙が掲げられていた。私はレンの名前なんて探さないように、と思いながら自分の名前だけを集中して探す。二年六組の欄にある私の名前を見付けるなり、余計なものは探さないようにと、いそいそと教室に向かったのだ。


「おはよう。」


 黒板の座席図、私の名前の横の四角、それは隣の席を指し示す。そこに書かれた見慣れた名前。鏡音レン。
 神様が居るとしたら、本当に意地悪。


「おはよう。」


 挨拶は返して、私は気まずいなと思いながら机の前に棒立ちになる。


ちゃんの席、そこで合ってるよ。座らないの?」


 レンに指摘されて、分かってるよ、と言いたい気持ちを抑えて、私は小さく頷いた。


「また隣の席だね。よろしくね。」


 たった二週間だ。レンと顔を合わせなかった時間は。それなのにレンは人が変わったように、何て言えば良いのか分からないが、少しだけ恐かった。目が冷たい。決して温かい優しい目を向けてくれると思っていたわけではないけれど、それが苦しかった。


「うん、よろしくね。」


 レンが話し掛けてくれたら答える。それは別れた日から決めていたことだ。だが、こうも何事もなかったかのように話し掛けられると不安になる。私の中の一年間は夢だったのではないか。本当はレンと付き合ってなどいなくて、私のただの憧れから来る妄想だったとか。そんな馬鹿な話、あるわけがない。


「こんなにクラスがあるのに、同じクラスになるなんて、皮肉なものだね。」


 にやっと笑ったレンが頬杖を付いて此方を見る。言葉を紡ぐ唇の動きが、艶かしい。意地が悪いことを言われているのに、思わず目を奪われてしまうほどに、レンはなんだか妖艶だ。ここ半月で一気に大人びたような、そんな雰囲気。


「うん。」


 返す言葉が見付からなくて、私は小さく頷いただけだった。


 ― 一緒だったらやっぱり僕たちは運命だね。


 あの日レンはそう言った。だとしたら自分の運命を呪うしかない。運命とは、甘いものではないのだな、と痛感した。そんな私の考えなどお見通し、とでも言うのか、レンは乾いたような笑方をした。


「顔に出てるよ、気にし過ぎだって。運命なんかなわけないから。こんなの偶然でしかないよ。」


 胸が抉られる。
 これがついこの間まで私のことを好きだと言って、甘い声で誘惑していた男なのだろうか。今は、どう考えても私を憎んでいるとしか思えない、そんな嫌味を含めた雰囲気と言葉。


「分かってるよ。」


 堪えられないかもしれないと思った。これから一年間をこの教室で過ごす、それが私にどれだけの精神的苦痛を与えるかは分かっていた。
 私の返事にレンは満足したのか、そっぽを向いて駆け寄って来た友人達に囲まれるなり談笑を始めた。私は惨めな気持ちになる。レンには、私が居なくてもこうして常に誰かがそばに居た。私が居ても、居なくても、さみしくなんかないのかもしれない。そう考えた所で、私はなんて独りよがりで自分勝手なのかと気付いて、また惨めになる。






 ねえ
 私たちのことは
 なかったことになってしまったの?






 ― 今からそっち行くよ。


 カイト先輩からそんなメールが届いて、私は部室に置いてあったスニーカーを急いで取りに来た。


さん、本当に辞めちゃうの?」


 お祭りに一緒に行った先輩も今年は引退だ。私は先輩達の引退まで見守るべきかと思ったが、私は春休み中に予め顧問の教師に退部届けを提出しており、今日は荷物を取りに来ただけだ。先輩がさみしそうな顔をして尋ねてくるのに、私は申し訳ないと思いながらも頷いた。


「私、もっと勉強に力入れたいんですよ。だから、部活も楽しいんですけど、やっぱり勉強に専念したくて。ごめんなさい。」


「そっかあ。さんが居なくなると寂しくなるね。」


 先輩はしょんぼりとして見せた。そんな風に考えていてくれたことが嬉しくて涙腺が緩みそうだった。


「カイト先輩も卒業しちゃったし、高跳び、みんな居なくなっちゃうとさみしいよ。」


 先輩の言葉にどきりとする。今から会う相手はもうすぐそこまで来ている。部員の皆に会わせてあげるべきかもしれないが、もし私と彼が定期的に会うような仲だと知ったら、私がレンと別れたことに気付かれてしまうかもしれない。
 私はまだ誰にも言葉にして、レンと別れたことを伝えて居ない。いずれは分かってしまうことなのだが、もしかしたら、という希望を捨てきれずにいるのだ。そして、皆が知ってしまうことで、私達のことは本当に過去の事になってしまう、それを想像しただけで苦しくなる。


「私も寂しいです。たまには遊びに来ても良いですか?」


 カイト先輩のことは言えなかった。後ろめたい、と思いながら。知られたくなかった。


「勿論!毎日でも来てよ。」


「辞めた意味ないじゃないですか。」


 笑って答えながら、私は今、ちゃんと笑えているのか、不安だった。
 カイト先輩は男女分け隔てなく優しくて頼りになって、昔から慕われていると言う話を聞いた事がある。そんな彼を、私は独占してしまっているような、罪悪感、そして優越感。






 先輩に別れを告げてから、待ち合わせていた駅前まで行く。


「お疲れ様。」


 後ろから柔らかい声を掛けられて振り返る。


「カイト先輩も、こんにちは。大学どうでした?」


 今日から彼も大学が始まったそうだ。私の憧れの大学に一足先に通うカイト先輩を、羨望の眼差しで見つめてしまう。


じゃないから迷いはしないけど、広いし人が多いし、なんか慣れるのが大変そう。」


 そんな風にからかわれて私はむすっとした表情をわざと作った。カイト先輩が笑って謝る。カイト先輩は行き先を決めていたのか自然と歩き出すので、私もそれに従ってついて行く。どこへ行くのだろう。


「体育館の前の公園のコースでも走ろうかなあと思ったんだけど、どう?」


 私の疑問をすぐに感じ取ってそう教えてくれる。近くに大きな公園と体育館やジムのある施設がある。そこならば更衣室もあるし、ロッカーに荷物を預けることも、シャワーを浴びることも出来るので、良案であった。私は頷く。


 軽くストレッチを行って、トラックを走る。久し振りに学校以外で走ってみると、とても清々しい。いつもと違う景色の中で、一つだけ一緒なもの。


「カイト先輩。」


 隣を走るカイト先輩の青い髪が視界の隅でちらつく。何、と尋ねる先輩を置いて、私は少しペースを速めた。


「遅いですよ。そのペースだったら私、ハーフは走れますよ。」


「ええ!」


 トラックは一周1.5kmに設定されているようで、今日は軽く5周ほど走るということにしたのだが、ペースが遅いと折角のランニングなのに運動した気にならない。ハーフを走れる、とは流石に大袈裟だが、たかだか8km程度をこのスピードではぬる過ぎる。私の言葉に小さな悲鳴を上げるカイト先輩を尻目に私は走る。


 春の風とは少し言い難い肌寒さだが、陽射しは良く、午後の陽気につられて私は上機嫌に走った。やれ無理だ、速過ぎる、と喚いていたカイト先輩もなんだかんだで私の隣を並走したまま完走した。


のこと、ちょっと舐めてたよ、俺。」


「だから言ったじゃないですか、自信があるって。」


 ふん、と自慢気に私が言うと、カイト先輩は中腰で息を整えたまま顔を上げると、からっとした笑みを放つ。
 その笑顔は少しだけ苦手だ。自分が汚いということを、嫌という程思い知らされる。大学生とは思えない、無垢な笑顔。きっと私の知っているどんな男の人よりも、優しい。
 私はふと顔をそらしてしまう。それでも、誤解をされたくないので、自然な装いで口を開いた。


「久し振りに走れて気持ち良かったです。今日、退部届けを出して来たんで、明日からなるべく走れるようにします。」


「良かった。俺もについて行けるようにもうちょっと練習しておこうかな。」


 カイト先輩はそう言うと、ようやく上体を起こした。


「汗かいたし、早くシャワー浴びたいです。」


「そうだね。、何分くらい時間かかる?」


「えっと、頑張れば三十分で出てこれます。」


 シャワーを浴びて、化粧を急いで済ませば良い。あまり待たせるのも申し訳ない。


「じゃあ三時に下の入り口で。」


 カイト先輩はそう言うと、施設に向かう。私もつられて歩く。まだ二時をほんの僅かに過ぎたばかりだ。気を遣わせてしまって申し訳ない、という気持ちと、優しいなと感じて、心が温かくなる。






 折角だからお茶をしようと、駅前の喫茶店に入る。カイト先輩はコーヒーを、私はアールグレイティーを、二人とも暑くてアイスで頼む。


「クラス割り、どうだった?」


 ストローを差して一口飲んだカイト先輩に尋ねられる。どうだった、と言えば最悪なのかもしれない。しかしカイト先輩の前でレンの名前を不用意に出すのは躊躇われる。彼は私の事を好きだと言ってくれている。それなのに多くを望まずに、私にこうして付き合ってくれている。その上、レンの話をするなど、失礼極まりない。何より、レンの事は吹っ切れた、と思って欲しい。私は未練がましい女ではないと、思われたかった。


「鏡音君と一緒になっちゃった?」


 返答しかねていると、カイト先輩は、これまた気遣わし気な声色、そして眉を下げて少し困っているような、悲しんでいるような表情で尋ねてくるので、私はいよいよ罪悪感で胸が潰れそうになる。カイト先輩には、笑っていて欲しかった。


「はい・・・。しかも隣の席でした。」


 私が観念して答えると、カイト先輩はそっか、と小さく頷くだけだった。


「今は辛いかもしれないけど、いつかは過去になるよ。こんな言葉は無責任かもしれないけど。でものそんな顔を見せられると俺も悲しいよ。」


 そう言われて、私は果たしてどんな顔をしていたのか不安になる。レンの事を考えて胸を痛めているようや、そんな女の子らしい苦悶の表情を浮かべていたとしたのならば、私はカイト先輩の顔を見れる訳がない。


「すみません。」


 そう返すのがやっとであった。しかし私の言葉に気を悪くしたのか、カイト先輩は笑顔を消して、ずいっと腰を上げて私の顔を覗き込む。


「そういう顔を、ってことなんだけどなあ。」


 また言われて、今度は無理に笑みを作ってみせると、呆れた様子で腰を椅子へ戻すと溜息を吐かれてしまった。どうしろというのだ。


「俺の前で我慢とかされるのが一番嫌だよ。辛いなら辛い、楽しいなら楽しい、そのまんまのでいればいいよ。無理に辛い気持ちを誤魔化したり、気を遣わせるのが一番嫌だから。」


 カイト先輩は心底困り果てているように眉尻を下げて、その包容力のある優しいな笑顔を向けてくれる。それだけで、涙が出そうになった。弱っている今の私にはカイト先輩の優しさが、いとも簡単に染み込んで行く。


「そういうことを言われると、余計泣きそうになっちゃいます。」


 そう言うとカイト先輩はここでは困るけど、と笑った。そしてテーブルに置かれて、いつの間にか握り締めていた私の手に軽く手を重ねられる。


 レンの手が好きだった。あの細くてひんやりとした、少しだけ骨の浮き出た、薄くて平らな手。指先は女性のように綺麗で傷一つない、その五指をまとめた手の平はつるりとしていた。その手で頭を撫でられて髪を梳かれると、私は体が火照ってしまった。
 そんなレンの手とは全く違う。大きくて骨ばってごつごつしていた。陽に程よく焼けて、健康的で血色の良い指先。力強い関節。少しざらついていて、柔らかい笑顔と裏腹の、否応無しに感じてしまう男の人らしい手だった。重ねられた手だけではなく、胸の内がぽかぽかしてしまうような、安堵。


「もしが辛い時に、俺の力が必要だったら、何でもしたいって思ってるよ。俺はの・・・」


「カイト先輩の手って、気持ち良いですね。」


「・・・え?」


 重ねられた手をまじまじと見つめたまま、思わず呟いてしまった私の言葉に、カイト先輩はぽかんとしている。そこで漸く、私はカイト先輩の話を遮ってしまったことにはっとした。


「ご、ごめんなさい、いきなり。」


 私は謝って顔を上げた。


「いや、その、別に、え?」


 口をぱくぱくさせて金魚みたいだな、と思った。カイト先輩は顔を真っ赤にしている。それがなんだかいつもの彼とは違って新鮮で、可愛いなどと失礼な事を思ってしまう。


「か、カイト先輩、顔真っ赤です。」


 つられて赤くなった私がそう言うと、ぱっと手を離して、カイト先輩が慌てふためく。心地良い手が離れてしまったことが名残惜しいなんて思うのは、都合が良すぎる。


「か、からかわないでくれないかなあ。」


 困り果てたようにそっぽを向いて、火照った頬を仰いで、カイト先輩は言う。


「からかったわけじゃないんですけど、思わず口から出ちゃって・・・、その、カイト先輩が恥ずかしがると私も恥ずかしいんですけど・・・。」


 はたから見たら、二人して顔を付き合わせて真っ赤になっているなんて、なんとも初々しい恋人同士に見えてしまいそうだ。
 それが悪くない、と思った。


「俺、本当は駄目なんだよ、こういうの。」


 両手で顔を覆って、カイト先輩は呻くように言った。何が、と尋ねるより先に、隙間から覗く形の良い唇が動いた。


「俺、の思ってるような奴じゃないんだよね。赤面症、じゃないけど、凄い照れ屋というか・・・。だから、が不意打ちでそういうことを言うの、凄く困る。」


「う、えっと、ごめんなさい・・・?」


 そんなことを白状されて、私はなんと答えれば良いのか分からず、戸惑いながらそう謝ってみる。すると、カイト先輩は手を下ろして、まだ赤いままの顔をこちらに向けた。目が少し潤んでいて、とても幼く見えて、愛しい、とか思ってしまう。こんな移り気で良い訳がないのに、と思っていても、感情は制御出来ないものだ。


を買い物とか祭に誘った時も、手を繋いだ時も、告白した時も、振られてから会いに行った時も、俺はいっつもドキドキするんだ。に笑いかけられると嬉しくてはしゃぎたくなる。子供みたいでしょう?の前では格好付けたいんだけどね。」


 俺、格好悪いなあ、と独り言のように呟いたカイト先輩に、私は大きく首を振った。


「わた、わ、私、今、カイト先輩の言葉を聞きながらドキドキしちゃいました。なんか胸がギュッてなっちゃいました・・・。」


 だから私も同じです、と伝えたいのに、どもってしまって上手く言葉が紡げない。カイト先輩は少し驚いたように目を丸くした。頬の赤みは一向に引けそうにない。


「俺、こんな感じだけど、の心に割り込む隙、ありますか?」


 そんなことを居心地の悪そうに敬語で尋ねられて、私は言葉にするべきか迷いながら、それでも誤魔化せずに口を開いた。伝えてしまいたい。


「もう、全身割り込んでます。」


 温かで、頼りになる、優しく包み込むようなカイト先輩ではない、恥ずかしさで頬を赤らめて目を泳がせているカイト先輩を、愛おしいと思ってしまった。


 私は深呼吸をひとつ。






「カイト先輩のことが、好きです。」






 何故か金色が一面中に広がった。




















―あとがき―
ヒロインの気移り早すぎますが、そこを丁寧に書くと
何十話もぐだぐだしかねないので、少しピッチ上げて展開しました。
カイトのキャラクターが分からないので、勝手に捏造しています。
レンも公式の雰囲気が皆無なので今更ですが。
こんなカイト嫌だと言う方、御容赦ください。

140519















































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