ドリーム小説  空が作り物のように青い
 春の兆しはまだ見えない






「ご飯でも行こうよ。」


 そんな俺の言葉に少し間を置いてから頷くに、強引だと知っていながら引き下がれはしない。大学生活を始めて会えなくなる前に、と距離を縮めたかった。
 待ち合わせたのは高校から帰宅するが乗り換えで利用する駅だった。俺の家からは、少し遠い。


「勉強進んでる?」


「なんとか。ちょっとさぼりがちなんですけどね。」


 あの日から、と言いたげな自嘲的な笑みだと思った。俺はそんなの顔が見たいわけではない。
待ち合わせて、近くのカフェに入って食事を頼み、お互い向き合ってみると、半月前の卒業式の日に比べて肌艶が戻ったように感じる。
 自分で鏡音君に発破をかけたものの、あの時の鏡音君の怒り様は、に大きな傷を負わせてしまった。
 あの日の一週間後に会った時は顔色が青白く、病的にも見えたのだが、そこから更に一週間経った今日、肌の色もだいぶ良くなっていて安堵した。あんなままのを見ていたら、流石に罪悪感で押し潰される。


「でもカイト先輩がA教大なんて驚きました。」


 先日もこうして無理矢理遊びに連れ出した際、そういえば聞いてなかった、とばかりに大学を尋ねられた。も同じ大学を目指していると聞いた時は、とても驚いた。
そんな振りをした。


 元々知っている。昨年の冬に、大学の資料を開いたままにしてが置いていたことがあった。見てみると教育大学の一覧で、A教大の列に付箋が貼ってあり、その時は部員の誰かが目指しているのだ、程度にしか思わなかった。しかしその後にがその資料を鞄に入れているのを見て、柄にもなくちいさなガッツポーズをしたのだ。
 鏡音君には、悪いとは思ったが、これは偶然の産物なのだ。何も口裏を合わせたわけでもなければ、やましい事は一つもない。
 だから、挑発したのだ。


はもしA教大入ったら流石に一人暮らしだよね?」


「そうですね、今でも通学辛いくらいなんで、流石に大学くらいは通学を楽にしたいかも。カイト先輩もですか?」


「俺も最初は実家からのつもりだけど、その内かな。」


 大学はの家から一時間半、俺の家からも小一時間は掛かる場所に位置していた。俺は高校の駅を何駅か通り越して大学の前の駅まで行けるだけなので、乗り換えもなく楽なのだが、はここら辺に来るまでにバスや電車と乗り換えも多いので、かなりの手間だと思った。


「一人暮らしは憧れるんですけど、多分すぐにホームシックになっちゃいます。」


 恥ずかしながら、と照れ笑いを浮かべてそう語る


「そういえば明日から春休みだよね。部活はどんな感じ?」


 今日は終業式だった。部活も無いはずだと思い、昼飯でも、と電話で呼び出してはみたが、俺とには共通の趣味があるのかも知らないし、唯一あるとすれば部活動を共にしていたという事実だけだ。必然的にそんな話題に触れてみる。するとは少し顔を顰め、困惑している様子である。


「私、部活を、辞めようかなって思っているんです。」


 ぽつりと紡いだの言葉に仰天して、俺は目を丸くした。


「え、何で急に?」


「ちょっと勉強に専念したいなって思って。塾とか行きたいなあって。」


 俺は部活動をしながら授業と家での学習で事足りていた。部活が勉学の邪魔になるとは思った事もないし、良い息抜きになっていた。だからこそ、意外だというのと、残念な気持ちだった。は記録こそ残してはいないが、本来ならば初心者では出せない、美しいフォームで跳ぶ。素質があると思っていた。


「あと、やっぱり学校が遠いのに部活をしてたら遅くなるし、親が心配してるんです。」


 もう彼は居ないから、と暗に告げているような気がした。と出身校が違うものの、家が隣同士であった鏡音君が、恋人として毎日部活を終えるを待って下校していた姿は記憶に新しい。


「それなら仕方ないよね。ちょっと残念だけど。」


 俺の言葉には眉尻を下げて、曖昧な笑顔。


「でもカイト先輩に出会わなかったら、私絶対に高跳びの楽しさ知らないままで過ごしてたと思うんです。だからありがとうございます。」


 そんなことを言われるとどうも照れ臭い。はたまに相手の心をくすぐるような、恥ずかしい言葉を平気で言う。その点は奇しくも鏡音君に似ているようで、彼女は以前、俺に鏡音君がそういう節があると話してくれたことがあった。


「勉強も良いけど、運動辞めると一気に太るよ。」


「え、やばい!」


 は頬に手を当ててちょっと大袈裟なリアクションを取った。あどけない、少女らしい仕草。


「ランニングとかしてみたら?」


 ジムに通ったりするのでは、部活をするのと拘束時間は変わらないだろうし、適度な運動ならばお金を払ってまですることはない。しかしランニングならば、元々100m走をやっていたでも興味を持てると思った。練習でも体力作りに走っていたが、はやはり専門としていただけあって、楽しそうに走っていたのを思い出す。俺も普段からランニングはやっているので、他の何かより勧めやすかった。


「あ、それ良いですね。カイト先輩も一緒にどうです?」


 悪戯な笑みにそんな言葉を載せる。冗談のつもりなのだろうが、俺はその手の遣り口に弱い。すぐに期待してしまう。まるで子供だ、年甲斐もない。


「俺は元々走ってるよ。趣味みたいなものかも。」


「え、知らなかった!先輩も走るのが好きなんですね。」


 俺が頷くと、が嬉しそうに微笑み返してくれる。
 走っていると呼吸を乱さないように集中するためか、悩みや苛立ちが景色と共に後ろへ追いやられるように、頭の中からすっと抜けて行く。だから俺は運動としてだけではなく、気分転換としてランニングを楽しんでいる。


「私も走るのは大好きです。なんか、走ってると胸の中がすーっとして、嫌な事とか全部消えて行く気がするんですよね。」


 そんなことをが言うので、俺はどきりとした。我ながら本当に子供みたいだ。ただ考えていた事が一緒だっただけで、こんなにも嬉しい。こういうことを一々、と運命なのではないかと結び付けてしまうあたり、そこらの女性よりもよほど乙女だと言えるかもしれない。


「俺も、そうなんだよね。」


 本当はもっと、と同じ事を考えていたという喜びを伝えたい。それでも、の前では、たった二歳の差であっても、大人でありたかった。俺は声を抑えながらそう平静を装って伝えた。


「カイト先輩は一日何キロくらい走ってるんですか?」


「短い時は5kmくらいだよ。時間がある時は20kmとか走るけど、ルート決めないで、その場から走れる距離で、って感じでやってるよ。」


 俺がそう答えると、はなるほどと頷きながら、何処ら辺を走ろうかな、とか呟いて下唇を軽く突き出して考え始める。がぼんやりとしている時の唇は、結構たまらない。


が良かったら、俺と一緒に走る?」


 かなり勇気を出した。きっと告白した日と同じくらい。俺は多分と何をするでも緊張してしまう。


 祭に誘った時
 手に触れた時
 花火を見ていた時
 告白した時
 キスをした時
 教室へ会いに行く時
 校内で姿を見た時


 話し掛けるだけで
 心臓が苦しい


 恋の仕方なんて未だによく分からない。


 キスをした時、なんて考えて、あの時は他の何より群を抜いて緊張したなと、今でもその時の心境を明確に思い出せて笑えそうだった。あの後、ずるい小癪な手を使った自分を、如何に男らしく見せるか必死に考えながら、足は震えそうだった。初めてでもないのに。しかし、誰かを強引にでも奪いたいと思ったのは初めてだった。それくらい、に夢中だった。


 細い体躯
 艶のある髪
 結った時に覗くうなじ
 少しだけ低めの声
 笑った時のえくぼ
 短く揃えた爪
 悩ましい唇


 恋煩いの瞳


 今目の前にある瞳は、少しだけさみしげだ。しかしそれも良い。俺の物になる希望があるから。


「え、でも何処で、ですか?」


俺の提案に遠慮がちな声色で尋ねる。


「俺、場所決めてないから、の学校の近くとかでさ。どっちにしても大学行く時に駅通過するから寄り道がてら。」


 週一とかで、と付け加えて提案したものの、すぐに後悔した。本当は毎日でも居たい。は何か困る事でもあるのか、少しだけ顔を伏せて唸る。勇気を出してみたものの、断られることだってある。それは覚悟しているが、そうなれば俺だって落ち込む。その場合を仮定して、断られたら何と答えようかと考えを巡らせる。


「・・・良いんですか?」


 伏せたまま、視線だけこちらに向けて窺うような視線。それは上目遣い。どぎまぎする。


「勿論、が良ければだけど。」


 俺はの言葉に安堵のあまり、頬が緩みそうになる。それを必死で堪えて、大層なことではない振りを続ける。


「嬉しいです。でも私、今はやってないにしても、脚力には結構自信あるんで、あんまり遅いと置いていっちゃいますけどね。」


 へらっと笑うの幼い笑顔。あの日俺の胸で泣きじゃくった姿が夢だったのかと思えるほど、は声色も表情も明るかった。
 本当は、俺にそう見えるように繕っているのだということも分かっていて、それでもその健気な姿に心が惹かれてしまう。


「流石に俺も女の子には負けられないからなあ。」


 そう答えると、は負けられない、と渋そうな顔をふざけて見せる。愛しい。






 カフェから出て、二人であてもなくぶらぶらと散歩をする。この後どうする、と尋ねる俺に、が歩きたいと言い出したからだ。


「カイト先輩。」


 ふと呼ばれて、俺は隣を歩く自分よりも随分小柄なを見た。


「ん、どうかした?」


 彼女に名前を呼ばれるのが好きだ。あ、い、お、という母音の言葉を紡ぐときの唇とは、こんなにも色っぽいのだと、に呼ばれるようになって知った。


「先輩、迷惑じゃないんですか?」


「え?」


 意味が分からなくて聞き返すと、は少しの間もじもじとして、口を開こうとしては閉じ、また開いては閉じ、を繰り返した。


「こうして、会ったりしてくれるじゃないですか。きっと、カイト先輩が気を使ってくれてるんだろうなって思って、申し訳ないんです。」


 そんな風に考えていたなどとは露知らず、俺は目を丸くさせて首を横に振った。そんなことはない、とに伝えるために少し大袈裟に。


「そんなんじゃないよ。俺が好きでを誘ってるんだからさ。むしろ、に嫌々付き合わせてるんじゃないかって心配なくらいだよ。」


 今日誘った時も、電話で少しだけ戸惑った風な声を漏らした。それには触れなかったが、そういう些細なことが、今の俺には不安要素になる。


「そんなことないですよ。ただ、本当に悪いなって思ってるんです。それと、なんていうか・・・。」


 そこまで言って口をつむぐ。何か言い淀んでいる様子。俺は気になりつつも、が口を開くのを静かに待っていた。


「カイト先輩って、私のことが、その・・・好き、なんですよね?」


 ぐんっと体温が上がった。恥ずかしい。相手にそう言われるのは、言葉に言い表せられない気分だ。温度差を感じる。俺は少し返答に困ったが、ここで時間を掛けると、俺の伝えた気持ちがまるで無かったことになってしまう気がして、そうだよ、と返す。


「ランニング一緒にしてもらうこととか、こうやってご飯一緒に食べたりとか、私って思わせ振りなこと、してませんか?」


 不安そうに睫毛が震えるのが見える。思わせ振り、と本人が口にするということは、俺にまだそのような感情を抱いていないという証拠だろう。それ自体には落胆してしまうのだが、そんなことは初めから分かっていた。


「そういうことはが気にすることじゃないよ。俺はが嫌でなければ、これからも一緒に遊びたいし話したいと思ってるから。」


 もっと上手い大人の回答が出来ないものか、と自分の語彙力の無さを悔やんだ。しかしは唇をきゅっと結んで俯き、困惑した様子。なんでそんなに泣きそうな横顔なのか、俺はどうしたら笑ってくれるのか、分からなくてもどかしい。暫くは何か言葉を探していたようだが、ようやっと口を開く。


「私、まだレンが好きです。そんなにすぐには忘れられません。でも、こんなこと自分勝手だって分かってるんですけど・・・。」


 俯いたままでそこまで紡ぐと、は間を置いて顔を上げる。黒目勝ちな瞳が少しだけ潤んでいる。そんなの瞳と視線が絡まって、直視したくないのに目を逸らせない。


「カイト先輩に会うと、嫌でもレンのことを思い出すのに、それでも凄くほっとするんです。カイト先輩に酷いことをしてるって、分かってるんです。私、甘えてるんです。カイト先輩の好意にあぐら掻いて、最低ですよ・・・。」


 往来の人々がいる中で震える声を出すに、俺はとうとう堪えかねた。女の子の涙だけは駄目だ、胸が痛くなって見ていられないのだ。殊に、があの日泣いていた姿を思い出せば余計に苦しい。俺はの手首を掴んで通路の端に寄ると、なるべく自然な形でを壁際に立たせて周りから見えないようにの前で壁になるように立った。


「そんなこと、俺は全く気にしてないから、泣かないで。」


 俺がそうなだめると、泣いてないです、といじけたような声。


「カイト先輩が優しくしてくれると、嬉しいんです。でも嫌です、私はずっと甘えちゃうし、その度に酷い女になっていくんだって思うと、いつかきっとカイト先輩も私を嫌いになっちゃいます。」


「ならないよ。」


 俺はすぐさま力強く答えた。するとが縋るような目でこちらを見上げる。


「ならない、絶対。そんなことで嫌になるくらいなら、俺は今日も会ってないよ。と祭に行ってキスした時、突き飛ばされなかった時から、は思わせぶりだよ。」


 一瞬、が悲しそうな顔をする。


「でも、ずっと俺にそうしててほしい。俺は幸せだから。本当はこのままで良いわけじゃない、でも、今はそれだけで凄く幸せなんだよ、俺。」


 の手を取ってみると、冷たい外気で冷え切っていた。鼻の頭が赤くなって、きっと涙を我慢しているだろうの顔を覗き込むと、ふいと視線を逸らされる。


「わた、私、そんな酷いことを繰り返したくないです・・・。」


「そんなあ。」


 少しでも元気を出して、笑ってほしくて、俺はちょっとおどけた声を出す。だが、はそんな俺の態度は意に介さず、今度は鋭い視線を絡めてきた。瞬間、こんな目もするのかと、また恋に落ちた。


「だから私、すぐには無理ですけど、今回のことから立ち直ったら、カイト先輩とちゃんと向き合います。」


 まるで決闘でも申し込むような力強い目付きで言われたものだから、一瞬理解できずにぽかんとしてしまう。


「向き合って、カイト先輩の気持ちに、はっきりと答えられるようになります。」


 だから、と続ける。


「もし、私がカイト先輩のことを好きになったとしたら、告白しても、良いですか?」


 ぼんっと漫画なら俺の頭から湯気と同時にそんな擬音が飛び出しているだろう。告白しても良いか許可を取られるなんて初めてだ。そして、まだの気持ちがこちらにないというのにも関わらず、俺にとってはどんな言葉よりも愛しい。


「その発言が、既に思わせぶりなんだけどね。」


 俺は照れ隠しに茶化してしまう。するとは気付いたように目を丸くする。


「わ、ごめんなさい。私、馬鹿だあ・・・。」


 慌てふためくを見て、俺は笑う。


「でも、待ってるね。」


 俺が答えると、どんな表情をすればよいのか分からない、といったように困惑して、結局悪戯な笑顔を浮かべた。


「宵待草、良い詩ですね。」


 そういえば、というように唐突に切り出したに俺は笑った。


「ああ、まあ普通はそう思うだろうと思ったけどね。本当は違うけど。」


 きっとは俺が上げた画集の意味を、宵待草のもどかしい恋心として受け取ったのだろうが、本当は違う、きっと誰にも分からない言葉が隠されている。俺の言葉にどういうことですか、と尋ねてくるが、教えるつもりはない。


「内緒。」


 気になる様子のを連れて、また歩き出す。






 可愛い子だと初めは思い
 好きな娘と或る時思い
 今はなかなか憎らしい


 はまさしく、そんな存在




















―あとがき―
初めてのカイト視点です。こうしなきゃカイトの魅力が書けなかったです。
ヒロインはレンに夢中なのにカイトを拒絶できない理由とか、曖昧なままだったので。
かといってこれで表現できたとも思いませんが。
カイトは少しだけ背伸びしてるけど、本当は誰よりも少年のような
そんな人だったら、いいかもしれないと思ってます。

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