ドリーム小説  大したことではないと思った。
 君の苦しむ姿は、時には艶めかしくもあり、そそられていたけれど。
 かくいうこちらが悩む番のようだ。










「ここに今出した値を入れてみて。そうしたら、この答えが求められるでしょう?」


 追試はすんでの所で補習を免れるという、なんとも情け無い結果であった。との言はちゃんのもので、当の僕は補習さえ免れてしまえばこちらの物、とばかりに浮かれていたのだが、それをおじいちゃんと彼女の双方からの叱責を受けて、しゅんと居住まいを直した。これでは折角の進学校へ行けたというのに、とばかりにおじいちゃんがちゃんに頼み込んで、今日から中間テストまでの間、彼女が勉強を教えてくれることになった。
 僕はシャープペンをかりかりと走らせ、真面目に勉強しているかを厳しい目付きで見張っているちゃんの期待に沿えるように、必死に頭を使った。最初の内、僕は勉強なんて良いと言ってくれたちゃんの言葉を盾に、隙あらば彼女にちょっかいを出していたのだが、レンのおじいちゃんに頼まれたのだから責任を果たす、とのなんとも頼もしい態度で、泣く泣くこちらも勉学に勤しむ次第となった。
 ちゃんに言われた通りに計算していき、答えと思しき数字をノートに記した。今日はこの問題で勉強は終了だ。机を挟んだ向こう側から身を乗り出すようにしてノートを覗き込んでいたちゃんを、僕は恐る恐るという具合に見上げた。


「正解!レン、出来るじゃん!」


「やっと出来たあ。」


 ぱっと顔色を明るくさせて、ちゃんが破顔する。なんとか期待に応えることが出来たため、僕も肩の力を抜いて安堵した。


「レンはやれば出来るんだよ。字も綺麗だし、ノートも見やすいんだから、もっとやればいいんだよ。」


「え、僕は結構懲り懲りなんだけど・・・。」


 頷いてしまえば、おまけにもう一問、とでも言い出しそうなほど、ちゃんは楽しそうに勉強を教えてくれる。尚且つ分かりやすくて、勉強をほっぽり出した僕でさえよく理解が出来る。そして理解出来るとなかなか面白いと思えるものだ。それが長続きするかというと、それはきっと性格によるだろう。僕には楽しかろうが、楽しくなかろうが、勉強は不向きである。


「勉強教えるの楽しいなあ。レンが分かってくれると凄い嬉しいの。」


 にこにこと笑って語るちゃんを見ていると、こういうこともたまには悪くない、と思えるのだから不思議である。彼女の笑顔を見るためなら、なんだか頑張れそうだ。そう思えるのは毎度毎度、勉強を教えてもらった直後のみで、また明日になれば勉強したくない、と溜息を吐くのは、今日まで幾度となく繰り返したことなのでよく分かっている。


ちゃん、先生になっちゃえばいいじゃん。」


「えっ、本当に言ってる?」


「勿論。ちゃんの説明、凄く分かりやすいもん。人に教えるのが向いてるんだよ。」


 そう言うと、どこか居心地が悪いのかモゾモゾとして、何か言い淀んだような様子を見せる。すると部屋の扉がノックされて、こちらの返事も聞かずにおじいちゃんがドアを開けてこちらを覗いた。ちゃんも居住まいを直す。


「勉強は進んだかな?」


「うん、今日の分がちょうど終わった所。」


 時刻は既に夜の十時を回ろうとしていた。小一時間しか時間を取ることが出来ないが、ノートは着実に進んでいる。


「すみません、遅くまでお邪魔してしまって。」


 ぺこりと頭を下げるちゃんを見て、おじいちゃんは満足気に微笑んで、半端に開けていた扉をようやく大きく押し開けた。片手に紙袋を持っている。


「これ、良かったらご家族みんなで食べてあげて。夕べにレンが作ってくれたオレンジのタルトなんだよ。」


 そう言ってきょとんとした表情のちゃんにずいっと紙袋を差し出した。暫く目を瞬かせてから受け取ると、ちゃんは喜色満面で感嘆の声を漏らす。


「いいんですか?わぁ、嬉しい。オレンジ大好き!」


 おじいちゃんに頭を下げて、僕に向かってへらっと笑顔を見せてくれる。作った甲斐があったというものだ。


「いつもママさんにご飯もらってるから、こんなもので良ければ。」


 照れ隠しのように早口で僕がそう告げると、彼女は大きく首を横に振って、凄く嬉しい、とにんまり笑顔。おじいちゃんを見やると、こちらも朗らかな笑顔でもってして頷いている。
 ふと、こんな光景が見られることが、とても暖かで贅沢であるような気がして、知らず知らずに鼻の奥深くがつんとするような、熱いものが込み上げてきた。
 勉強も頑張ろう。テストも頑張ろう。ちゃんのために、何ひとつ惜しまないでいこう。今度ばかりはそう固く決心した。










 おじいちゃんがタルトを部屋に運んでくれて、先に寝るよ、と声掛けてから部屋を後にした。ちゃんは目の前に置かれたオレンジタルトを、文字通りきらきらとした瞳で見つめている。そして僕の方へ顔を上げて、何かを待つように熱視線を送ってきた。ようやく彼女の求めることの何たるかが理解出来て、僕は小さく吹き出した。


「食べていいよ。」


「やった!いただきます。」


 お預けを食らった犬みたいだ、とぼくが笑うと、ちゃんは照れ笑いを浮かべて、タルトにフォークを差し込み口へ放った。


「美味しい!レン、これ凄く美味しいよ。」


 力強い口調で熱弁されると、それがお世辞ではなくて本心なのだと分かる。ちゃんは良くも悪くも正直だ。あまりお世辞は得意ではないようだし、何でもすぐに、その可愛らしい顔に出てしまう。目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものだ。彼女の場合は口振りにもあからさまに出てしまうが、正にそれである。


「そんなに喜ばれるとちょっと恥ずかしいよ。」


 僕が照れることなど御構い無しに、一口味わっては美味しい、また一口食べては美味しい、を繰り返し、食べ終わるまでそんなことが続きそうだった。僕はちゃんのあどけない満面の笑みを頬杖を付きながら見つめていた。
 するとそれに気付いた様子のちゃんが少し居住まいを直す。


「ねえ、レン。」


「どうしたの?」


「さっき、先生になったら良いって言ってくれたでしょう?」


 言ったよ、と僕が頷くと、ちゃんはまた先程の様に何か言い淀む。


「私、先生になりたいの。」


 ようやっとの思いで紡ぎ出された様に思えたその言葉は、しかしはっきりと力強かった。僕は一瞬驚いたものの、すぐに笑った。


「いいじゃん、先生。僕、本当にちゃんなら向いてると思うよ。」


 彼女の欲しいであろう言葉、そして僕の本心である言葉を伝えると、ちゃんは肩の荷が降りたように、あからさまにほっと安堵した様子を見せる。そして何故だか泣きそうなほどに顔をくしゃっとさせて笑うと、良かった、と零す。


「レンに勉強教えてると凄く楽しいなって思ったの。でもそれは相手がレンだからって言うのもあるし、そんな理由で教師を目指すなんて、なんだか不純な気もしてて・・・。」


 ちゃんらしい言い分である。僕はうんうん、と彼女の話を聞きながらそんな風なことを思った。


「でも、もし先生になって、レンみたいに勉強が分かってくれたら嬉しいし、勉強が楽しいって思ってもらえると幸せ。だから、私なりたいの、先生に。」


 切々とした語りに僕はちゃんを誇らしく思った。ちゃんは意志が強く、初志貫徹の気が強い。身近な存在である僕には表明したからには、きっと相当な決意の固さだろう。


ちゃんの成績なら良い教育大学行けそうだしね。」


「まだまだだよ、もっと頑張らないと。二年生の三学期には余裕で大学受かるくらいの頭にならないと。有名所だとK大かN大。でもN大は教育課のカリキュラムが少し弱い気がするの。本当はA教大が一番カリキュラムもしっかりしてるからいいんだけど、それなら尚更頑張らないと。」


 具体的な大学名まで出てきて、僕は目を皿のようにまん丸くさせた。
 まだ高校生活の一年さえ過ぎていないというのに、そこまで考えて調べていたちゃんに対して、その日の授業を終えるだけで精一杯の僕はなんと情けないことか。しっかりした彼女に対して、自分の怠慢たるや、流石にこのままでは良くない。


「凄いね、ちゃん。もうそこまで考えてるなんて。」


「そこまでっていうか、気になると居ても立ってもいられないだけだよ。本当はもっと早くレンに相談してみようかなって思ってたんだけど、なかなか切り出せなくて。」


 ごめんね、と眉尻を下げて、何に対してか分からないような謝罪をするちゃんに、僕は首を横に振った。


ちゃんみたいな先生が居てくれたら勉強も楽しいよ、きっと。僕も勉強頑張るよ、ちゃんが先生になるための練習として、僕に沢山勉強教えてよ。」


 僕は目の前に置いた筆記用具を今一度握りしめ、やる気だぞと示す。もう一問でも、十問でも掛かってこい。そんな気分である。ちゃんは嬉しそうに笑った。


「ありがとう。でも今日はもうお終い。」


 そう言ってちゃんはケーキを食べ終え、フォークをかちんと皿に置いて、テーブルを挟んだ向かい側から立ち上がると僕の方へ歩み寄り、僕の座っている椅子の脇にぺたんと座り込む。そして僕の脚に頭を預けると目を閉じた。


「もう遅いからそろそろ帰らないと。その前にレンを補給するの。」


 そう言ったかと思うと、お世辞にも頼り甲斐のある、とは言えない僕の太腿に顔を埋めて大きく息を吸い込む。こそばゆい感覚と、なんとも言えない羞恥心、そして心地よい彼女の体温。それらが合わさって、今直ぐ彼女を強引にでも抱きたい衝動に駆られたが、確かにちゃんの言う通り、明日も学校があることを踏まえれば少し遅い時間となってしまっている。ここでちゃんを掻き抱いたとして、拒絶されることはないだろうが、今はそういうことを望んでいるわけではないことも、そして彼女が僕を誑かそうとして、こうしているわけではないことも分かっていた。ぐっと堪えて、ちゃんの細くて柔らかい髪の毛を手櫛で撫でるに留める。


「レンの手、気持ち良いなあ。」


 独り言のようにそういって、頭を撫でていた僕の手をそっと手に取ると、顔を横に向けて彼女は自らの頬に添えさせた。


「僕もちゃんの手、好きだよ。綺麗。」


 絡まった指先は僕より充分華奢で小さいが、僕にはないふんわりとした柔らかさを兼ね備えていた。それは可愛らしいと言うよりも、女性らしい美しさと繊細さである。
 するとちゃんはふふ、と楽しそうに笑って、今度は僕の指先を口元に持っていくと指先に触れるようなキスを施す。
 流石にこれは確信犯ではないのか、と思ったが、やはり秒針の音が気になって、これ以上は望めない。そうなると少々、この愛らしい彼女が恨めしいとさえ思えるのだった。










 ちゃんの猛特訓のおかげで中間、期末テストは結果はまずまず。僕は追試も補習も免れて、あとは短い冬休みを待つばかりだと一頻り喜び、ちゃんを部活へと見送った。
 冬の寒さがこれでもかと言うほどに体を痛めつけるので、僕はブレザーの襟を両手で合わせてもってして、小走りで温かい飲み物が並ぶ自動販売機へと向かった。校内に暖房器具がないことが恨めしい。


「鏡音君、久しぶりだね。」


 温かいミルクティを選ぶと大袈裟なガコンっという音が鳴って、屈み込んでそれを取ろうとした所で、更に恨めしい声が聞こえた。


「お久しぶりです。」


 振り返りがてらにそう返事をして、わざとらしく頭を下げた。彼が此処にいることはよく理解出来る。今日は飲み物を買うから、との理由でグラウンドまでちゃんを見送った。そこから一番近くの自動販売機が扱う種類も多く、尚且つ全学年の生徒が利用しやすい位置にある。
 カイト先輩は僕に目釈してから横に並んで小銭を入れるとホットコーヒーを手に取った。


「テスト大丈夫どうだった?」


「お陰様で。」


 良く出来ました、と僕が言うと、彼はそれは良かった、とばかりに微笑んだ。何が楽しくてかような話をしなければならないのか。僕はむっつりとしてしまいそうな表情筋に叱咤して、無理に笑顔を取り繕った。


「久しぶりだしさ、ちょっと話でもしようよ。を待つんでしょう?」


 二階にある教室を指し示しながらそう言うカイト先輩の言葉が、何を意図しているのか理解出来ない。否、理解はしているが、何を改まって話す必要があるのかが解せなかった。しかし彼は僕が、ちゃんの部活が終わるまでの間、いかに暇であるかをよく知っていた。暇でなければボーッと彼女の高跳びを見に行くなんてことはないに決まっている。だから断る理由が見つからない。勿論、正直に話すことなぞ無い、と言えることが出来れば別だが、僕は生憎とかようなことが言えるほど幼くもない。


「それとも、の所に行く予定だった?」


 僕が言い淀んでいると、痺れを切らしたのか、追い打ちをかけるように尋ねてくる。


「大丈夫ですよ。また後にしますんで。カイト先輩も良かったら、後で一緒に行きましょう。」


 余裕を見せるために、思ってもいないことを言ってしまう自分を呪いたい。


「本当?じゃあ後で行こうか。」


 そう言って缶コーヒーの蓋を開けると、先程指し示した彼の教室を目指した。歩きながら飲むなんて品がない、なんて揚げ足を取りたい気持ちを抑えて彼の後ろを渋々ついて行く。










「鏡音君、相変わらず格好いいよね。」


 教室に着いた途端、そんなことを言われて、僕は仰け反ってしまいそうになるほど驚いた。
 いきなりどういうつもりなのか。何かの策なのか。


「は、はあ・・・。」


「俺も鏡音君くらい顔が整っていれば良かったな。」


「別にそんなことはないですけど。」


 あなたも充分じゃないんでしょうか、と言おうとした所で口をつむんだ。想像よりもツンケンした口調になってしまいそうなほど、口の中が乾いていたからだ。僕は少しずつ熱が逃げてしまっているミルクティを開けて口をつけた。


「鏡音君は何で高校をここに選んだの?」


 面接でもするつもりなのか、そんなことを尋ねてくるカイト先輩に僕はいい加減、訝しむように睨めつけてしまった。


「え、なんか怒ってる?」


「いえ、何でそんなこと聞くのかなあって、不思議に思っただけです。」


「単純に鏡音君に興味があるからだけど。」


 うんざり、と溜息を吐きたくなった。興味を持たれるほど親しくもないし、良好な関係とは言えないはずだ。僕ははっきりと本人に言った事はないにしても、なるべく距離を取った会話をしてきているつもりだ。


 最初はただの嫉妬だった。ちゃんが彼の事を楽しそうに話す姿を見ているのがつまらなかったのだ。しかしどうも鼻持ちならない男だ、と思うようになったのは、彼が部活を引退してからだ。受験とかくで忙しいから辞めたと思っていたのにも関わらず、週に一度や二度は顔を出して参加しているようである。僕が時間を持て余してグラウンドに赴いている時にも彼はやって来て、ちゃんだけに留まらず、他の部員も駆け寄るという光景は数えきれない。
 彼が夏休みも残す所僅かとなった時、急にグラウンドを去ったと聞いた時、僕は我ながら醜いとは承知だが喜んだのだ。カイト先輩はちゃんにだけやたらと構っているような気がして不安材料であった。それは僕の贔屓目があるやもしれないが、悩みの種となってしまっては仕方があるまい。そしてその悩みの種が漸く無くなると思っていたのに、彼はまた僕の気持ちをぐちゃりと掻き乱す。


「特に理由なんてないですよ。受けてみたら受かった、それだけです。」


 気を取り直して笑顔を作ると、彼はただ、ふうん、とさして興味も無いような相槌を打った。


「そうなんだ、案外普通だね。」


 がっかり、と言うような苦笑を浮かべられた。青筋が浮かび上がろうとして、こめかみがひくついたのが分かった。身体中に張り巡らされた血管が沸騰しそうだった。僕は短気ではないと自負していたが、何故だか彼には自制心が効かない。苛々して堪えられないのだ。


「僕は普通ですよ、カイト先輩と違って。何か期待していたなら悪いんですけどね。」


 皮肉に皮肉で返すと、余裕のある笑顔を浮かべられて、なおのこと虫唾が走る。


「ううん、そういうことではないんだけどね。鏡音君って、人当たりが良いのに、人を遠ざけるというかさ。だからてっきり、自分を知ってる人が居ないような所へ逃げて来たとか、そういう面白い理由だったりするのかと思ったんだよ。」


「期待に沿えなくてすみません。」


 言葉を失いかけた。それでも一瞬で適当な返事を返す。彼が言った事は悔しい事に図星であった。
 ちゃんにも話したことはない。僕は以前付き合っていた彼女と進路を別つために、通学が大変だと知っていながら無理をしてこの高校へと入学したのだ。彼女とは会いたくなかったのだ。それが僕にとってのけじめだったのだ。
 しかしそれはおくびにも出さずに答えられたはずだ。彼は苦笑を浮かべて、困ったように首の後ろに手を当てた。漫画のような癖だな、と思った。


「まあ、そんなことはどっちでも良いかあ。変な事聞いてごめんね。」


 どちらでも良い、と言われると、それはさも僕の言葉には納得できずに、未だ真相を疑っているような響きである。仲良くもない他人に、こうも個人的なことを尋ねられる失礼千万な性格を哀れんだ。僕は構わない、という建前の返事を含めて頷く。
 暫く向こうはコーヒーに口を付けたまま、飲み終わってもそうしていた。僕もつられる様に飲み干し、早くこの場を辞したいと切に願う。話す事もしたくないが、こうも沈黙を守られるのも甚だ居心地が悪く、僕は貧乏揺すりを抑える事に必死だ。
 沈黙を破ったのは彼の方だった。視線を僕に寄越して、薄い唇の端を微かに上向きに上げて、ふっと声を漏らしたのだ。


「凄い目付きで俺を睨むね。」


 自分で気付かなかったことを指摘され、僕は思わず目を見開いた。


「睨んだつもりはないです、すみません。」


「鏡音君は、俺がのことを好きだから、嫌いなの?」


 無遠慮な彼の言葉に、僕は何も口にしていないのに噎せそうになる。思わず動揺した僕をカラカラと笑うカイト先輩を、今度こそ僕は睨め付けた。


ちゃんのことを好きなんですか?」


「鏡音君のご期待通りに、ね。」


 誰が期待したんだ、と反論したくなるような皮肉をにんまりしながら言ってのけるカイト先輩に腹が立ってしようがない。


ちゃんに言ったんですか?」


 好きだと、と続けると、彼はんー、と大して何も考えていないだろうにそんな振りをする。


「鏡音君がそう思うならそうかもしれないね。」


 こういう言い回しをする奴が一番嫌いだ。どちらであったとしても逃れられるような分かりやすい保険を掛ける奴というのは、大概にしてろくでもない。あくまで僕の持論である。


「そういう物事をはっきりと正直に言えないような人を、ちゃんは好きじゃないと思いますよ。」


「鏡音君が、でしょう?鏡音君が相手だから濁して上げてるのになあ。」


 しれっと悪びれもなく言うものだから彼は凄い。人の神経を逆撫でするのがとても長けている。勿論褒め言葉ではない。


には伝えたよ。それでしっかりと断られてる。鏡音君のことが好きだからってね。」


 いつのことだ、何故僕にそれを言わなかったのだろう。そのようなことを頭に過ぎらせたが、ちゃんは僕に心配をかけまいとして言わなかったのだろう。それは分かる。だがどうにと煮え切らない。かような事実を彼の口から聞かされたことが悔しかった。他でもない、ちゃんから聞きたかった。


から何も聞いてないの?」


「そういう挑発には乗りませんよ、僕は。」


 乗っかってしまいそうだが、グッと堪えてそう返すと、彼はつまらないと言うように眉尻を下げた。


「鏡音君みたいに格好いい男が余裕綽々だと、なんか腹立つね。」


 腹立つね、という彼の言葉が違和感として僕に降って湧いた。彼は僕の神経を上手に逆撫ではするものの、そういったあからさまな害意を表立って向けてくることは無かった。僕が視線を彼に向けると、表情が微かに意地悪く歪んで見えた。


「なんでこんなこと言ってくるのか分からないでしょう?俺、今日は凄く気分が良いんだよね。」


 何故ですかと尋ねる気にもならずに、そうですか、と答えると、僕の意思など無視して彼は口を開く。


「今日、推薦の合格発表があって、大学決まったんだ。」


 この時期に合格が分かるということは、センター試験を受けずに出来る、言わば勝ち組の大学受験生だ。彼がそれほどまでの頭脳を持ち合わせていたことに、少々劣等感を抱くことは否めない。


「おめでとうございます。」


「A教大。」


 僕のとって付けたような祝いの言葉を遮るようにして彼が言った。瞬間、僕は目をかっ開いて彼を見た。


「A教大に行くんだよ、俺。」


 ご満悦の表情で彼はもう一度言った。僕はと言うと言葉が見付からなかった。
 A教大はちゃんの第一希望の大学のはずだ。


「鏡音君は進路決めてる?」


 そんな問い掛けも頭に入ってこない程に僕は混乱していた。


 彼はちゃんがA教大志望だと知っているのか?
 ちゃんは彼がA教大へ行くことを知っていたのか?
 知っていて決めたのだとしたら僕の事は少しでも頭を過ぎらなかったのか?
 僕のこのどうしようもなくもやがかった気持ちを、考えもしなかったのか?


「もうすぐ冬休みで、冬休み明けたら、一ヶ月くらい登校したら自由登校でしょう?そしたら卒業して終わり。あともう少しだけの間だから、俺がと話したりするのを大目に見てよ。」


 何も答えないで、思考に意識を絡め取られている僕に飽きたのか、話を収束させようと掛かってきた彼に、僕は視線を戻して恐る恐る口を開いた。不安が胸の内で渦巻いて、どうにもならなかったのだ。


ちゃんを取らないで下さい。僕にはちゃんしかいらないんです。」


「殊勝だね。」


 平身低頭に必死で紡いだ言葉を失笑をもって返された。


「取るなんて人聞き悪いこと、俺だってしないよ。誰を選ぶのか、何処へ向かうのか、全部が決めることだからさ。」


 その言葉は正しい。ごもっともである。しかし悪意を感じた。ちゃんに自分を選ばせる自信があるような、いわば宣戦布告というような強さを感じる。


の所行くんでしょう?そろそろ行こうか。」


 消化不良な気持ちを携え、いつの間にか主導権を握られたような形で彼に従った。否、最初から僕に主導権があったわけではない。
 二人とも立ち上がり教室を出た。










は大学何処に行くんだろうね。」


 彼が背を向けたまま、誰ともなしに呟いた言葉に戦慄が走った。




















ーあとがきー
この途中までが更新再開前の書き溜めです。
vs夢と謳いながら、ほぼカイトは当て馬空気。
最初は優しいカイトにしたかったのですが、展開上腹黒になっていただきます。

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