ドリーム小説 ちゃん、大好きだよ。」


慈しむような優しい声色。羽根の生えたようにさえ思える、瞳を縁取る睫毛、それが微かに揺れた。
私は息遣いを荒くしたまま横に転がって目を伏せているレンの頭をそっと胸に抱いた。はだけた胸元にレンの柔らかい金糸がくすぐったい。隙間を作るまいとするかの如く、レンも私に応えてぴっとりと体を寄せた。興奮冷めやらぬ、熱の篭った肢体を絡ませあっていると、そのまま溶けてひとつになってしまいそうな、なってしまいたいような、そんな心持ちだ。


「私も、大好きだよ。」


とびきりの甘い声。
裏切ってしまってごめんね。










長い筈の夏休みは瞬く間に終わり、うざったい暑さを残しつつも二学期は無情にやってきた。


「ママさん、これ先日頂いた煮物の容器、ありがとうございました。」


「あらあら、ありがとうね。きっちり洗ってくれてるし・・・良かったのに。」


とんでもない、とレンは母ににっこり笑い、母もつられるように微笑んでプラスチックの容器を受け取った。週に一度から二度、母はレンの家にお裾分けとしてちょっとしたおかずを作るのが恒例となりつつあった。
レンが学校の迎えに家へやってくる時、ついでにその容器を綺麗に洗って持ってきてくれているのだが、そのいつもの光景は私にとってじんわりと心が温まるものであった。レンが本当に家族の一員になったような、親しい家族関係に喜ばない恋人はいないはずだ。


「おじいちゃんが今度腕を振るってお返しするって言ってました。」


「そんな気を遣わないでいいのに。レン君にはいつもがお世話になってるからね。」


「話も良いけど、そろそろ出た方が良いんじゃないのか?」


和気藹々と話し込むレンと母に対して父がテレビから顔を上げてそう言った。最初の頃はそれこそちゃんと仕事着に着替えてからリビングへ顔を出して居た父だが、もう毎度のことに面倒臭くなったのか、はたまたレンに気を許しているのか、最近では専ら起きぬけのだらしない部屋着とボサボサの髪の毛、という出で立ちである。これはつまり、本来の我が家での光景だ。


「本当だ。レン、そろそろ行こう。」


私がそう言うと、レンは自分のものと私のもの、両方のバッグを持ち上げた。


「じゃあいってきます。」


二人揃ってそう言って学校へと向かった。
秋とはまだ呼べないような陽射しにうんざりしながら、レンと手を繋いだまま学校へ到着すると、既に二人の交際を認めている多くの生徒が相変わらず仲良いね、と冷やかす。するとレンは何を思ったのか、より私の体に密着した。


「僕がちゃんから離れないからね。」


レンはふふ、と笑って私の瞳を覗き込む。周りがご馳走様だ、とお手上げなのに対して、私は照れ笑いした。以前は冷やかされることが得意ではなかった。そこにはレンと付き合っている自分が不釣り合いだというような意味の思念が混ざっているような気がしていたのだ。しかし、何ヶ月か経つと、次第に周りが本当に二人を良い意味で羨んでいるのだということが分かってきた。それにはレンがこうして恥ずかしげもなく、公に私のどこが好きか、どれだけ好きか、そんなことを語ることもあって、妬まれることがなくなったというのが大きな要因であったと言える。男子生徒だけでなく、女子の友達にもしまいには「レン君がここまでべったりなのも大変そうだね。」と笑ってさえいたほどだ。
かくして私は平穏な学校生活を送ることが出来ていた。


一学期を終えるまでは、だ。











「レン、大丈夫?」


終業のHRで不意打ちとばかりに、学期始めに行われた実力テストの答案返却が行われた。私達の通う学校はそこそこ学力に自信のある者達が集う進学校だ。毎学期、中間テスト、期末テストと別で一番目に実力テストが行われている。これも成績に響くため、長期休暇で怠けていると、今目の前で机に突っ伏せているレンのようなことになってしまうのだ。


「駄目・・・もう駄目・・・。僕、進級出来る気がしない・・・。」


何もかも投げ出すように手足を伸ばし、答案用紙も机の端から落ちそうに広げてあった。そこには私の点数の半分以下の数字が並んでいた。


「レン、流石にこれはまずいよ・・・。」


ちゃん何点だったの?」


じと目で私を見上げてレンはぼそりと尋ねる。私は勉強だけは自信がある。一学期の成績はクラス内で一位だったし、学年でも七位だったというのが何よりもそれを確固とした。だが、流石にこのレンの点数を見てしまうと、レンに更なる追い打ちを掛けてしまいそうで口ごもる。


「私の点数はいいじゃん。レン、次の中間で取り返せば大丈夫だから、ね?」


机の横にしゃがみ込んで、レンの頭を撫でるとレンが突っ伏した姿勢のまま顔だけこちらに向けた。


ちゃんだけずるい、僕のだけ見て・・・見せてよ。」


普段は私よりも大人びた、若干年不相応な妖艶さを醸し出すレンが、いじけたように唇を突き出して駄々をこねる。その姿があまりに可愛くて、思わず口をきゅっと結んだ。そうでもしなければ私はヘラヘラと緊張感のまるでない緩い面構えになってしまいそうだった。


「見ても良いけど、見たって何にもならないよ?」


ちゃんの答案で答え合わせするもん。」


だらりと床に向けて伸ばした腕が微かに動いて、しゃがんだ私の膝に乗せてあった手を撫でる。私はレンの言葉よりも、その指先に意識がいってしまい、その甘美な指先の踊りを余す事なく感じ取っていた。するりと膝小僧を撫でられるとくすぐったさで居住まいを直して、ようやく鞄から先ほど返された答案用紙を手渡す。私の膝から名残惜しいという手付きで指先は離れると、その紙切れを摘まんだ。
瞬間、レンは瞠目する。


「え、うわ、なにこれ!」


素っ頓狂な声を上げたレンが思い掛けず上体を勢いよく起こしたので、私は仰天してこてんっと尻餅を付いてしまった。


「あ、ちゃん、ごめん、大丈夫?」


私のその姿に気付いて、レンは急いで私の手を握って立たせてくれた。レンの指は気持ちが良い、さらさらしていて、華奢で骨ばっていて、異性のものにしては少し頼りないようだが、私は知っている。その指先が私を求める時、力強く芯から熱が篭ったような男のものになることを。


「そんなに驚いたの?」


「当たり前だよ!ちゃんはこの点数で嬉しくないの?」


「う、嬉しくないかと聞かれたら・・・。」


嬉しいに決まっているのだ。95点以下のテストはひとつだけで、他は軒並み満点に近い点数だったのだから。今回の試験は手応えもあったのだから、余計に喜ばしい。しかし、先程の落ち込みようを見ていると、私ひとり意気揚々と浮かれて良いものなのか迷った。
私が答えかねて口を閉ざしていると、レンはくすりと微笑んだ。


「僕に気を使ってるんでしょう?ちゃんらしくないよ。もっと素直なちゃんがいいなあ。」


「だ、だって、なんか私だけご機嫌なの、悪い気がして・・・。」


「嬉しいの?嬉しくないの?」


もぞもぞと言葉を濁す私に、レンはぴしゃりと言った。その声色には何か不思議な力が篭っていて、嘘や誤魔化しは一切通用しないような響きだ。あるいは、レンのその真っ直ぐな翡翠色がそうさせるのかもしれない。


「超嬉しいです。」


私は観念してこっそりと呟いた。するとレンは満面の笑みで、私の大好きな得意の手付きで頭を撫でてくれる。


「そうそう、ちゃんのそういうところが僕は大好きです。」


へらっと笑って撫で繰り回され、私は釣られて、同様にへらっと笑った。


「レンは追試のくせに幸せそうで、なんか腹立つな。」


背後でレンの友達のクラスメイトの男子が冗談混じりに嫌味を言った。


「追試とちゃんとは別だもんね。僕が落ち込んでてもちゃんが居てくれたらすぐ元気になっちゃうから。」


恥ずかし気もなく惚気を言ったレンを、きいっと歯噛みするような声を彼が上げた。


「そもそも、さんみたいに頭の良い彼女を持ってて、何でレンは追試なんだよ?夏休み中に勉強見てもらえただろ。」


そう言われてしまうと、なんとも私は申し訳ない気持ちになる。私達は夏休み、時間の許す限り一緒に過ごして、遊び呆けて居たのだ。勉強する時間など無かった。少なくとも勉強嫌いなレンは、一人の時間はバイトか読書する他に、勉強なんていう選択肢ははなっから持ち合わせてはいなかっただろう。レンの言い訳の部分を無しに、その旨を私が伝えると、彼は大きな溜息を吐いた。


さん、自分の彼氏が勉強出来なくて嫌じゃないの?」


これもまた冗談混じりにそう言った友人に、私が答えるより先にレンが声を上げた。


「わっ、もしかしてちゃん、嫌だった?僕、勉強頑張った方が良い?」


焦った声色と、縋り付くような幼い目付きで私に尋ねる。頑張った方がいいか、と尋ねられたらそれは学生の本分なのでその通りなのだ。成績も良い方が良いとは思う。これは好みが云々よりも、成績が悪い人が好み、なんていう人が居たとしたら、それは奇特だろう。しかし、レンにそれを強いるのはまた別のような気がする。


「勉強、した方が良いとは思うけど、私は別にレンが勉強出来なくても大丈夫だよ。レンはそんなの気にならないくらい、良い所が沢山あるんだから。レンが勉強今から頑張り過ぎて一緒に居る時間が減っちゃうのは寂しい、かも・・・。」


考えてからそう伝えたものの、最後にかけて、目の前にいるクラスメイトの姿が目に入り、私はおどおどした。レンが惚気るのとは訳が違う。レンはいつでも恥ずかしがらずに私の事になると、素敵な囁きを零すが、私はそういったことがあまり無かった。だからこそ不覚だった。
案の定とでもいうように、彼は肩を怒らせ、一生やってろ!、と悔しそうに叫んで、続いてまた明日な、と手を振って帰って行った。私達は二人揃って肩を竦めて笑う。






。」





日常の些細な、取るに足らないような当たり前にある幸せ。それを噛み締めていると、ふと名前を呼ばれた。瞬間、私よりも先にレンが顔を上げて声の主を見やった。そして顔をほんの少し顰めたが、すぐにいつもの涼しげな表情に戻った。ともすれば見逃しそうなほど、ほんの一瞬の変化だ。
私は、私の事をそう呼ぶ、と呼ぶ独特の声を知っている。それをレンの表情が確固たるものとした。心臓がバクバクと脈打ち、私はそれを目の前で機嫌を損ねてしまった様子のレンに、決して悟られないようにして振り返った。
声の主は廊下から教室を覗き込むようにして、申し訳ないという表情で笑っている。


「ごめんね、なんか呼ばれてるから待っててね。」


「何かあったのかな?カイト先輩、もう本格的に引退したんでしょう?」


レンが小首を傾げて不思議そうにする。私の勘繰り過ぎなのかもしれないが、それは微かにカイト先輩に対しての拒絶に見えた。


「分からない。なんなんだろう。」


私は立ち上がって、もう一度レンにごめんね、と告げてからカイト先輩の方へ歩んだ。










彼は夏祭りの翌日、今まで無理に任されていた顧問代わりの役目を陸上部担当の教師に託してグラウンドから去った。託すというよりも、ようやっと返したという方が本来正しいのかもしれない。その日を最後に彼とは顔を合わせる事が無かった。これは私にとって幸いと言える。毎日あれからも顔を合わせていれば、罪悪感で押し潰されていたに違いない。
私は最後に彼と会ってから約一ヶ月の間に、カイト先輩を責め抜いた。かような不躾な行動を、想いを、と。彼の事を心の底から嫌いだと感じた。
しかし今目の前にいる彼を見ると、私はどうしても瞼の裏側に、彼が駆け出して空へ向かって舞う姿を浮かべてしまって、そうするといよいよ私は参ってしまう。美しいと感じたものを、ことを、人を、嫌いになどなれるわけがない。


「久しぶりだね。元気だった?」


「はい。」


私は背中にレンの視線を感じて上手く口が動かせず、なんとかそれだけ呟くように返す。カイト先輩のさらりとした青色の前髪が、廊下の窓から吹き込む風で微かに揺れた。彼は正しく苦笑いを浮かべる。


「さっき、先生と廊下ですれ違って、これをに渡しておいてって頼まれたんだよね。自分で渡せばいいのにね。」


そう言ってカイト先輩が差し出した紙切れを私は受け取った。透けて見える文字はなんてことはない、来月の部活のスケジュール表だ。種目の多い陸上部で顧問は一人のため、いつの練習日に彼がどこを担当しているか、また居ない日の指揮を取る者が誰かを、顧問が決めてそれを記したものである。以前までこのようなものがなくとも、グラウンドでカイト先輩が待っていたのだから、これを貰うのは夏休み終わり頃にもらった九月分と、今しがた受け取った十月分のみである。


「ありがとうございます。」


私は軽く頭を下げた。他人行儀な私の会釈にカイト先輩が困ったように首の後ろを掻いた。そして視線を一度私の背後に移してから、一歩廊下に下がり私に寄るように手招いた。私はその行動の意味を解せないまま、言われるがままに歩み寄った。教室から離れるとレンの視線を感じなくなったような、そもそも視線なぞ送って居ないのかもしれないがそう感じた。


「俺と居るのが気不味い?」


年長のそれらしい腰の柔らかさを変えずに、少々困り果てたような面持ちでそう尋ねてくる。


「気不味い、というか、なんか、ちょっと・・・。」


さっきもレンにこんな調子で言い淀んだのを思い出した。しかし先と歴とし違うのは、相手を思いやったものかどうかだった。私は今、カイト先輩を思いやって言い淀んだのではなく、こうしている間にも、今にもレンが不貞腐れてやってはこまいかビクビクしているのだ。


「仲良くしてくれってが言ってくれたから、俺は今までと変わらない関係でいたいのになあ。」


「それは・・・、そうなんですけど。」


意地悪のつもりでそんなことを言われたのではないことは分かるが、私はなんとも遣る瀬無い気持ちで居た堪れない。カイト先輩だって分かっているはずなのだ、私がどういう心持ちなのか。レンが好きだとしっかりと答えたはずだ。それならば聞かなくとも私の心中は察してくれているはずなのだ。


「俺さ、あと半年で卒業でしょ?」


突然そのようなことを言い出す彼を、私はきょとんとして見上げた。


「あと半年だけで良いから、仲良くしてほしいんだよね。俺に会いにきたりなんかしなくていいから、俺が会いにきたら、そんな顔しないで普通に笑って欲しいんだ。」


あと半年、そのタイムリミットが条件に含まれると、首を横に振れなかった。思い上がった言い方だが、今のような関係で卒業してしまえば、彼も後悔の念で押し潰されるのではないかと思うと、私に出来ることはしなくてはならないやと思える。事実、カイト先輩にはお世話になったのだ。それがせめてもの餞なのではないか。
私は意を決して頷いて、まだ自然とは無理でも上手く笑えるようにと、意識して笑顔を浮かべた。しかしそれにはあまり納得いかなかったようで、そんな無理矢理なのはいらないよ、と苦笑された。


「俺さ、たまに部活遊びにいくよ。高跳びはやりたいからね。」


「分かりました。また遊びに来てください。」


グラウンドに、という意味でそう言うと、ようやっと満足したようでカイト先輩は上品に手を振って廊下を歩いて行った。
あと半年と言えど、学年も違えば教室のある棟も違う。会うとすればこうして彼がこちらへ赴くか、また彼がグラウンドへ赴くかという所である。あまり気にしても起こった事実は変えられないので、忘れたつもりでいれば、あと半年くらいは何とかレンに勘繰られずに済むだろう。
そこまで考えてから私は自己嫌悪に陥った。まるでレンを騙しているような、事実そうであっても、それをなんとか正当化したかった気持ちは否めない。私は嵐が過ぎ去ったというのに、どんよりとした心持ちで教室に戻った。


「カイト先輩何だって?」


「あ、うん。なんかこれを先生から渡してくれって頼まれたらしくて。」


「ふぅん。そんなの頼まなくても部活の時に渡してくれば良いのにね。」


私はカイト先輩から受け取った用紙を見せると、その内容を見ながらそんなことをレンが言うので、カイト先輩も同じ事を言っていたよ、とそこまで出掛けた言葉を飲み込んで笑った。


「他にはなんか話さなかったの?」


「あとは、また近い内に高跳びしに行くって言ってたかな。」


それまでの件は、当然言えなかった。レンはそっかそっか、と微笑んで鞄を持った。教室には私達しかもうおらず、そろそろ私も部活へ向かうべき時間だった。カイト先輩はきっと下校前に立ち寄ってくれたのだろう。教室に居るか、グラウンドに居るか、際どい時間帯だったのを、よく教室に居ると見抜いたなあ、と今更だが感心した。


「今日も図書室?」


「うん、でももう読む物ないんだよね。時間潰せなかったらまたちゃん見に行ってもいい?」


「勿論。見てるだけじゃなくてレンもやろうよ。」


僕は見るのが好きだから、と笑うレンに、私はふざけて唇を尖らせた。レンが陸上部に入部してくれれば毎日が一層楽しいのに。


「じゃあ、部活頑張ってね。」


「うん、また後でね。」


レンが手を振るのに私も応えて、少し駆けてグラウンドへ向かった。










夏の余韻が残る、燦々照りの太陽の下へ。




















―あとがき―
復帰一作目です。
文章構成が多少変わってしまっているかもしれませんが、その点は御容赦下さい。
自分で前回までのものを読んでいて、こんな所まで書いておいて休んだことを申し訳なく思います。

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