うんざりするような陽射し 群がる虫 冷たいアイス そんな季節の風物詩の真ん中で 私は跳んだ 「あ・・・。」 空が近い、と呟きそうになった私の口は、バーがマットに沈む衝撃によって閉ざされた。 「悔しい・・・。」 私は立ち上がって一言、自分を戒めるように呟いた。 「。」 そんな私の横にやって来た彼が私を呼んだ。カイト先輩だ。私がそちらを向くと、いかにも優しそうで噂は嘘ではないのだろうということが分かるような笑顔を浮かべた。私のクラスの女の子から聞いた話では、とんでもなく人気のある男らしい。男女に分け隔てなく優しくて、頭も良くてスポーツも出来る。おまけにそのスポーツマンらしからぬ細身な体とどちらかといえば女性的な顔立ちは確かに人を寄せ付けそうだ。 「どうしたの?なんか俺の顔変?」 ずいっと私を覗き込もうと顔を近付けてくるカイト先輩に私はびっくりして首を横に振った。 「いえ、なんか噂通りって感じだなあって。」 「噂?」 焦って余計なことを言った私に、カイト先輩は間髪入れずに尋ねてくる。私はやってしまった、と後悔しながら、どう答えようか目を泳がせる。 「なに、どうせ変な噂なんでしょう?」 いたずらな笑みを浮かべて私を一掃見つめるカイト先輩。私は美しい顔をいうのはレンで慣れていたつもりだったが、目の前の男はまた別で、暑さのせいだと言い聞かせながらもふらふらした。 「カイト先輩がモテモテの色男って噂ですよ。」 私が少しふざけて言うと、彼は笑った。 「変な噂だね。」 そんなつもりはなかったのだが、彼にとってはそうらしい。私は不思議な感覚でカイト先輩を見つめていた。 「鏡音くんの方がモテそうじゃん。」 謙遜じみた口調でそう言われたが、我が恋人ながら確かにレンは格好良いので、私は否定もせずに笑った。 「そうそう、さ、明日の部活の後って時間ある?」 カイト先輩がそう尋ねてくるので私は驚いて目を丸くした。 「ありますよ。」 何の誘いだ、と私は妙にドギマギしながら答えた。するとカイト先輩は安心した様子で目を細めて笑う。 「良かったら買い物に付いてきてほしいんだよね。」 買い物、一体何を買うというのだろうか。私がそんなことを不思議に思っていると、カイト先輩は何を勘違いしたのか気まずそうな表情を浮かべる。 「ごめん、鏡音くんが怒るとまずいよね。」 「え?」 思わず阿呆のような声が漏れた。カイト先輩が私のその声に不思議そうな顔をしたので、急いで弁解を始めた。 「違いますよ、わざわざ私なんか誘って何を買うのかなって疑問だっただけです。私は大丈夫ですよ。」 私は頭の中でレンにこのことを伝えるシミュレーションをしながら答えた。レンは「楽しかった?」と頭の中で尋ねてくるので頷くと、天使のような笑顔でよかったね、と答えるのだ。レンは所謂、他の異性のことにヤキモチを妬いたりしない。今の所カイト先輩の話をしてもニコニコしながら聞いてくれる。何の心配もなかった。 「なら良かった。もうすぐ母親の誕生日で、そのプレゼントを買いたいんだよね。」 そう言ってカイト先輩は笑う。青色が似合うのに、どこか太陽のような明るさが漂う笑顔だ。 「いいですね。でも私なんか連れてく意味ありますか?」 自分の母親の趣味なんて一番自分がわかってるに違いない。私を連れて選ばせる気ならば少しプレッシャーだ。 「実は買うものはもう決まってるんだけど、どうも女の子の店って一人じゃ恥ずかしくて入れないんだよね。」 そういうことか、と私は納得した。確かに男一人で行くよりは私がついていった方が幾分かましだろう。 「何をプレゼントするんですか?」 「ん、普通のワンピースだよ。随分欲しがってたから、それくらいしかあげるもの思い付かなくてさ。」 素敵だ、と私は心の中でカイト先輩に呟いた。 「お母さん想いですね。」 私はそう言ってようやくマットから離れた。カイト先輩が自然と隣に並んで歩く。 「の家遠いよね。帰りは送るから。」 「え、いいですよ。送ってもらうには申し訳ない距離だし、私はいつもの帰り道なんで。」 カイト先輩はここから割と近い所に住んでいるので、無意味に往復してもらうこともないだろう。するとカイト先輩は少し迷ってから笑った。 「じゃあ駅までは送らせてよ。」 カイト先輩は私を覗き込んでそう言った。これも断ってしまうのは良くない気がしたので私はお願いすることにした。 「ただいま。」 部活を終えて私が家に着いた頃、時計はまだ七時を過ぎたばかりだった。疲れた足を靴から解放してやり、フローリングに足を付けた。 「ちゃんお帰り。」 奥のリビングからひょこっと顔を出したのは紛れも無くレンその人だった。 「レン、来てたの?お母さんは?」 私はレンに歩よりながら、気配のない家族達のことを尋ねた。 「お買い物行ったよ。僕が来たらちょうど出て行くとこだったみたいで、留守番頼まれたんだ。」 レンは面白いと言うように笑う。いくら娘の恋人とはいえ、家を預けるのはどうなんだ、と私も笑ってしまったが、それくらいレンは我が家の信頼を買っているのだ。 「部活お疲れ様。お茶飲む?・・・って、僕の家じゃないけど。」 ふざけた調子でレンは冷蔵庫に向かった。 「飲むー。」 私が間延びした声で答えると、レンは慣れた手つきでお茶を私の分とレンの分と持ってきてくれた。 「レンは明日バイトだよね?」 「うん。昼からだけどね。」 レンは夏休みの間、私が部活でいない時間を埋めたいと言って短期のバイトを始めた。駅前のカフェで、二人でデートの時によく世話になっているカフェだ。モダンな雰囲気のお洒落な店で昼はカフェを。夜はバーとしても営業している。申し訳ない程度に置かれている雑貨がまた可愛くて私達好みだった。 「そっか、何時まで?」 「10時までだよ。なんかあった?」 レンは不思議そうに首を傾げる。カランと音をたててグラスの氷が溶けた。 「明日カイト先輩に買い物付き合ってほしいって言われたから、ちょっと帰り遅くなると思うの。だからレンと一緒に帰ろうかなあって思って。」 そう説明するとレンは眉間に皺を寄せて私を見つめた。 「なんで?カイト先輩となんか遊ばないでよ。」 私はレンの意外な反応に目を泳がせた。シミュレーションと違うレンがそこにいる。カイト先輩のことを今まで話しても何の変化も見せなかったはずのレンが、今まさに不機嫌さを露呈してそこに座っていた。言葉を失っていると、レンが表情をくしゃっと崩して笑った。 「冗談だよ、何テンパってるの?」 吐息を漏らすような癖のあるレンの笑みに安堵して力が抜けた。 「び・・・っくりしたぁ・・・。」 「あはは、ちゃん泣きそうな顔するから僕の方がびっくりしちゃったよ。」 だってあんなレンの恐い表情は見たことがない、と答えようとしたが、なんとなくそれは喉の奥へと飲み込んだ。 「何買いに行くの?」 レンがニコニコして尋ねてくる。 「お母さんの誕生日プレゼントだって。ワンピースを買いたいらしいけど、なんか女の子のお店には一人で入りづらいみたいでさ。」 そう答えるとレンはなるほど、と言ったように頷いた。 「レンはバイト慣れた?」 私は先程のレンの表情に未だ動悸が収まらず、いそいそと口を開いた。それに気付いているのかいないのか、レンはふわりと微笑む。 「仕事には慣れたけど、ちゃんにあんまり会えない寂しさには慣れそうにないなあ。」 お茶目にそう答えて口先をつんと尖らせた。その表情はいつものレンで、私は一瞬にして気が緩んで笑う。 「私もレンに会えないのは寂しいな。」 部活は楽しいけれど、学校があった頃は朝から一緒に行って教室でも二人で授業を受けて、数時間の部活を終えた後も一緒に帰っていた。家族と過ごすより長い時間を共に過ごしていたのだ。それが夏休みに入ってからは大体私の練習が午後からなので、朝十時半には家を出る。それまでのほんの少しの時間にレンの家に行ったり、もしくはレンがうちにやって来る。そしてレンのバイトがない日は駅までレンに送ってもらう。そして夜はまたこうしてどちらかの家で会う。レンのバイト次第で時間は多少なり変わるが、それでも他のカップルに比べれば充分過ぎるほど会っているだろう。しかし学校がある時の感覚で慣れていた私達には至極物足りないのだ。 「でも今週から土日はちゃん部活休みだし、楽しみだね。」 レンが頬杖を付いて子供を見守るような優しい瞳で私を見て、心底嬉しそうにそう話す。実は先週、この夏の大会は終わり、近いうちに大会もない。私の所属する陸上部は競技毎に部活の練習の日程を好きに組んでいるので、正味部活の担当教師なんていうものはあってないようなものなのだ。先日の大会が終わった時点で引退のはずのカイト先輩は「やることもないから。」と部活に出てきて、私達の練習の手伝いをしてくれているのだが、彼が引退後もその厚い人望のおかげで、練習の日程はカイト先輩に組んでもらっている。そのためか、カイト先輩は「せっかくの夏休みなんだから。」と他の部活ではなかなか無い、週末の休みをくれることになったのだ。それまでは土日も力を入れて活動していたのだが、実際にうちの学校の高跳びの成績がいいかというと、大したものではない。カイト先輩以外は私とどんぐりの背比べといったものだろう。無駄に練習を重ねて面倒になるよりは、のびのびやろうというのが彼のやり方のようだ。 「本当だよね。土日休みがもらえるなんて思ってなかったから凄い嬉しい。」 「どこ行くか決めといてね。」 この土日の休みが決まったその日、すぐにレンに報告して二人で沢山遊ぼうと決めたのだ。夜はレンの家に泊まることに決まっており、レンはそうと決まればと一昨日にはその許しをもらうために我が家に挨拶に来た。挨拶もなにも、毎日のように来ているので改まるのも妙な感じがしたのだが、それでもレンは少し真面目に話しており、それを見たうちの父と母はよりレンのことを気に入った様子だった。 「雑貨屋さん行きたい!」 「あ、いいね。最近二人で行ってないし。」 私の早速の提案にレンは二つ返事で頷いた。こういう時にレンと共通の趣味があって良かったと私は嬉しくなる。楽しみだね、とお互いに笑みを零しているとレンが軽く腰を浮かせてキスをせがんできた。私はそれに応えて唇を重ねる。レンの熱がじわりじわりと伝ってきて幸せな気分になる。するとタイミング悪く玄関の扉が空く音がする。 「ただいま。あら、帰ってるの?」 玄関からそんな母の声がする。後ろから父の声もして一緒なんだと気付く。私とレンは残念という意味を含めて微笑みあった。少なくとも私の顔にはその意味がある。 「お帰りなさい。お邪魔してます。」 リビングにやってきた私の両親にレンは立ち上がるなり頭を下げた。両親というよりは父に対してだ。 「レンくんがいるって聞いたからケーキ買ってきちゃった。レンくんケーキ好きかな。」 父が茶目っ気たっぷりにそう言って荷物を見せびらかす。 「うわ、ありがとうございます。甘いもの大好きです。」 天使の笑みを浮かべてレンはそれを受け取った。 「私の分はー?」 「のは忘れた。」 「ええ!ショートケーキ!」 父のくだらない冗談にレンは隣でにこにこと笑っている。 「レンくん御飯食べてく?もうレンくんの分も買ってきちゃったけど。」 母が荷物を降ろしながらレンに問い掛ける。半ば強制的だ。 「あはは、じゃあご馳走になっていきます。いつもすみません。」 レンはまた頭を下げる。我が家にこの時間から来る時は決まって晩御飯を食べて行くのだ。母が買ってきた材料をキッチンで出しているのを手伝おうとレンはキッチンに向かっていった。私も何かやることはないかと近寄る。母も最初は断っていたものの、レンがあまりにも丁寧に、かつ年相応の嗜みで手伝わせてくださいと頼むものだからとうとう折れて、一緒に準備に取り掛かった。具材を切ったり、炒めたり煮たりと、いずれもレンにはなんてことはないようで、さらりと熟していく。 「こうして見ると、なんだかすっかりうちの子みたいだな。」 ソファに座ってだらだらとテレビを見ている父がキッチンを見るなりしみじみそう呟いた。レンは素っ頓狂なその父の発言に驚いて目を丸くした。 「いずれそうなるかもしれないんだから、当然よねえ。」 母は持ち前のマイペースさを存分に発揮してそう答えた。私としては親の前で恥ずかしくてたまらなくなり、言葉にならない声を漏らしそうになる。 「僕としてはちゃんに嫁いできてもらいたいんですけどね。」 レンはへらへらと頬を緩ませて笑いながらとんでもないことを言い出す。小学生じゃああるまいし、何を言っているのだと思いながらも、あまりにも自然にレンが言うものだから、私は恥ずかしさの裏でニヤニヤしてしまう。 「きゃあ、聞いた、お父さん!レンくんったらプロポーズみたいなことを!」 母が私よりもきらきらして黄色い声をあげる。 「ちょっとちょっと、からかわないでよ。」 私が赤面している隣で、レンは声をあげて笑っていた。 いつまでもレンが笑顔でいてくれるならそれでいい、と私は柄にも無く純粋に感じたのだ。 ―あとがき― 遅くなりましたが、離れるな。の続きをやっと更新させていただきました。 次回の話ではカイトが中心に書けたら・・・と思うのですが、やはりカイトがうまく書けません。 VS夢にしてしまったことをいまさらながら後悔していたりします。 100121 |