ドリーム小説  いけすかない男
 笑わないでよね
 なんだか胸が掻き乱されるから






 ― 四月某日


 ぺしんっと小気味良い音が背後から聞こえると同時に、音のしたその位置から「痛っ!」と濁った悲痛の声がした。そろそろ切ろうかなあ、なんて思っていたけれどなかなか切れずにいた、長く伸ばした髪を結った先端から感じた、重く抵抗の掛かる感覚もあいまって、私は急いで振り向いた。


「ごめんなさい、大丈夫?」


 講義を終え荷物をまとめていると、教室の入り口から友人に名前を呼ばれたので、いそいそと振り返ろうとしたそのはずみで、私の長いポニーテールが後ろの男を叩いてしまったのだと分かって、私はまたいそいそと頭を下げた。下げる寸前にちらりと見えた男の金髪が瞼の裏で焼き付いて踊る程綺麗だったのだが、そんなことを考えている場合でもない、という思いで下げていると、頭上から、ふっ、と息を噴き出すような声が聞こえて、私は顔を上げる。
 存外綺麗な男だ。


「髪長すぎじゃない、本物の馬の尻尾だと思った。」


 片方の口角を釣り上げた笑みは、その綺麗な顔立ちから際立って悪質に見えた。皮肉だとすぐに感じたが、天然パーマでふわふわしているとは言えど、この毛束の多さで叩かれては痛かろう、と私は罵声が口から付いて出そうになるのをすんでの所で止めた。


「・・・本当にごめんなさい、痛かったですよね。」


「髪の毛切ったら?ちゃんと洗えなさそう。」


 少なくとも女性に対して言うことでもなかろうに、と頬がぴくりと動いたのが分かった。無論、私の頬が、だ。


「洗えてます。今度切るつもりでした。当てちゃったのは悪いけど、そんな言い方することないでしょう?あんたこそ何よ、頭が金麦みたい!」


 空気の流れにそよぐ彼の金糸は、まるで風に吹かれてゆらゆらと踊る麦畑のようだ、と思ったのだが、麦畑は金色ではないなあ、と思い留まり、しかしならば何なのだと逡巡した結果、知っている言葉を使ってみたが、すぐにそれはどこだかのお酒の名称だと思い出す。
 案の定、金麦は発泡酒じゃ、との向こうの言い分に耳を向けることもなく、私は上手い例えも出来ず仕舞い、言い負けた悔しさで顔が真っ赤になりかねない、とすぐ様回れ右をして教室の入り口で私を待つ友人の元へと駆けて行った。






 ― 五月某日


 セミロングに切って、ミルキーベージュに染めた髪を、やはり邪魔だとひとつに結った。天然パーマが結った先で上手いことまとまったものだ。しかしその姿は彼曰く。


「ちょっと、頭にクロワッサン付いてるよ。」


 とのことであった。爆笑付きでの台詞である。
 それが私と、こいつ、鏡音レンとの二度目の顔合わせであった。






 ― 九月某日


ちゃん、久しぶり。」


 ごすっと言う擬音がよく似合う、若干乱暴な手付きで、後ろから駆け寄ってきたレンに頭を強く撫で付けられた。後頭部から前頭部にかけて、だ。結った髪がぐしゃりと崩れる。


「だあ!やられた!」


 レンに乱された髪を抑えて私が短く悲鳴を上げると、彼は白い歯を見せて笑う。


ちゃん、一夏超えても成長なし。背後が隙だらけですから。」


 二度目に会った後、私とレンは授業が幾つか被ることもあり、友達というのか、こうして学校内で会えばじゃれ合う程度の関係とはなった。それからというもの、レンは私の後ろ姿を見つけるなり駆け付けてきて、こうして頭をごすっと撫でて逃げて行く。小学生みたいなやつ、と思うのだが、どうにもレンがやると似合うのであった。
 小柄で華奢なのだが、どことなく飄々として掴み所がなく、ぼんやりとしている姿は二十歳そこそこの青年とは思えないような憂いがあった。
 そんなレンが私にちょっかいを掛ける時、ちゃん、と馴れ馴れしいまでに呼び親しんだような声で私の名を呼んで、にかりと幼く、まさに小学生のようなあどけなさで笑うのが、どうにも気に食わないのだ。そんな顔をするな、と言いたい。






 ― 十月某日


 退屈ではあるが参加せざるを得ない必修項目の授業は、知り得る顔がレンしかおらず、向こうも同様だということで、自然と隣同士に座る。
 レンは私と同じように退屈だとか言いながらも、教授の話を真面目に聞いているようである。あくまでも傍目には、だ。このひょうきんものが、真面目に授業を受けているとは到底思えない。きっと頭の中はくだらないことばかりに決まっている。
 かくいう私の手元にがっちりと握られた筆記具は、薄いグレーの罫線が記されたルーズリーフをすらすら走る。
 猫、眼鏡、飛行機、熊、林檎。
 まるで教授の話を聞く気力は沸かない。しかし厳しく眼を光らせている教授の視線を掻い潜るためにも寝るわけにはいかず、しかしノートを取る気にもならず、私は大して上手くもない画力を紙の上で存分に発揮していた。


「ふはっ。」


 小さく噴き出す声が横から聞こえて、私は顔を上げる。横の声の主を見ると、頬杖を付いており口元が見えないが、視線をこちらに流しているので私を見て笑ったことは明白だ。


「何よ。」


「題材のチョイスが小学生だよね。」


 ふ、ふふ、と続けて笑うレンの長机に付いた肘を、私は自分のそれで思い切り突いてやる。かくん、とバランスと共に頬杖の姿勢を崩されると、瞬間、鳩が豆鉄砲を喰らったように目を真ん丸くさせる。しかしすぐに口角を釣り上げてこちらを見ると、机の下に潜ませていたその長い脚で私の脚を小突き返してくる。


「良い度胸じゃん。」


 不敵な笑みを浮かべて言うものだから私は、偉そうな奴、と思いつつも笑い返した。






 ― 十二月某日


さんと鏡音、地味に仲良いよね。」


 休日に街で一人買い物を楽しんでいると、レンとその友人の青年と偶然鉢合わせた。その青年は学校でも何度か顔を合わせることがあり、既に会えば挨拶をする程度の仲にはなっており、成り行き上、三人で喫茶店に入った。
 テーブルに運ばれたマイセンのカップに注がれたコーヒーの、白く立ち昇る湯気におののいて、ふう、ふう、と息を吹きかけていると、正面に向かって座っていた青年にそんなことを言われる。


「そう?普通じゃない?」


 私が答えると、それに同意するようにレンも頷いた。


「いや、なんていうかさ。さんはともかく、レンが珍しくさんのこと気に入ってる感じがする。」


 レンの友人関係を詳しく知るわけもないのだが、珍しいのか、と思いつつ、でもレンが一人で居る所なんてそうそう見たこともないと思い起こすと、やはり何が珍しいのかよく分からなかった。


はからかいやすいんだよね、なんか。」


 へらっとレンが答えるのに私がムッとして声を漏らすより先に、正面の青年が唸った。


「レンがそっち側に座るあたりが、なんか、ね?俺の勘ぐり過ぎ?」


 青年の言葉に私は何のことだ、と理解出来ないせいで妙な疎外感を覚えながら首を傾げた。しかしその彼の言葉を意に介する様子も見せずに、隣の椅子に腰掛けたレンはからりと短く笑って口を開く。


「さあ、どうだろうね。だからなあ。」


「私だから何なのよ。」


「さあ?」


 わけが分からない、と私が唇を尖らせると、レンはそんな私の頭をぽんぽんと撫でた。最近のお気に入りなのか、冬休み前あたりからは撫で付けるというより、こうして頭を叩いてくる。結果としては髪型が激しい崩れを見せることはなくなったが、如何せん子供にするようなその行動には不満が残る。


「ちょっと!」


 やめてよね、と私が怒るとレンは正に子供を見守る母親のような目付きで私を見て微笑み掛けてくる。その笑顔は、どうにも胸がぎりぎりと、胃までもが痛み出して、笑わないでよね、と苛立つ。
 やはりいけすかない。






 ― 一月某日


 なんでこうなるの、と私は不満であった。


「良いじゃん、じゃんけんに負けたわけなんだから。」


 じゅうう、と肉の脂が炭に落ちて弾けるように音を立てる。
 レンに頼まれて、どうしても行きたい美術館の展示会があるのだが、ちゃんにも付いてきて欲しい、と言われたのでノコノコと付いてきたのだ。
 どこの美術館に行くのかも知らされずに、いざ今日になって行くと、私も近々行きたいと思っていた展示会であったことに驚き、まさかこのような共通の嗜好があるとは、と二人で笑った。それはまあ良しである。
 しかしお礼に焼肉を奢ると言われて、私は自分も楽しかったから奢りは嫌だと頑なに断った。だというのに、レンも頑なに奢るとうるさく、しまいにはじゃんけんで決めようとなったのだ。
 そして勝負の結果、やはり奢られる形となり、私はぶすっとしてしまう。


「人の奢りだって聞くと、なんか食べにくくならない?遠慮しちゃうって言うかさ。」


 じゃんけんでの勝負に乗っかっておいて、その結果にぐちぐちと、我ながら女々しいものだと思いつつ、やはり奢られるのはどうにも好きではないので、何とかならないか、と遠回しにレンに持ちかけてみる。しかし当の本人はどこ吹く風とばかりに、へらへらと得意の飄々とした様子。


ちゃんらしい理由だね。でも僕に遠慮なんかしなくても良いじゃん。」


 暗に私が好んでレンに気遣いしていると言われているようで、そう思われるのも癪だったので、益々ぶうたれた。


「だって美術館も行きたかった展示会だったから楽しかったしさあ。誘ってくれたことに、こっちがありがとうって感じだよ。」


 だから、と続けようとしたが、レンのじいっと私を見つめる視線が邪魔で、肉の焼ける網から視線を上げてそちらを見やると、目が合った瞬間にニコリと微笑まれる。私もつられて、意味も分からず微笑み返した。
 最近、私は自分の調子がおかしいと思う。前なら、何を意味もなく笑ってるんだ、と怪訝に睨め付けるのが常であったのだが、最近では思わず釣られてしまう。悔しい。
 向かい合って微笑み合うだなんて周りから見れば、さながら恋人同士のそれみたいではないか。
 そんなことを考えると、胸の内がザラザラとして、口の中が妙に渇いてきて気持ちが悪い。


「だって、ちゃんの友達に聞いたんだもん。」


「・・・ん、何を?」


「ちょっと前にちゃんが友達と話してるのを盗み聞きしちゃって。で、後になって、えっと・・・何さんだったか名前忘れたけど、その子に、ちゃんが気になってる展示会って何?って聞いてみたんだよね。」


 ああ、なるほど。確かに友人にこの展示会の告知を見たすぐ後に、行きたいなあ、などとこぼしたことがあった。
 それを何故レンが一緒に行ってくれるのか、理由を考えると胸がそわそわして、やはり考えないようにしておこうと思った。
 私の勘違いでこの関係が壊れるのは少し、淋しい。そう思えるくらいには、出会ってから約一年でレンの存在は大きくなっていたことは否めないだろう。


「そういえば、さ。」


 話題を逸らすべく、私はそんなベタな切り出し方で語り掛けた。どうした、とその長い睫毛に縁取られた空色の瞳がきょろっと此方を見遣る。


「レンって私のことちゃんって呼ぶよね?」


「うん、それがどうかした?え、今更嫌だとか?」


 そんなことではない、と私は首を横に振る。
 レンが私を呼ぶ声は好きだ。普段の話す声もさることながら、柔らかい声質のレンは、私の名前をその薄桃色のうすっぺらな唇から紡ぐ時、一段と優しくなる。その声は心がほだされる。
 そんなことは絶対にレンに言わない。言えるわけがない。


「なんで他の人に私の話をする時は呼び捨てなの?」


 ずっと気になってはいたのだが、唐突にそう尋ねたせいか、面喰らったというような少々驚きの見える顔色で、レンは私から一瞬顔をそらす。しかしすぐにまたこちらへ視線を戻した。


「どっちかというと、僕は男女問わず、呼び捨てにする方なんだけど、ちゃんは別なんだよね。」


 だから、どうして、と私が更なる言葉を急くと、レンはほりほりと首の後ろを掻いた。


ちゃんは、女の子だから。」


「・・・さっぱり意味が分からない。」


「皆のことは呼び捨てにしてるのに、ちゃんのことだけそんな風に呼んでること、皆に知られたくないからさあ。人前では呼び捨てにするの。」


「男女問わず呼び捨てが多いのに、私が女だからって矛盾してない?あ、このホルモンもう食べられるよ。」


 変わり者のレンの考えることは難しいなあと思いながら、私は焼きあがったホルモンをレンの取り皿と自分のそれに手早く取り分けた。レンは短く礼を言う。


ちゃんは僕にとって女の子なの。男女の女っていうのとは違うんだよ。言ってる意味分かる?」


「・・・若干わからない。」


 とぼけてみたが、実の所、何と無く分かっている。否、あくまで推測である。そしてその推測の甘美さは、完全に都合の良い私だけの物語なのだ。だから、そんなわけはない、とあくまでやはり分からないという姿勢をとると、レンが困った様子で眉尻を下げた。


ちゃんのこと、可愛いと思ってるってことだよ。」


 ホルモンうまい、なんて続けるレンはその己の言葉はまるで、自らの意志で発したわけではないというような、けろりとした様子であり、あっけらかんとした表情であった。
 かく言う私の表情は。


「ちょ、ちゃん。顔真っ赤・・・。」


「れ、レンが変なこと言うからでしょう!」


 細い指の伸びたレンの手が軽く握り込まれて、唇にあてがっている所を見ると、どうやら笑っているようだ。


「だって、顔真っ赤で・・・可愛すぎるでしょう。」


「それ、それやめてよね!からかわないでよ。」


 面白くもない冗談。
 言われ慣れていないというより、まさかこのレンがそんなことを言うだなんて微塵とも思ってもみなかったので、私は居心地の悪さから早口にまくし立てると、とにかく気にしないようにしよう、とホルモンに齧り付いた。


「冗談じゃあないんだけどなあ。本当に可愛いって思ったんだよ。」


 つら、とそう語るレンには私の制止の声は届かなかったようである。ぎりりと奥歯を噛みながら睨め上げると、そこにはへらへらといつものように笑っていると思っていたレンの姿はなく、代わりにいつになく真摯な表情でこちらを見据える姿が映り込んだ。


「やめてよ、何でそんなからかい方するの?いつもみたいに笑ってよ。」


 笑ってよ。
 いつもその笑顔が腹立たしいと思っていたのに、矛盾している。
 私の懇願をレンは聞き入れない。じっと見つめてこちらを見据えたまま、形のいい唇が躊躇いがちに、不安をそれでなぞるような頼りない動きで開いた。


「好きなんだよ。気付いてよ。」


 やめてよ、笑ってよ。
 あの私の心を掻き乱す笑顔で、余裕綽々、笑ってよ。






 ― 二月某日


「逃げないでよ、ちゃん。」


 だんっと音を立てて私が向かうテーブルに手を乱暴に付いたレンが、恨み言のように言った。
 あの日から避けてしまった自分の情けなさといったら、それはもう、自分でもよく分かっている。
 だって、返事はすぐにじゃなくてもいい、と言ってくれた。
 それなのにその夜、私はレンへの自分の気持ちに気付いてしまったのだ。
 レンの笑顔で心臓がきりきりと締め付けられるのは、恋しているからなのだ。
 そんなありふれた感情。心の何処かで自分で分かっていたのに、見て見ぬ振りをしてきた。
 しかし、日を置いてしまったことで、私は切り出し方が分からなくなってしまい、レンも気遣いからなのか、何事もなかったように接してくるせいで、益々、私のことをからかっていただけなのではと思うと、いよいよ恥ずかしさからレンを避けてしまっていた。


「に、逃げてなんか、いないよ。」


 テストも終わり、明日から春休みではないか。学科が違う生徒は分からないが、少なくともレンも私も、長い春休みを目の前にして、もう少し心を踊らせるような表情をしたって罰は当たらないというのに。
 仏頂面がふたつ並ぶ。


ちゃんが僕ともう友達でもいたくないっていうなら、謝るから。あの告白は無かったことにしていいよ。」


 まばらに残る教室内の生徒が、遠巻きにこちらを興味本位の目でちらちら見ている。顔から火が噴きそうなほど恥ずかしくて、私はレンを制止した。


「ちょっと、こ、声が大きい・・・。」


ちゃんが逃げるからじゃん。はっきり無理なら無理って言ってくれれば良いのに。」


「だ、だって、そんな。」


 冷たい空気に満たされた教室内で、私はじっとりと手に汗をかいていた。


「僕のこと好きなの、嫌いなの?」


「き、嫌いなわけないじゃん。」


 嫌いだったら一緒に授業を受けたり、出掛けたり、お茶したりなんて、するわけがない。


「嫌いじゃないけど、好きでもないってこと?」


 何でこの人は人前でそこまで堂々と出来るのか。私は冷や冷やとしながら、辺りの視線も気になって、頬にジリジリと熱が帯びているのを、手のひらで扇いだ。


「そんな怖い顔、しないでよ。私、レンの笑った顔が好きだもん。笑ってよ。」


 視線を逸らしたまま、私の答えにならない応えに、レンは突っかかってくるかもしれない、と予期していたが、彼は小さく溜息をついた。


「この前もそう言ってたね。」


「だって・・・。」


 いつも笑ってくれるじゃない、と続けるより先に、レンが私の手首を掴んだ。どぎりとして背筋を伸ばすと、なんとも冷静な声で、とりあえず出よう、なんて今更なことを言い出した。
 何か腑に落ちない。いかにもレンが私を窘めるような格好だが、元はと言えば、こんな公衆の面前であられもなく話をしてきたのはそっちではないか。


 そんな不満を抱きつつも、私はバッグを手に取って、レンに引っ張られるようにして、テラスまで出た。
 小規模な公園のような中庭が付いたテラスには、ぽつぽつと人影がある。これなら余程の声量でなければ周りも気にならないだろう。


「ねえ、ちゃん。」


 呼び掛けられて私はレンを見上げた。


「僕の笑顔が見たいんでしょう?」


 その言い方では何やら誤解を生みそうだが、ざっくりとすればそうだ、と私は頷いた。
 するとレンは微かに笑みを浮かべた。笑ったというよりも、元来の穏やかな表情である。


「そんなの簡単だよ、ちゃんが僕に、正直な気持ちで話してくれれば良いんだよ。そうすれば僕は、たぶんちゃんが今まで見たことないくらいの笑顔になっちゃうよ。」


 なんて自信家なのだ。
 正直な、というが。
 私がレンの告白に対して、こちらこそ、という答えしか持ち合わせていないとでも思っているのだろうか。
 なんてことだろう。悔しいが、その通りだ。
 私は意を決して、一度唾液を嚥下すると、自然と力のこもった掌を握り込んだ。


「わ、私も、レンが好き・・・です。」


「・・・それだけ?僕一ヶ月近く逃げられて、なおのこと待ち続けたのに、それだけ?」


 それだけとはなんだ、と私は赤面しているのも厭わずにぐっと顔をレンに向けると、レンは口角を釣り上げて不遜な笑みを浮かべている。小憎たらしいったらない。その笑顔ではないだろうに。


「ちゃんと、正直な気持ちを言ったのに!」


「うん、でもそれは最初から分かってたから、さ。」


 はは、と笑ってそんな発言。なんという男なのだ。
 図に乗ったレンの言葉も、態度も、それ以上に自分の気持ちが声に出さずとも当人に伝わっていたのだという羞恥心とで呻き声を上げて、思わずその場にしゃがみ込んで、膝頭の上に顔を伏せた。
 恥ずかしい、恥ずかしすぎる。
 すると正面に立っていたレンも、同様にしゃがみ込んだのが空気を伝って分かった。


ちゃん。」


 間延びした声で私を呼ぶ。甘ったるい声だ。顔を伏せたまま、くぐもった声で何だ、と尋ねるとレンが吐息を漏らすように笑った。


ちゃん、こっち向いてよ。」


「今は顔を上げられないの。全部レンの思惑通りって感じで恥ずかしい。」


「思惑通りってわけではないけど。一か八かで告白したしね。もしかしたら勘違いかもと、思わないわけでもなかったよ。」


 でも結果としてあんたの読みは当たってたんでしょう、と心の中で毒付いた。


ちゃん、僕、今まで見たことないくらいの満面の笑みだよ。見なくて良いの?」


 戯けた調子の声。確かにいつまでもこうしていたって埒はあかない。
 こうなればとことん、大好きなレンの笑顔に振り回されてやろうではないか。
 意を決して、ぐっと顔を上げて、その満面の笑みとやらを拝見してやろうとしたが、視界はすぐに違うものを捉えた。


 数秒、時と共に心臓も止まったと思う。
 いつも見て知っていた、レンの薄い唇が私のそれに触れている。それがどれだけ凄いことなのか、現実味もない。
 名残惜しそうにレンが私からそっと顔を離すと、こつんと額にレンのそれが載った。


ちゃん、好きだよ。ありがとう。」


 優しい声だ。


「わ、たしこそ。ありがとう。」


 心がほだされる声。自然と普段なら恥ずかしくて言えないような言葉が勝手に紡がれる。
 するとレンが額から離れて、それでも至近距離だが、ようやく顔が窺える所まできて、瞬間、破顔した。


 眉尻を下げて、目を細めて、あどけなくて、少し頼りないような印象さえする、幼い笑顔。
 見たことのないほど、喜色満面といったその表情が、私の言葉や態度で生み出されたものだと思うと、それは。


「悪くない笑顔ね。」


「はは、だから言ったでしょう?100点?」


「120点あげる。」


「ふふ、偉そう。でもそういう所も好きだよ。」






 いけすかない男
 でもその笑顔を見せてよ
 この小さな胸をもっと掻き乱して




















―あとがき―
こういう夢が、というお客様の幾つかの声を元に書いてみました。
意地悪なレン、という声が多かったのですが、ちょっと変わった手法で書いてみました。
部分的に書いて、その空白は読み手の方の気持ちで埋めて頂いて、いつレンを好きになるか、レンが自分を好きになったかを決めていただきたいと思いました。
でももっと技術がないと無理でした。すみません。
男の人の笑顔が好きです。いろんな笑顔を持ってる人は特に素敵です。

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