ドリーム小説 「レンさん、ギムレットください。」


「はい、どうぞ。」


「これお水じゃないですか。」


ちゃん、飲みすぎじゃない?」


 レンさんは静かな店内で、その透き通るような綺麗な声色を駆使して私をなだめる。


「で、でも飲みたいんです・・・。」


「はい、お水。」


 私の注文は受け付けないというような口ぶりで、そのくせ優しい笑顔で、レンさんは水の入ったグラスを今一度私に付きつけた。有無言わさないその動作に、私は怖気づいてその水を飲み干す。口の中に残っているお酒の臭いは一瞬だけ喉の奥まで流れていったかのように思えたが、やはり私の口の中で蔓延っていた。


「・・・で、ちゃん、今日はやたら飲んでるけど、どうしたの?」


 少し困ったような微笑みを向けられて、私は言葉に詰まった。レンさんのこの笑顔は反則だ。私を大人しくさせてしまう。


「な、んでもないです。」


 言葉に詰まりながらそう返すと、レンさんはそれ以上の追及はせずに「そう。」と返すだけだった。
 時計が二時を回り、お客さんが私以外に居なくなったので、レンさんはいつも通り扉の表札をCLOSEに引っ繰り返してから戻ってきた。私は閉店後になってもいつもこうしてレンさんのお店に居座り続ける。レンさんは迷惑そうな顔一つせず、むしろお邪魔だと思い帰ろうとすると引き止めてくる。それは嬉しいのだが、私には納得いっていない点があった。それが今日の暴飲の原因になっているのだが、レンさんは全く気にも留めていないようで自分の飲むお酒と、私が水の入っていたグラスをねたむような目で見ていたことに同情したのか、ギムレットを作るとそれらを持って隣に腰を掛けてきた。相変わらずのベルギービール。


ちゃん、明日は仕事休み?」


 大きく何口かビールを口に含んだ後、レンさんは頬杖を付いて私を覗き込んで尋ねてくる。この類の質問に、私はもう嫌と言うほど損な気分を味わってきた。それでも期待してしまうのは私の駄目な所。


「休みですよ。」


 そう答えてからギムレットを一口流し込み、レンさんの言葉を待つ。私の期待通りの答えを待つ。ギムレットが相変わらず美味しい。気分が良かった。


「そっか。ゆっくり休んで疲れ取らなきゃね。」


 ある意味期待を裏切らない人だ。私は大きく溜息をついた。悔しいくらいに綺麗な顔が私を不思議そうに覗き込む。


「大きな溜息だね。仕事毎日大変そうだし、疲れてるんでしょう。」


 仕事は確かに疲れる。東京に転勤して一年が経ち、新しいプロジェクトの責任者にもなった。しかしここに来る頻度は変えたくなかったので、私は未だかつてない程の惜しみない努力をしている。しかし、いつまでもレンさんは変わらない。これでは全く報われない。


「レンさん、月曜は定休日ですよね?明日休みじゃないですか。」


 それを知っているから、私は数少ない休みをなるべく月曜日にしているのだ。美容院が休みでも構わない。レンさんとの時間のために仕事を切り上げて、ぎりぎりの時間に美容院へ滑り込む。ゆっくりお洒落にしてもらいたいけれど、レンさんの休みに微かな希望をかけて頑張っているのだ。


「うん。雑貨屋にでも行こうかな。」


 レンさんと仲良くなって知ったけれど、レンさんは雑貨好きだ。店の戸のアンティークゴールドのドアノブや、その扉のワインレッド、店内の備品であるマガジンラックなどは凄くお洒落だと思っていたけれど、特に気にも止めていなかった。私もアンティークの家具や雑貨が好きだけれど、レンさんと特別その話題で盛り上がったことは一度もない。たまにレンさんは私の首からぶらさがっている50年代物の懐中時計を物欲しげに見つめているが、私をそんな目で見たことはない。


「私も雑貨屋巡りしようかなあ。」


 淡い期待を込めて呟くと、レンさんは見事にその期待も砕くように口を開いた。


「駄目だよ。ちゃんは疲れてるんだからゆっくり休まないと。」


 意地悪そうに微笑むレンさんのその意味合いは違う。






 私達はいつになったら付き合うのだろう。






 決して自分に自信があるわけではないが、レンさんがあの日、私を好きだと言ったのは嘘ではないと信じている。東京で再会してからも、もし私をまた抱いたりしていたのならば、私は体だけを求められていたのだと、この小さな胸に想いを閉じ込めることが出来たかもしれない。ただレンさんは私を抱きもしないし、キスもしない。ただゆっくりと私との時間を大切にしてくれている。それだけは十分に伝わってくるので、私はよからぬ期待を抱きつづける。






ちゃん、やっぱり機嫌悪いでしょう?」


 いつの間にか私はむすっとした表情でグラスを見つめていた。レンさんはそんな私に何か嫌なことあったの、と悪びれる様子もなく付け加えて覗き込んでくる。私はそんなレンさんに答えるのも億劫になり、ギムレットを煽るように流し込んだ。レンさんはいつまでも答えない私を困ったような微笑みで見つめている。それに飽きることなく、私を見守るように見つめている。なんだかその様に罰が悪くなる。自分の勝手な利己的な考え方で困らせるなんて、まるで子供のようだ。しかし何か答えろと言われたところで、本音を語るには私は恥じらいがありすぎた。

「レンさんは、休みの日は・・・いつも何をしてるんですか?」


 問い掛けに対しての答えにはならなかったけれど、ようやく言葉に出来たのはその程度のものだった。するとレンさんは回答になっていないことに苦笑をこぼしつつも小さく唸って、私の質問に答えようとしてくれる。私の空になったグラスを見ると、それを取って立ち上がり、カウンターの中に入ってリキュールなどを選び始めた。


「さっきも言ったけど、雑貨屋行ったり、本屋行ったり、美術館とか植物園も行くよ。どうして?」


 どうして尋ねるの、という意味合いの疑問符に私は居たたまれなくなる。どう聞いても気まずいものではなかったはずだが、レンさんのプライベートに踏み込んだ質問だっただろうか。そう思うとまた気持ちが後ろ向きになってしまい、言葉が上手く出てこない。レンさんの指先がシャンボールの可愛らしいボトルに触れた。そのボトルを取り出すと冷蔵庫を開けて色々と選び出す。


「なんとなくです。レンさんの仕事中の姿しか見たことが無かったんで、イメージがあまり付かないんですよ。」


 レンさんのそんな仕事ぶりを見つめながら、少し嫌味に聞こえるだろうというつもりで答えた。するとレンさんはグラスにシャンボールとレモンスカッシュをステアして私に差し出した。


ちゃんは、僕のバーテンダー姿は嫌い?」


 レンさんは隣に戻ってこずに、カウンター内に置いてあったのだろう椅子に腰を掛けて、頬杖をついて私を見つめてくる。最近、いつものようにギムレットを飲んだ後は、レンさんにお任せしてカクテルを作ってもらっている。前回ここへ来た時、シャンボールの容器が可愛いと言った私にレンさんは「次はあれを使おうかな。」と言ってくれていたのだ。そういう些細なことでも覚えてもらっているだけで嬉しい。
 私は出されたお酒をゆっくりと口の中へ流し込んだ。甘くて少し酸味があって、とても美味しい。


「美味しいです。」


「よかった。」


 直接の答えになっていなくても、レンさんの作ってくれるお酒は好きだ。それを作ってくれるレンさんを嫌うわけがない。レンさんもきっと分かってはいるのだろうが、私にかける言葉が思い浮かばなかったのかもしれない。


「これ、なんていうカクテルなんですか?」


 私はふわりと香る甘い匂いと、アルコールで口元がむずむずとするような感じに襲われた。ちょっとだけ舌ったらずな喋り方をしてしまったかもしれない。恥ずかしくなってレンさんから視線を少しだけ逸らした。


「分からない。創作カクテルだからね。ただ、ちゃんに次はシャンボールで作ろうと思ってたから色々試してみたんだ。ちゃんみたいな味に出来上がったから、僕的にも満足。」


「・・・ありがとうございます。」


「でも、僕はやっぱりギムレットが一番ちゃんに合ってると思うんだよね。」


 少年のように嬉々とした語り口でそう言い切ってレンさんは満足そうに微笑んだ。木苺のような甘酸っぱさがまだ恋しくて私はまた一気にグラスの中身を飲み干した。こんなに美味しいお酒に喩えられるのは決して悪い気はしない。ギムレットだってこの甘いお酒だって、いつだってレンさんは私を喜ばせてくれる。それが本気だろうと、嘘だろうと、私だけに向けた言葉だと信じては傷付きそうだ。じとーっとレンさんの真意が探れないかと見つめてみたが、レンさんは私のその目を見ても優しく微笑んで「酔っ払ってるね。」と頭をくしゃくしゃ撫でるだけだった。細い指が気持ちいい。


「女の子にはいつもそんなこと言うんですか?」


 私は出過ぎた真似をしたと、口にした途端に後悔した。自分の酒癖がこんなに意地汚いとは思わなかったので、暫く後悔しつつも自分の言葉が信じられなかった。レンさんは驚いたようにこちらを見ている。大きな瞳が一層大きくなって、今にも飛び出してしまいそうなくらい、大きくて綺麗なガラス玉が寂しげに揺れている。レンさんは私が思わず顔をそらしていると、グラスにお水を入れてそれを差し出してきた。私が受け取れずにいると、仕方ないというように隣の席に戻ってきた。


ちゃん、やっぱり今日変だね。お酒の飲み方も荒いし、そんなことが言いたくて飲んでたの?」


 全くだ。自分は何がしたかったんだろう。隣に座って優しい声色で尋ねてくれているレンさんの顔をちらっと盗み見たが、呆れているのだろうか怒っているのか、どんな感情でいるのか全くつかめなかった。ただ、悲しそうな色をしているとは分かったので、私も悲しくなった。情け無いし恥ずかしいしで肩が震えた。酒の勢いに任せたら、もう一度レンさんを好きだと言える気がしたのだが、大きな間違いだったし、全く行き着けなかった。レンさんは届かない。


「・・・ちゃん?」


 レンさんは私の頬に手を添えて、指で目元に優しく触れた。その瞬間、自分の瞳から涙が溢れていたことに気付いて、一層恥ずかしくなった。レンさんの手があることも気にせず私は顔を正反対に向けて両手で覆い隠した。死にそうだ。いい年をして人前で泣いてしまうなんて、レンさんもきっと呆れている。


ちゃんが何も言ってくれないと分からないよ?」


 困った声色で、それでも優しい子供を諭すような口調でレンさんが言う。


「いつになったら・・・。」


 私は小さな声で落ち着けと自分を諭しながらも、そこまで言葉を紡いだ瞬間に、自分でも分かるほど冷静さを失った。レンさんが「え?」と小さく聞き返すのは、私に理性と言う糸をあっさりと切った。






「い、いつになったら付き合ってとか言ってくれるんですか!私のこと好きとか言ってくれたのに、全然!全然そんな素振り見せてくれないですし、私ばっかり期待して・・・。月曜日だってレンさんが休みだから、休み取ってるのに。でもそれは私が勝手にやってることだからレンさんを責めるものじゃないけど、でもそれでも!レンさんは私に全く興味がないみたいだし、一緒にいる時は私に優しくしてくれてるけど、それでもキスだってセックスだってあの時一回きりで、本当は・・・。本当は、あの日のことも全部、夢だったのかもしれないとさえ、思ってます・・・。」






 咄嗟の勢いに任せて口走った思いの丈は、勢いを無くしたと同時に不安要素へ成り果て、私はレンさんの顔を見るのも恐くてカウンターに突っ伏せた。謝りたくさえなる。
 暫く私達は沈黙の中で、呼吸さえ忘れたように物音一つ立てなかった。少ししてから背中に感じるレンさんの気配が小さく動いたので、私は固まった。


ちゃんが僕を好きって言ったのが、本気って思わなかった。」


 思わず耳を疑った。こんな疑い方はしたくなかったが、何をどう解釈しても、私はレンさんの言葉が信じられなかった。


「冗談だと思ってたんですか・・・?」


 私は怒りなのか落胆なのか分からないもやもやに声を震わせた。


「そう。遊びにだって誘ったりもしてくれなかったから、冗談だったんだって思ったよ。」


「それを言ったらレンさんだって誘ってくれなかったじゃないですか。」


「・・・誘ったよ。」


「誘ってない。」


 私は何故か負けじと答えた。いつの間にか視線はレンさんに釘付けで、そのレンさんの瞳が微かに揺らいだのを見逃しはしなかった。ほらみろ、と言ってやりたくなるのをじっと堪えて、私はレンさんを睨みつけた。といっても私なんかが凄んだところで、レンさんには効かないことくらいは百も承知だ。


「・・・ちゃんと再会したすぐ後に誘ったら、ちゃんは会社の飲み会があるって言ったんだよ。そんなの気にしなかったし、また誘おうと思ったのに、勇気が出なかったんだ。僕の休みを知ってるはずなのに先約があったのは、僕を避けるための口実なんだって思えて。」


 私はその一言一言をゆっくり脳内でかみ砕いた。そのうち、そんなことが一度だけあったことをぼんやりと思い出す。私はそれを暫く整理してから慎重に言葉を選んだ。


「私は、レンさんに好きになってもらえるなんて自信がなくて・・・。どうやって切り出せば良いか分からなくて。私の方が好きだとか、そんな幼稚な話はしたくないですけど、でも実際そうだと思ってました。」


 鈍感ではないと自負している私でも、レンさんのその些細な態度から愛情を汲み取れるほどの技量はない。するとレンさんは照れたようにはにかんで笑う。


「言わせてもらうけど、僕はよっぽどちゃんが好きだと思うよ。じゃなきゃ追い掛けて東京になんか来れないよ。」


 レンさんの言葉にようやく実感が沸きはじめる。しかし私は今度は途端に恥ずかしくさえなってしまって言葉が出なくなった。するとレンさんの手がカウンターに乗せた私の手に重なる。


「それに、ちゃんとお店の扉見た?」


 それにすぐパッとは思い付かず、呆けているとレンさんは私の手を握り立ち上がる。数歩先にある扉に行き着くだけなのに、レンさんと私には差があって、思わずよろめいた。その長い足は私の足では到底敵わない。重たい色合いの扉を押し開けると、途端に生暖かい外気に体が晒された。レンさんはそんなことなど気にも止めない様子で一歩外へ出ると、扉の金細工を指さした。






 To a lady like “gimlet”.






 私はすっかり忘れてしまっていたその浮き出た文字を指先でなぞる。


「もしかして気付かなかった?」


 信じられない、とでも言うように苦い表情を浮かべたレンさんに、私は苦笑で返した。


「気付いてはいたんですが・・・忘れていました。」


 正直にそう白状すると、レンさんは溜息をわざとらしく一つついて、子供のような微笑みを、しかし優しさをたっぷり詰めた瞳で私と視線を絡めてくる。


「これ、結構恥ずかしかったんだよ?ちゃんに向けてのメッセージなのに、見られたくないって思ったんだから。それをそんなに簡単に忘れられたら僕の苦労も報われないというか、ね。」


 唇を尖らせて愚痴っぽく語るレンさんを、私は初めて見た。先程までの不安はいつの間にか喜びにすり代わって、私は笑ってしまう。


「そんなに強いメッセージが篭められているなんて思わなかったんです。」


 口にする言葉の全てに吐息が混ざるくらい、私は喜びを隠し切れなかった。


「強いとかそんな次元じゃないよ。これはもう、プロポーズくらいに取ってもらわなきゃ。」


 いつもの大人びたレンさんが、いたずらにそう言うので、妙にドキリとしてしまって私はぎこちなくなる。


「そ、そんなになんですか?すみません。」


 私の言葉にレンさんはちょっとだけ眉間にわざとらしい皺を寄せたが、すぐにいつもの妖艶な微笑を浮かべる。目を細めて、形の良い唇を程よく吊り上げて、思わず見とれてしまうような微笑みだ。


「僕は大人だからね。キスで許してあげるよ。」


 思わず固まってしまった。言っている内容はまるで子供だというのに、レンさんを見れば、いつもと同じ作り物のような美しさで微笑んでいるのだから、違和感が凄い。


「そんなの、私だってしたいのに、罰にならないですよ。」


 精一杯にそう返すと、レンさんは一瞬目を丸くしてから、すぐに卑しい笑みを浮かべた。


「じゃあ意味ないね。」


 レンさんはそう言うと、揃えていた目線を戻してしまった。本当にせっかくレンさんとキス出来るチャンスを自ら不意にしてしまったことを心の中で悔やんだ。私は残念だとは思いつつも、それを口にするのは悔しいので、何も言わなかった。すると暫く黙っていたレンさんが声をあげた。


「ああ!無理、僕が我慢出来ないよ。」


 突然の声に驚いていると、レンさんはまた視線を合わせて私の唇に触れた。啄むようなキスは、なんだか求められている感じがして嬉しい。惜しまれながら唇を離すと、レンさんがふわりと微笑んだ。


「明日は何したいの?」


 そんなことを問い掛けられて、あまりの嬉しさに私はレンさんの胸に抱き着いた。


「もっとレンさんとキスしたい。」


 素直にそう答えると、たくさんのキスの雨が降ってきた。




















―あとがき―
遅くなって申し訳ありません。様からリクエスト頂いた夢です。
短編「ジン+ライムジュース」の続編で、レンと付き合うまでを大人っぽく、ということでした。
全然大人っぽくならなくてすみません。
様とメールをさせて頂いて、私と同じくアンティークとか雑貨が好きということでしたので、少し入れてみました。
楽しんで頂けたら嬉しいです。

(様へ)

090810















































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