ドリーム小説  私の家には猫みたいな奴がいる。たまに来て、すぐに出て行く気まぐれで大きな猫。居ると苦しくて堪らないのに、居ないと寂しい。だからずっと一緒に居れば、苦しいのにも慣れて、きっと寂しいなんて思わない。






 仕事仲間との飲みから帰って灯りを点ける。誰も居ないことを承知で、確かめるように“ただいま”と呟く。


「今日も居ない、か。」


 レンが来てから増えた独り言。誰かに聞いて欲しいとでもいう思いがあるのだろうか。ヒールを脱ぎ捨て、フローリングの冷えを足の裏に受ける。そしてスーツを脱ぐ。


「むくんでる。」


 ここまでが私の日常で繰り返される、いつものパターン。下着姿のまま部屋着を探してソファを見る。朝に放ったままの姿の服は皺を刻まない程度に柔らかく曲線を織り成していた。


「ただいま。」


 部屋着を手にとって着ようとしていると、聞き慣れた嬉しい声がする。私は浮かれた声を出さないように一息。


「お帰り。」


 柔らかな金糸を揺らしてダラダラとリビングにやってきた。


「久し振り、ちゃん。」


 だらしない笑みで私の名前を呼ぶ。間延びした口調。くすぐったい。私は部屋着にのそのそと袖を通した。すぽっと顔を出すと、レンはにこにこ笑っている。


「久し振り。お仕事お疲れ様。」


「うん、疲れた。お茶下さい。」


 我が物顔で私の部屋のソファに大きく腰掛けて私に両手を広げてねだる。


「ちょっと待っててね。製氷器が調子悪くて・・・。」


 そこまで言って私はレンに背を向けてキッチンへ向かおうとしたが、それをレンが許さない。白い陶器のような腕を隠したスーツがしわくちゃになるほど、それ程に強く私の腰を両手で抱き締めた。私がよろめいて後ろに戻ると、レンの足の間に座らされる。


「良い匂い。」


 私のうなじに顔を埋めて、レンは吐息を漏らすように笑う。


「ボディバターだよ。」


「僕、好きだよ、この匂い。ちゃんって感じだよね。」


 もう一度、強く鼻から空気を吸い込んで、レンは鼻孔に“私らしい香り”とやらを詰め込んだ。


「鼻、可笑しくならない?」


 何度も強く私の香りを吸い込むレンに私が尋ねると、レンはうなじから離れて微笑む。


「お客さん、みんな香水くさいから、これが癒されるの。」


 あどけない表情でレンが言うので、好きなだけ嗅がせてやろうと、私は大人しくした。


ちゃん、最近お店来ないね。」


 好きなだけ嗅いだかと思うと、レンはぽつりと零す。


「駄目?」


 行きたくない。私はレンの仕事が嫌いだ。


「ううん、来ないで。あ、でも会えないから寂しいや。」


 そんなことを言うので、私はレンを見つめた。ふと顔が近付く。気構えるつもりはない。


 私達は唇を重ねたことがない。プラトニックな訳でもない。


 案の定、レンは私の額に自身のそれをコツンとくっつけるだけだ。私の眼前に密度の高い睫が長く生えている。綺麗な顔だ。


「お休みは明日だけ?」


 私が尋ねると、レンは小さなか細い声で頷いた。


「そっか・・・。」


 思わず残念な声を漏らしてしまう。するとレンは私の頬に両手を添えて、額に、子供がするような可愛いキスを落とす。


「僕だって寂しいよ。だからそんな顔しないで。」


 ね、と念を押すように言われたら何も答えられない。






 レンはホストだ。私が友人に連れられて初めて行ったホストクラブで、レンは私の席に着いた。馬鹿みたいだが、本気で恋をした。レンの憂えた顔つきに、たまに見せる無垢な笑顔が好きで、どうしてもレンが欲しくなった私は、一人で通い詰めた。何度も通っていると、レンは私に“家が無いから枕をやって生活してる”と語った。私は誘われているのだとも気付かずに、その場で、今思えば恥ずかしい台詞を言ってしまった。


― 私の家に住みなよ。


 そう言った瞬間、レンは大きな瞳を一層丸くさせてからすぐに笑いだした。「じゃあ行くよ。」とレンが答えたのがきっかけで、私達は曖昧な同棲を始めた。






ちゃん、いつもありがとう。」


 唐突にそんなことを言い出すレンに、私はきょとんとする。


「何が?」


 私が疑問を声に乗せると、レンは微笑む。


「いつも待っててくれて。」


 悔しい話だが、私はレンを毎日待ちわびている。レンは私の家に住み始めてから暫くすると、客が付き始めたせいでアフターだ何だと忙しくなってしまった。私の家に来る時間は、私が仕事へ行く時間で、私が帰る時間は、レンの出勤時間だった。私はそれが気に食わなかった。レンはそれに気付いて意味が無いと言って、休みの日以外は帰ってこないようになってしまった。


「休みの日教えてくれたら休み取るんだから連絡してよ。」


 私がそう言うとレンは苦笑する。


「駄目だよ。俺はちゃんのために休めないんだから、ちゃんが休んでも恩返し出来ない。」


 私だって風邪を引こうが何だろうが、仕事は行く。しかしあまり会えないレンだからこそ、休んでも良いかとも思うのだ。レンにとって、私はさほど大きな存在ではない。


「別にレンは休まなくても良いよ。」


 そう言うと、レンは小さく頷くだけだった。そうしか出来ないだろう。しかし、あまりにも悲しそうな瞳なので私は居ても立ってもいられずにソファから立ち上がる。


「お茶、いる?」


 キッチンへ向かいながら尋ねると、レンは頷いた。私は壊れた製氷器の代わりに買っておいた残り少ない氷をグラスに入れて麦茶を注いだ。冷蔵庫の調子が悪い。一日中冷やしておいたはずなのに、麦茶が温いのか、カランと音を立てて氷は一回り小さくなる。それは私とレンに似ている。愛にしては熱が足りず、お互いに小さくなっていずれは消えてしまいそうだ。こじつけかもしれないが、そう思うことが私の気持ちを冷静にさせてくれる。
 お茶をレンに渡し、改めて隣に腰を落ち着かせた。レンはお礼を言うと、それを一気に飲み干した。


「喉渇いてたの?」


 その飲みっぷりに半ば呆気に取られて尋ねると、レンは笑った。


ちゃんの作る麦茶が好きなだけ。」


 麦茶が美味しい、何だかおばあちゃんへの褒め言葉のようだ。私は笑った。


「もう一杯いる?」


 多少気分を良くした私は立ち上がる。しかしレンはその私の手を引いて座らせる。


ちゃんが良いな。」


 レンにはセックスをするでもなく、ただ私と抱き締め合う時間が必要だと以前言っていた。お互いにストイックな訳でも無いが、それは心地良い時間だ。


「ん。」


 レンのそれは私に取って合図になっており、私は両手をレンの腰に添えた。するとレンは私を柔らかい手つきで抱き締める。暖かい体温が伝わってくる。


「やっぱりちゃんと居ると癒される。」


 癖のある笑い方、吐息を漏らすレンのそれが好きだ。レンは私を好きだという。私はそれが分からない。


ちゃんは、僕の知ってる女の子には無い力があるんだよ。」


 それが何なのか、私にはよく分からない。レンは私が以前した“私の家に住みなよ”という発言が、あまりにも斬新で、私のことを好きになったと言う。私の純真なところに癒されると言う。しかしそれ以上は何もない。


「こんな私でも良いなら、いつでも癒してあげるよ。」


 レンに褒められたからと言って驕るつもりはないが、本当に、私に出来ることがあるならば、何でもしてあげたいと思う。


「ありがとう。ちゃんが居てくれるだけで幸せだよ。」


 掴めない距離が歯痒い。レンを手に入れた気になれるのはほんの一瞬で、また私から離れる。レンが居ると苦しくなる。居ないと寂しくなる。レンと知り合わなければ良かったなんて思わないが、この気持ちから解放される術を、私は全く持っていない。


ちゃんが嫌なら、僕のことなんて追い出して良いからね。」


 前触れもなく突飛したことを呟くレンに、私は目を丸くした。


「何でそんなこと言うの?そうしたらレン、また枕しちゃうじゃん。」


 また他の女と毎晩寝てしまう。今ももしかしたら私の知らない所でしているかもしれない。今は職場の友人の家に居候しているというが、もしかしたら枕をしているかもしれない。私の知らないレンがそこには居る。それは苦しくて悲しい。


「でもちゃんに寂しい思いをさせながら待ってもらうなんて悪いじゃん。ちゃんを傷付けたくない。」


「そっちの方が傷付くからやめて。」


 間髪入れずに私はレンに鋭い口調で訴えた。レンは吃驚したようで、小さく口をぽかんと開けて、すぐに悲しそうな表情をする。それはたまに居たたまれない。


「ごめんね。」


 変なことを言って、という意味だろうか、謝られたとしても私には何も言えない。良いよと返すだけで精一杯だった。






「早くお金貯めたいな。」






 溜息混じりに呟いたレンは、私を腕から解放して、ゆるゆると伸びを一つ静かにしてみせた。ソファのスプリングか微かに軋む。レンは以前、お金を貯めるためにホストをしていると話したことがある。自分の会社を持ちたいと言っていた。しかし何の会社かは聞いていない。聞いても教えてくれないかもしれない。その夢のために専門学校に通ったとも聞いたが、詳しくは聞けなかった。深入りすると傷付く。


「あとどれくらい貯めるの?」


 興味はさほど無いが尋ねてみると、レンは微笑む。


「分からないけど、あと三年は続けなきゃいけないかもね。」


 三年、私達が一緒に住み始めた月日に比べると倍ほど長い。この一年と少しの間で私は随分とレンを待ち続け、また随分と疲れた気がする。


「会社がもし建てれたら、ちゃんも僕と働こうね。」


 レンは男のくせに私よりも夢見がちだ。一緒に働くなんて、無理だ。私にも仕事があるし、それに、待てない。私は三年もの時間を曖昧な関係の相手のために費やすなんて、もう苦しいだけだ。


ちゃん?」


 考えに耽り、黙り込みを決めていた私をレンは呼ぶ。


「ん?」


 私はレンが先程の言葉の返答を求めているのだとは分かっていながら、何食わぬ顔で小首を傾げた。レンは私の意志を欲しながら、その反面では深追いしない。何もかもが曖昧だ。手に入れたかったのはこんなものではない。


「・・・ちゃん、最近笑わなくなったね。」


 淡い水色の絵の具を塗ったように、作り物のように美しい瞳が悲しげに揺らぐ。


「そんなことないよ。気にし過ぎ。」


 取って付けた笑顔を浮かべた。レンが深追いしないと分かっているから出来る、ずるい私。


「ほら、嫌だ。その笑い方。」


 眉間に皺を微かに寄せて、レンは冷たく私を見つめる。レンが追求するのは珍しい。驚いてきょとんとしていると、レンは口を小さく動かす。


「理由が僕なんだとしたら、教えてよ。」


 いつの間にか私を抱き締めていたレンの腕は力が抜けていた。私はゆっくりと自然にそれを解く。そして姿勢を元に戻して言葉を探す。吐き出すと楽になる類なのだろうか。


― 仕事を辞めて、私とずっと一緒に居て。


 そう言うのは随分と勇気が必要だ。何も返せない自分に嫌悪感を覚えた私は、やり場のない苛立ちがこみ上げてきて泣きたくなった。どうしようもなくなってしまい、私はようやく口を開いた。






「もう待つのなんて嫌なの。」






 予想だにしなかった声。震えている。恥ずかしい。しかし感情が押し寄せてきて止まらなかった。


「もう嫌なの!レンにとっての私は住む場所を与えてくれる都合の良い女なんだろうとか考えちゃって・・・。でも何処かでレンはそんな奴じゃないって根拠もなく信じちゃう。じゃあこの曖昧な関係は何なんだろうって・・・、腹が立ってきちゃうし・・・。でもそんなこと考えちゃう自分に一番腹が立つの。今の私、嫌い・・・。」


 情けないことに涙が溢れた。レンに呆れられる。レンは私の物ではない。レンを束縛する肩書きを私は持っていない。


「じゃあ、何で僕を突き放したの?」


 レンがそう言うものの、意味が分からずに疑問を声に漏らした。


「僕は一瞬でもちゃんと居たかったのに、は僕が忙しくなった瞬間に捨てたじゃん。」


 青色は何故悲しみを連想させるのだろう。揺らぐレンの瞳を見つめるのは苦しかった。でも彼には不思議な力があるのか、捕らえた者を離さない力があった。


「レンにとって、私は何なの?なんでこんな曖昧な関係で居なきゃいけないの?私は、レンにとって・・・。」


 言葉が詰まった。何が適した言葉が分からなかった。するとレンは居心地悪そうにそっぽを向く。


「信じないのはちゃんじゃん。」


 そう呟いたレンの言葉に私は呆けた表情をしてしまう。


「好きって言っても信じなかったのはちゃんでしょう。」


 眉間に皺を充分に寄せたレンは、不快な様子でそう言い放つ。私はそれの意味を理解出来ない程鈍くはないが、素直に受け止められる程純粋ではなかった。


「その場しのぎで言わないで。」


「その場しのぎじゃないよ。」


 レンは私の怒気が混じった声に間髪入れずに語気を強くして答えた。


ちゃんが、僕がいくら言っても答えてくれないから諦めたのに、そんな言い方されるなんて心外だよ。」


 そんな謂われは私も心外だ。


「じゃあ、私がレンを好きだって言ったら、レンはホスト辞めれるの?」


 自分で言っておきながら嫌気が差したのは言うまでもない。最低だ。レンの弱みに付け込んで、私は逃げようとしている。レンが頷けないのを知っておきながら。


「辞めるよ。それでちゃんが信じてくれるなら。」


 予想に反する答えに私はぎょっとした。


「・・・嘘だ。」


 思わずそんな言葉が突いて出る。


「お金は別の仕事で貯められるもん。ちゃんが僕を好きでいてくれるなら、ちゃんの方が大事だし。」


 私はとても嬉しいことを言われているとは分かっていながら、何か漠然としており、私はぽかんとしてしまうばかりだ。


「ほら、信じないんでしょう?」


 喧嘩を売っているだろうか、レンは溜息混じりで呆れた口調だ。


「・・・キスも、してくれなかったじゃん。」


 負けじと私がそう呟くと、レンは苦笑した。


「しても良いんだったらしてたよ。でもちゃんが答えてくれないのにそんなことしたら、嫌われちゃうと思ったもん。」


 そこまで言われると、もやもやとしていた物が消えていき、顔に熱気が帯びていくのが分かった。レンをこっそりと覗き見ると、少し困ったような、それでいてどこかはにかんだような笑みを浮かべている。


ちゃん。」


 何も答えずに居ると、レンが私を優しく呼ぶ。どうしてなのか、その優しい声色で呼ばれると涙が出そうになる。私はレンをしっかりと見つめた。


「好きだから、一緒に居てよ。」


 指先にひんやりとした感触が伝わった。レンの白い陶器のような綺麗な手が私の手に絡まっている。私は改めてこの現状を認識することで、一層恥ずかしさが沸き上がって、上擦った声で頷いた。






「やっとちゃん、返事くれたね。」


 嬉しそうに笑って、レンは手に力を込める。心地良いそれを握り返した。


「レンがそうやってへらへらしてるから分かりづらかったんだよ。」


 私はようやくいつも通りの口調でそう答えると、レンは苦笑した。そして私の手を離したかと思うと、腕をすっと伸ばして私の頭を撫でる。顔が近づく。私はレンとキスがしたかった。こうして触れ合うだけでは足りなかったのだ。ただ、瞳を閉じてレンがキスしてくれるのを待つが、レンはいつまで経ってもキスを与えてくれない。私が不審に思って瞳を開けると、そっぽを向いて肩を震わせて笑いを堪えている。私がそれを睨んでいるのに気付くと、レンは小さく吹いた。


ちゃん、可愛い・・・。」


 折角良い雰囲気になったのだから、キスの一つはするものだろうと思っていた私が馬鹿だったようだ。私は眉間に皴を寄せて、一層険しい表情でレンを睨みつけてやる。


「ごめん、ちゃん面白いんだもん。」


「面白いなんて言われても嬉しくない。」


 なんでレンはいつも私の期待を裏切るようなことばかりするのだろう。溜息が思わず出てしまう。


「キスして欲しいの?」


 にやにやと口角を釣り上げて笑うレンに、私はむっとする。私が頷くとでも思ったのだろうか。


「レンがしたくないなら良いよ。」


 私は再度、大きく溜息を吐いてそう答えた。するとレンは目を丸くして驚いて見せたが、すぐに苦笑を浮かべた。


「僕の負けだね。」


 そう言ったかと思うと、レンは私の唇に自身のそれを優しく添えた。






 私達の初めてのキスだった。




















―あとがき―
凄く遅くなりました。そして凄い駄文になりました。本当にすみません。
仕事が忙しすぎて、どういう小説を書きたかったのか忘れてしまいました。
思いついたネタをメモしてあるのですが、キーワードが
「猫」、「ホスト」、「ファーストキス」でした。
しかもこのネタをメモしたのが1ヶ月近く前で・・・。もう分からなくて。
書くのにも一週間近く掛かってしまってますし。
本当にすみませんでした。
でも、私は気ままで曖昧な関係とかが結構見ていて悶えます。

080916















































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