「、おはよう。起きろって。」 が好きだと言ってくれる声で名前を呼ぶと、それに続いて彼女が甘い声を漏らす。 「ん・・・、おはよう。まだ眠いよー。」 充分に寝たはずのだが、まだ足りないらしい。そんなの頬を軽く摘むと、寝ぼけ眼で俺の姿を見て、二、三度ほど目をぱちくりさせて笑う。 「レンは起きるの早いよ。」 笑顔の割に不満そうな物言いでは俺に訴える。 「は寝すぎだよ。折角天気いいんだから布団くらい干しなよね。俺のはもう干したから。」 そうして俺は彼女の被っていた布団を引っ剥がす。するとは駄々っ子のようにそれを掴んで首を振る。 「嫌!」 「嫌じゃない、馬鹿!何時だと思ってんだ、起きろ。」 険のある声色で俺が言うと、嫌々手を離して掛け布団を俺の手に任す。 「馬鹿、自分で干せよ。甘えるな。」 そう怒っての顔面に目掛けて布団を落とすと、は吃驚したように足をばたつかせてそれを退かす。 「意地悪!」 「はいはい、意地悪でいいから起きるの。」 の罵声は所詮俺には可愛くて意味は為さない。するとが俺に向かって手を伸ばすものだから、その手を引いて起こしてやる。甘ったれな女だが、俺にとっては愛しくて仕方がない。そしてのそのそと心底面倒臭そうに布団をベランダに干す。その割には綺麗に、丁寧に、は布団を竿に掛けるのでまた俺の心をくすぐる。布団を干し終えつつこちらに戻ってくるとは口の端を上げている。 「ちょっと、そんなに見つめないでよー。」 じっと見つめていた俺を気にしていたのかがこちらを覗くように見つめ返してくる。意地の悪い笑みのつもりなのだが俺には可愛く笑っているようにしか見えない。 「は?見つめてないから。馬鹿じゃない?自意識過剰。」 俺が眉間に皺を寄せて答えると、 は口を尖らせて「見つめてたくせに」といじける。なんて可愛い人だろう、俺の言葉に一喜一憂して表情をころころと変える。俺が呆れた表情を作って頭を撫でてやるとは直ぐに幼い笑顔で吐息を漏らすように笑う。 「ぽかぽかしてるねー。今日は昼寝日和だー。」 間延びした口調が俺をも眠くさせる。はまたベランダに出て、手招きして俺を呼ぶ。それに従うように俺がそちらへ行く。確かに日差しが心地良い。夕べの茹だる暑さと打って変わって、気持ちの良い風が二人を撫でる。 「ここに布団を敷いて寝たら気持ちよさそうだね。」 そんな発言をしたのは意外にも俺の方で、馬鹿なが喜びそうなことを言ってやりたかったのだ。それには目を輝かせる。 「珍しいね、レンが私みたいなこと言ってる。」 何がそんなに嬉しいのか、は興奮気味にそう言った。 「俺もたまにはみたいに馬鹿なこと言ってみたくなるんだよ。」 「私は馬鹿じゃないよ。」 頬をわざと膨らませて“怒ってる"とアピールされるので、俺はそれに乗って頭を撫でて笑いながら謝った。するといつも通りに直ぐ機嫌を直して、は何をするかと思ったら、干したばかりの布団を掴む。 「馬鹿、まじでやるなよ。」 「え?なんで?」 俺が止めるのには不思議そうに小首を傾げる。俺からしたら、逆に何が疑問なのかが疑問だった。 「ベランダだよ、ここ。」 「うちのベランダは広くて良かったね。」 広さの問題ではない。俺が言いたかったのは布団が汚れるということだ。 「汚れるだろ。」 こんな簡単なことが分からないのかと、俺は呆れ気味にそう告げた。だがは気にしないという様子で布団を竿から下ろそうとする。俺はの手を掴んでそれを阻止した。 「常識を逸してる。」 「いいじゃん、たまには私の我が儘にも付き合ってよね。」 そう言われると、俺は諦めた。たまには我が儘に付き合ってやろう、という理由じゃない。むしろその逆で、俺はいつでもの間抜けな我が儘に最終的には付き合ってしまう。この馬鹿な所が好きなのだから、どうしても最後は“可愛いから仕方がない"となってしまうのだ。にだけは勝てない自分に我ながら呆れる。俺は今回もどうせ最終的には我が儘をきいてしまうのだから、早いところで諦めた。仕方なしにの手を離して、それから布団を下ろしてやる。布団をこのコンクリートの上に敷くのは何だかもし布団が汚れたら今日は俺の布団で寝かしてやろう。そして俺はその隣にでも転がろう。 「汚れたらそこら辺で寝ろよ。」 溜め息混じりに告げるとは口を尖らせる。 「いいもん。ソファで寝るから。」 馬鹿、そんなことを俺がさせるわけがないだろう。それだけじゃなく俺は明日、が仕事へ行ったら布団を干して汚れも取ってやるのだ。そんなこと言ってやらないけれど、俺はやはり好きな女には滅法弱い。俺はベランダ用のサンダルを脱いで布団の上に寝転がる。思ったよりもコンクリートの硬さが伝わった。するとはもう一枚の俺の布団も下ろそうとする。 「何やってんの?」 「もう一枚敷かないと狭いでしょ?」 何を言っているんだ、一枚でも良いだろう、一緒に寝るんじゃないのか。俺はそう思って体を起こしての手を掴んでこちらに引いた。するとはそのままに俺の横に腰掛ける。俺がぽんぽんと布団を叩いて寝るように示すと、は従順な子犬のようにそこに転がった。 「レンってば、一緒に寝たかったなら言えばいいのに、意地っ張りだねー。」 クスクスと笑って随分楽しそうに話すので、俺はの頭を胸に抱き寄せてうずめる。まさか俺がそんなことをするとは思っていなかったのか、の肩に力が入るのが分かる。しかし俺はそれでは終わらない。の頭にぐりぐりと顎を乗せる。 「嫌、痛いー!レンの馬鹿!」 「調子乗るから悪いんだよ。」 どうして彼女はこんなにも俺の心をくすぐりながら離さないのだろう。意地悪してやりたくて仕方なくなるのだ。すぐに顎を離してやると、は俺の胸の中から視線をこちらに向けてあからさまに不機嫌そうにする。 「禿げたらどうするのさ。」 不満の声を漏らす。これだけで禿げる訳がないのに、本当に心配そうな表情で自分の頭をさすっている。 「気持ち悪いから距離置くよ。」 「嫌!」 馬鹿な奴、禿げたってずっと一緒に居てやるよ。いや、お願いだから一緒に居させてよ。それでも嫌なら俺も髪の毛を全部剃ってやる。 「距離置くってどのくらい・・・?」 上目遣いで恐る恐る尋ねてくるを見ながら、髪の毛が無いを想像するが、漫画のような構図しか出てこないのでピンと来ない。しかし、禿げてもはこの馬鹿で可愛い所は変わらないだろう。そう思うとやっぱりが好きだと思った。 「生えるまで。」 「禿げたら生えないんだよ?嫌!」 どれくらい“嫌だ"と言えば気が済むのだろう。今日何回目かの“嫌だ"を聞いて俺は苦笑した。 「嫌だって言われても、がその馬鹿な性格のまま禿げたら気持ち悪いし。」 見た目なんて全く気にしない。 「じゃあ私もレンが禿げたら嫌いになっちゃうからね!」 そう言って対抗したつもりなのか、どこか俺に期待するような瞳で見つめてくる。嫌いになんかなれないくせに、可愛い人だ。 「へえ、俺は嫌いなんて言ってないのに。は嫌いになれちゃうんだ。」 俺が冷めた瞳でそう呟くとは困惑の表情を見せる。どう足掻いたところで、は俺に口では勝てないのだ。唯一の勝利法は、の自覚のない愛らしさしかない。俺は常に負け試合に挑んでるのだ。 「・・・嘘、嫌いにならないからレンも好きでいて。」 不安そうにが訴えるその表情に、俺はたまらず抱き締める。小さな体がすっぽりと俺の胸に納まる感覚は、一種の優越感と征服感。そして俺が先ほど虐めた可愛らしい旋毛に音を立ててキスを落としてやる。は満足そうに笑みを浮かべる。 「好きでいてくれるの?」 先ほどより期待を含めた瞳。当たり前だ、この気持ちを失うなんてきっと有り得ない。俺が死ぬ時に一緒に朽ちるまで、この感情は消えないだろう。 「馬鹿じゃん、いつ俺がを好きって言ったの?」 全く馬鹿らしい、とでも言うように俺が豪快にの期待を笑い飛ばすと、彼女はとてもショックを受けたようで目を丸くして口を開く。 「嫌いなの?」 叫びに似た声でが俺に問い掛ける。なんでこんなにも愛情を注いでいるのに、そんなことも分からないのだろう。俺が答えずにいるとが狭い布団の上で暴れる。罵声を向けられるが、俺には面白くて笑いしか零れない。 「ちょっと、聞いてるの?」 笑っているだけの俺にはずいっと顔を近づけてきて怒りを露わにしている。太陽の光が睫の影を落として白い肌に浮かぶ。綺麗な陶器のような滑らかな肌。俺はそれをまた胸に抱きかかえた。 「はいはい、分かったから。お昼寝するんでしょう?折角暖かいんだからさ。寝ると気持ち良いよ、きっと。」 宥めるように俺が頭をぽんぽんと撫でてやりながら言うと、は少し納得いっていないようで唸るが、少しして考えるのが面倒くさくなったのか、俺の胸の中で静かになった。そして俺は暑いだろうと腕を解いて、の頭の下に腕を敷いてやる。腕枕は好きだ。が心地よさそうに眠ってくれるから。 日差しは確かに暖かく、昼寝にはちょうど良い天気。しかしこの都会のど真ん中にある随分とリッチな造りのマンションの一室で、こんな絵が並んでいるのは誰も想像出来まい。ベランダで布団を敷いて寝るなんていう発想は、自分から浮かんだ物だというのに、なんてふざけたものだろうと自嘲的な笑いが零れた。コンクリートの感触が少し背骨を痛くする。 「んー、背中が痛い。」 俺の心が声を出したのかと思うくらいに、俺が思うと同時にが声を出した。 「コンクリートだし、布団だし、仕方ないだろ?」 子供をあやすような声色で俺が答えると、はもぞもぞと動いて少しでも楽な体勢を探している。ふと、以前にが、こんなお高い贅沢なマンションに住んでいながら、「ベッドは嫌いなの。日本人は布団よね。」と言っていたことを思い出した。詳しく理由を聞けば、ベッドのスプリングが不安定で気持ちが悪いらしい。それを思い出せば、いっそのこと、コンクリートで我慢しろとも思うが、俺にはそんな意地悪が出来るわけもない。 「。」 そう呼ぶと、は腕枕の上に置いた頭を少しこちらに向けて俺を見つめる。その瞳が俺の次の言葉を待っている。だが、俺はたいした言葉も無かった。ただ呼びたかっただけだし、こちらを見て欲しかっただけだ。 「何よ?」 俺が答えないのに痺れを切らしたようにが言葉を催促する。 「何でも無いよ。こっちおいで。」 俺が微笑を浮かべて腕枕をしていた腕を少し上に上げて、をこちらに引き寄せる。それに従っても俺の方へ体を動かした。俺の意図することを理解しているようで、俺の胸に顔を埋めて、軽く上に乗るように転がった。俺を下にしてうつ伏せであれば苦しくないだろう、という俺の今出来る最大限の配慮だった。 「レンの髪の毛、太陽の匂いがするね。」 段々眠くなってきたのか、の声がゆったりとした口調で紡がれた。俺は空いた左手で自分の髪の毛を少しつまんで嗅いでみるが、シャンプーとリンスの匂いしかしなかった。代わっての髪の香りを嗅ぐと鼻をくすぐる甘い香り。 「しないよ。は薔薇の匂いがする。」 「だって薔薇の香りシャンプーとボディミルク使ってるもん。」 風呂場にあったあれか、確かにに似合う香りだ。しばらくお互いに太陽の光を浴びたまま、黙り込んだ。何故こんな所で寝転がっているのか、改めて笑えてきた。俺はまたの旋毛に唇を這わせてそのまま眠ろうと思った。はくすぐったそうに笑みを零す。柔らかい髪の一本一本が俺の頬に触れる。鼻をくすぐる香り。 「禿げたら駄目だよ。」 この柔らかい髪と香りが無くなるのはやっぱり嫌だ。俺はそう思って呟く。は眠そうな声で頷くだけだった。体に掛かる重みから伝わるゆっくりとした鼓動が子守歌のようだ。そして日差しの温かさがまた俺をも夢へと引きずり込もうとする。きっと目が覚めたら、の寝顔がまたそこにあるのだろうと思うと、やはり今日は良い一日なんだと感じる。愛しい人の吐息が微かに感じられるこの状況に何の不満があるだろうか。 「。」 また呼んでみるが返事はない。すっかり眠ってしまったようだ。子供のような女だ。さっきまであんなに騒いだかと思えばすぐに眠ってしまう。可愛い人だ。 「馬鹿。」 聞こえてないだろうが、なんだか言いたかったのだ。本当に馬鹿で可愛い、俺の大切な人。その寝顔は幼くて綺麗だ。 「好きなんかじゃないからな。」 俺の声は太陽に消える。太陽だけが俺の声を聞いている。太陽だけが俺の意地悪を許してくれる。 大好きだよ。 伝えるのは悔しいけどね。 わかってるんだろ。 ずっとこのままで居ようよ。 ―あとがき― よくあるツンデレンとは違うタイプのレンを書いてみました。 しかもレンsideから書いてみました。 心の中ではとても好きだけど、無意識に天の邪鬼が出てしまうレンです。 言葉では表せないけど、行動が愛してる証拠なんです。 ツンデレンになってれば良いのですが・・・。 すらすらと書けました。楽しかったです。 普通のツンデレは難しいのですが、こんな感じなら結構書けそうな気がします。 080717 |